10話
第十話
「成る程、魔王軍…か」
疾風ウォルフが呟いた。
「はい。早急に対処しなければ、他国に付け入る隙を与えることになるかと」
ゴノーは頭を下げたままいった。
「確かに獅子身中の虫だな。私は直ちに軍を派遣すべきだと思うが…。いや、敢えてルネーシャを他国に明け渡して、国力を浪費させたほうが良策か…」
少し思案した疾風ウォルフは、更に後方にある玉座のほうへ振り返り、
「如何なさいますか?」
と、玉座の主に声をかけた。
「……他国に何処まで事が割れているか、だな」
エルブレイズ国王、ルシードは、正面を見つめたままいった。
「おっしゃる通りです。草の報告を総合すると、シルフェイド国は前回の戦の関係もあり、魔王軍のこと、薄々気づいているようです。ルネーシャの取得には慎重な態度を取るでしょう。アンタレス国にはまだ漏れていないと思われますが、油断はなりません」
「ならば、シルフェイドが確信して、何か仕掛けてくる前に軍を――」
「いや、その前に一つ、試したいことがある」
疾風ウォルフの言葉をルシードが遮った。
「試したいこととは?」
「もし、その存在が『魔法の鍵』によるものだとしたら、見極めることが出来るかもしれない」
「……はぁ」
ルシードの意味不明な答えに、疾風ウォルフは思わず間の抜けた声を出した。
「此処へ呼んでほしい者がいる。ゴノー、済まないがお願いできるかな?」
その声には答えず、ルシードはゴノーのほうを見て微笑んだ。
エルブレイズの首都、ネス。
今日も空は曇っている。
シルフェイドから亡命してきた当初は、ラーミディの丘陵を吹く風を懐かしく思ったものだが、いまではこの曇り空にも慣れてしまった。曇り空には曇り空の風情というものもある。
「…さて、今日は何をしようか」
窓からその空を見上げた夜宗は、ひとり呟いた。
久々の休日である。
昨日の夜勤の疲れがまだ、体に残っている気がするし、今日一日、布団の中で過ごすのも悪くないかな、などと思ったのだが、何となく躊躇いがあった。
――独りで居たら、逆に疲れそうだ。
先日、国王ルシードから頼まれたことがあった。
その言葉が耳朶に残っていて、部屋にいたら、そのことばかり考えてしまいそうだったからである。
「しょうがない。散歩でもするか」
夜宗は簡単に身支度を済ませて、ネスの街へと出かけた。
だが、特にあてがあるわけでもない。軽食屋で食事を済ませ、本屋で立ち読みをし、武器屋で新しい武器を見て回った。それでもまだ、時間がある。ブラブラと歩いていると、一つの酒場が目に入った。
ルーンがネスで運営していた酒場だ。ルーンは少し前までエルブレイズの騎士と酒場のマスターを兼任していたが、ある日突然居なくなった。その後しばらくはアーシャが後を継いでマスターを務めていた、と話に聞いたことがある。
――今はどうなっているかな。
ちょっと興味をそそられた夜宗は、酒場の扉を開けた。
夜宗が扉を開けた瞬間、
「真っ昼間っから酒を飲もうってのかい? まだ準備中だよ!」
と、威勢の良い声が飛んできた。
「いや、酒は結構ですよ、アーシャさん。ちょっと挨拶に寄っただけですから」
その言葉に、バーカウンターの向こうの女性が、手を止めてこちらを振り返った。
「あ、夜宗殿でしたか、失礼しました。よく、飲んだくれの連中が来るもんだから、さっきみたいに怒鳴って追い返してやるんですよ。全く、一日中酒浸りなんて体に悪い」
「なるほど。アーシャさんの元気な声を聞けば、酔いも醒めるでしょう。…しかし、まだ続けてらしたのですね」
夜宗が、店内を見回しながら言うと、
「留守を頼まれちゃいましたからね、まあしょうがないですよ」
アーシャは軽やかに笑って、夜宗の前に、ロック入りのグラスとウィスキーのボトルを一本差し出した。
「いや、酒はほんとに結構です。…それに今、真っ昼間から酒はどうのって、言ってませんでしたっけ?」
「一日くらいなら良いんですよ。それに夜宗殿、なんだか浮かない顔してますしね。そういう時は酒に限ります。夜の仕度があるからお相手はできませんが」
「気遣い有難うございます。私は気が済んだら勝手に立ち退きますので、準備のほうを」
カウンターに座った夜宗は、ボトルを開けて、氷の入ったグラスにウィスキーを注いだ。
グラスを顔に近づけると、心地よい香りが漂ってくる。
――私の跡を継がないか。
まるで何気ない会話をするように、ルシードは言った。
彼の跡を継ぐということは、常勝と呼ばれる闇の国、エルブレイズの王になる、ということなのに。
――国王、何を突然――。
冗談として笑って済ませたかったが、出来なかった。
――夜、お前に私の跡を継いで貰いたいんだよ。エルブレイズの未来とともに。
一瞬、微笑みに隠されていた、鋭い眼差しが垣間見えた。
――何故私なんですか!? 剣で勝る者は他にいくらでもいるじゃないですか!
――剣が拙いから王になれない、という話は聞いたことが無いよ。
――軍略だって、私には。経験もまだまだ浅いのに!
――作戦立案は軍師の仕事。王の仕事では無いね。それに経験はたいした問題じゃあない。
――だって…、なんで私なんですか。私が人に誇れるものなんて、一体なにが――。
――違うんだよ、夜。
ルシードに言葉を遮られた。
――王の資質とは、そんなものじゃあないんだよ。
――じゃあ訊きますけど…何をもって王の資質と言うんですか。
夜宗の問いに、ルシードは優しく微笑んだ。
――王の資質か、それは――。
「真っ昼間っから酒を――っと、ごめんなさい、ゴノー殿でしたか」
アーシャの声で我に返った。
振り返ると、苦笑しながら夜宗のほうへ近づいてくるゴノーの姿があった。
「夜宗殿、此処でしたか。方々へ行かれたようで、足取りを掴むのが大変でしたよ」
「それは…すいませんでした。何か私に?」
「ええ。国王が夜宗殿を城に呼びたいと」
にわかに動悸が激しくなった。
「…私への用件は賜っていますか?」
「いえ、特には。登城して頂ければ分かるかと」
「……分かりました。伺いましょう」
「お二人とも、今度は夜においで下さいね」
手を休めずに言ったアーシャに別れを告げて、二人は酒場を後にした。
ネスの城の王の間。
既に将軍の疾風ウォルフとエルブレイズ騎士ロゼ、そして国王ルシードがいた。
「…ルネーシャの古城に棲まう魔物の駆逐が私たちの任務、ということですね」
夜宗は、ロゼと並んで跪拝した。
「そういうことだ。私は軍で制圧すべきだと言上したのだが、陛下には別の思案があるらしくて、ね」
疾風ウォルフの言葉に、ルシードは軽く微笑んだ。
「まずは小手調べさ。…二人でルネーシャへ向かってもらえるかな?」
「謹んで承ります。夜宗殿と力をあわせて、なんとかしてみせますよ」
ロゼが夜宗のほうを見て、行こうぜ、という仕草をした。
夜宗はロゼに曖昧な頷きをしてから、再度ルシードを仰ぎ見たが、その笑顔に、いつもと違う表情を読み取ることは出来なかった。