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05 心惜しさ




 私は積み上げられた書類の束から次の一枚を取り、嘆願書の内容に目を通した。

 これは次期領主(ルーク)が確認した方が良い。

 そう判断して書類を分けると、ふと今の状況を客観視してみる。


 書類の山に囲まれた私は、仕事に追われる役人のようだ。





『これも、これも、これもだ。悪いな』


 微塵も悪いとは思ってなさそうな表情で、書類を置いたルークに私はじとりとした視線を返した。

 部屋にいた私を引きずるように執務室に連れて行ったと思ったら、書類を片付けて欲しいという。

 そう言えばしばらくルークを見ていなかった。仕事に追われていたらしい。

 横に視線を向ければ、目が死んだロイが慣れた手つきで書類を捌いていた。


他所者(わたし)に見せて良いの?』

「猫の手も借りたいくらい忙しいんだ。問題無さそうな書類しか見せないから大丈夫だろう』


 ロイと私が揃って苦い顔をするが、ルークは気にする様子もなかった。




「思った通り、書類仕事もできるとは。有能な人材だな」


 半分ほど減った書類を見て、ルークが嬉しそうに近づいてきた。

 領地の管理についても遠い昔に習ったことがあるだけだ。私は集めておいた「要確認」の書類をルークに押し付ける。


「あなたの確認が必要な書類よ。持って行って」

「⋯⋯ああ。ありがとう」

「ルーク。リディア嬢に手伝いをお願いしているくらいなんです。遊んでいる場合ではないんですよ」


 にこり。微笑んだロイにルークは顔を引き攣らせるとすごすごと席に戻って行った。

 寝不足なのかロイの目の下のくまは濃く、笑顔に滲み出る圧が強い。


「普段からこの量の仕事を?」

「いえ。年にニ度の報告が上がる時期なんです。いつにも増して今回は多いですが」

「そうなんですね⋯⋯」


 ロイの机の上にある書類の量が一番多い。

 あと何日かかるのだろうかと考えていると、ルークがじっと私を見ていた。


「なぁ」

「⋯⋯何」

「何でロイには敬語で俺には敬語じゃないんだ? 別に構わないが」

「構わないなら良いでしょう」

「気になるだけだ」


 ルークが私に対して近い距離感で接してくるからか、()と似た見た目をしているからか、ルークに対して敬語を使おうとはあまり思えなかった。


「⋯⋯敬語は相手への敬意を持って使うもの」

「そうだな」

「そういうことよ」

「これでもフィリトン領の次期領主なんだが⋯⋯」

「書類の山を一つでも片付けてから言ってください。それか僕も砕けた口調で話した方が良いかな?」


 渋い顔をしたルークは分かったよ、と手を振る。


「今度リディアに剣術を見せないとな。尊敬するところが無いなんて言えなくなるぞ」


 カミラがルークは剣の天才だと言っていた。得意気に話すルークは剣術に余程自信があるらしい。私が頷いてみれば、ルークはようやくペンをとり仕事に移ったようだった。



 しばらくして。執務室に扉を叩く音が響いた。


「ルーク様。神殿からトヒル司教がいらっしゃいました。今年の祝祭についてお話しをしたいと」

「祝祭? まだまだ先だが、仕事が早いな。お通ししろ」


 ルークが眉を上げながら、ペンを置く。

 出て行った方が良いかと思い、ルークを見るが、気づいたルークは別に良い、と視線で私を押し留めた。


 侍女が開けた扉から、ゆっくりとした足取りで司教が部屋に入ってくる。たっぷり髭を蓄えた司教は部屋の惨状に目を丸くした。


「散らかっていて申し訳ない」

「とんでもない。⋯⋯ルーク様にクィルハ神のご加護がありますよう」


 司教は手を胸に当て目を閉じ、挨拶をするとぐるりと部屋を見渡した。


