好きを問われて
「所で蒼井君」
夕暮れの空に、頬を照らされた彼女、翡翠翠は振り向きざまに問いかけてくる。僕の一世一代と言うには大袈裟な、しかし気持ちの上ではは一世一代である告白への返事をさておいて。
「貴方に聞くのが酷なのは十二分に理解した上で質問するんだけど、好きってどんな状態なの?」
何を聞いて来やがっているんだろう。たった今、自分を好きだと伝えてきた相手に対して、、、。もしかして、やんわりとフラれているのだろうか、そうでなければ、翡翠さんは思いの外デリカシーに欠けるのかもしれない。ここはひとまず、馬鹿のフリをして話を続けよう。
「えっと、質問の意図は計りかねるけど、有り体に言えば、不思議と視線がいくとか、もっと話をしてみたいとか、、、かな。」
「それだけ?」
真面目な顔で再び質問してくる翡翠さん。どうやら、本気で訊いていたらしい。
当然それが全てでは無い、僕はもっと思う節があって翡翠さんの事が好きだと言いている。中には口にする事が憚られる様な事もあるが言える筈は無い。
しかし、話題をこのままにしていては、どこかで心の内まで丸裸にされてしまいそうだ。裸にされるのが心で無いのならやぶさかでは無いが、無論そう言うわけでは無いので、話題のベクトルを少しずらそう。
「なんでそんな事を聞くんだ?」
「そうよね、理由も無しに聞くにはあまりに残酷な質問よね・・・。蒼井君はもしかしなくても知っているんだろうけど、私は最近、彼氏と別れたの。だから安心して、この歳になっても恋を知らない様な夢見る少女って言うわけでは無いから」
当然知っていた、翡翠さんが最近まで僕と同じ部活で白黒のボールを追いかけている元彼氏と付き合っていた事は。
元彼氏の元カレ氏を評するなら、総じていい奴だろう。部ではスタメンで、成績は中の上、心のノートを未だに本棚にしまって有りそうな程善人な上、将来の夢は大切な人と幸せな家庭を築く事と平気で言ってのける程のロマンチストだと皆は言うだろう。
つい最近まで、その大切な人の第一候補と言われていた翡翠さんとはとても順調だった。破局の知らせは、ひっそりとしかし号外かの勢いで伝播し、その電撃破局に事件性を感じた自称恋の名探偵たちが聞き込み捜査を開始したが、程無くして捜査は打ち切りとなり、真相は闇の中だった。いや、恐らくそこに事件など無く、トピックに成る事が無かっただけなのだろう。
斯くいう僕はと言うと、その知らせにひっそりと歓喜していたのだが、同時に破局の理由が気になってもいた。
「その電撃報道の原因が肝なの」
これは、JKの井戸端会議のトピックに上がることは無くても、僕個人としては新聞の一面を大きく飾る話だ。
「別れたって、正確に言えば私が彼にフラれたんだけど、彼、私が好きか分からなくなったって。それから一人で考えてみると、私も彼が本当に好きなのか分からなくなってきたの」
成る程、それで冒頭の質問か。
ありきたりな推理をするのなら、それは他で女を見つけて来た男の常套句。しかし、彼女は馬鹿じゃ無い、どころか秀才の部類だ。この答えに辿り着かなかった筈が無い。
ならば、彼女はこの答えを求めてはいないのだろう。確かにあれほどの人徳者が、彼女ある立場で他の女を好きになるとは考えずらい。いや、真面目だからこそ、他の女の子を好きになってしまった自分が後ろめたくて、別れると言う結論に至った可能性は大いにある。しかし、今はそんな事は関係のない話だ。
そもそもに戻ろう。僕が彼女に訊かれているのは好きとは何か、どんな状態なのかだ。失恋の作用でそれが分からなくなるのは、僕を含めた思春期の少年少女達にはよくある。
この際、僕の告白の答えなんてものはどうだった良い。元々、実る筈の無い願望だったのだから。僕の気持ちの整理なんてエゴに、付き合ってくれたせめてもの恩返しをしようじゃないか。
自分でも驚くほどすんなりと気持ちが切り替わった。
「僕は、翡翠さんの笑顔が好きだ。翡翠さんの掴み所の無い所が好きだ。だから翡翠さんが好きだ。世間一般でどうとかは、僕には分からないけど、好きなところが2つもあるなら、それは好きって事で良いんじゃ無いかな」
上手く纏まった自信は無いが、自分にできる最大限をこなした。
「ありがとう」
思いがけない返答に視線をあげ彼女の顔に視線をやると、彼女は・・・。
しかして後日談である。
現実は小説より奇なりと言うので、この物語も現実より現実染みた結末が用意されていた。所謂、夢オチである。
なんとも合理的な結末だ。夢であったなら多くの突拍子もない展開や、駆け足のラストの説明もつく。
全く不可思議な夢だ。その後、高校の入学式で初めて目にするはずの翡翠翠が夢の中に出てきて、更には実物と寸分違わなかった。
しかし、その程度の含みしかこの物語には存在しない。いつか、全く同じ事が起こる事がなければ、元カレ氏は実は僕でした、なんて事もない。どこにでもある様な、なんでもない夢の物語だったのだ。
強いて意味を持たせるのなら、僕が現実の翡翠翠に恋をしたのは、この夢のせいだったかもしれない。