「忙しそうですな。ここしばらくルーク様が神殿に来られないので残念に思っていたのですよ。短い時間でも祈りに来られると、きっと神も喜びましょう」

「覚えておこう」


 ルークの返事に司教は笑みを深めて、ちら、と私の方に目を止めた。笑みの形の目が僅かに見開くように動く。


 酸味と、痺れ、それから酒を口に含んだような酒精がどろりと舌に張り付いたように感じた。

 不快な味に思わず眉を顰めそうになる。


 酸味は驚き、痺れは悪魔の特徴(白い髪)を持つ私への嫌悪感だろうか。舌触りの悪い酒精は私への色情だ。


 気持ち悪い。神に仕える者でも皮一枚下は聖人とは程遠い真っ黒な感情が渦巻いている。


「それで、今年の祝祭のことだったな」

「そうでした。これを。行程案です」


 幸いなことにすぐに視線は私から逸れ、司教は持っていた紙を差し出した。

 厚い紙の束をルークは嫌々ながらも受け取る。


「まぁ、来月あたりまでには返答できるよう努力しよう」

「よろしくお願いいたします。今年の祝祭も良きものになるよう願っておりますので」


 司教はルークの苦い顔にも動じず、一礼をすると、帰りがけに振り返った。


「⋯⋯最近国境近くで悪魔教を名乗る集団が現れているようですね」

「悪魔教?」

「ええ。神を崇めるのが人の務めだというのに、悲しいことです。どうも辺境の村を襲うような動きもあるとか」

「確かに、辺境に盗賊の集団がいると報告書に上がっていたな」


 ルークは積み上がった書類の山を横目に見やる。


「大地は全て神の光で浄化されるべきです。悪魔教がのさばるなどあってはいけません。どうかお早い解決を願っております」


 わざとらしいほどに鷹揚に祈りを捧げるとようやく司教は部屋を出て行った。


 私は舌のざらつきを飲み込みながら、視線を動かして身体の様子を確認した。

 五体満足。

 やはり、悪魔の身で司教に出会っても特に異常はないようだ。長い人生の中で確認済みだが落胆もしてしまう。

 ──あの司教が神の力を持っていると言っても気に入らないが。


 司教の足音が遠ざかるとロイがルークから祝祭の行程案を受け取り、ぱらぱらとめくった。


「ルークとは違って仕事がお早い」

「暇なんだろう」


 ルークはため息を吐いて行儀悪く足を組む。じっと私の方を見ていたようで、ぼんやり宙を見ていた私と目が合った。


「祝祭では花火が上がるんだ。一年で最も大きい祭りで見事なものだぞ。景色が良い場所を知っているから案内してやろうか?」


 ルークのその提案はただの思いつきの発言だろうか。


 私も祝祭は知っていた。祝祭はフィリトン領だけでなくラティマ王国のどの領でも行われている。

 ずっと昔、まだ私が貴族令嬢だった頃は、参加したこともあった。


 祝祭が行われるのはいつも風の月、寒さの混じる涼しい季節だ。


 ──数ヶ月先の祝祭まで私を屋敷においておくつもりなのか。いつ、私は屋敷を離れるのだろう。


 屋敷にいると心地よさに慣れてしまいそうになる。早く離れた方が良いはずだ。そう思うと同時にほんの僅かな心惜しさがあることに気づいて驚く。


 ルークが疑いも無く一緒にいる未来を思っているのなら、それは何処か悲しかった。



「リディア? ⋯⋯どうした」


 ルークの声にはっと意識を戻せば、心配そうに私を見るルークと、書類を片手に私を窺うロイがいる。


「⋯⋯疲れていてもおかしくありません」

「休憩にするか」


 助け舟を出してくれたロイは私の複雑な感情を察したようだ。



 屋敷に来て一月になる。

 よく晴れた空を窓越しに見ながら、私はこれからをどう過ごせば良いのか、答えの出ない問いを反芻していた。





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