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03 屋敷での生活




 (ぬる)い風が頬を撫でる。少し開けた窓から暖かな陽気が入り込んで部屋いっぱいに広がっていくようだ。

 私は部屋の窓を開け、いつものように椅子に座ってぼんやりと外を見つめた。


 ここ、ラティマ王国は私の生まれた国だ。今までラティマを避けて大陸を彷徨っていたが、知らぬ間にこの国に辿り着いていたらしい。

 今は花の月。暑い頃なのに生地がしっかりした服を着ていられるのはラティマ王国の中でもフィリトン領が北寄りにあるおかげなのだろう。


 びゅう、と一つ強い風が吹いて白い髪が乱れる。

 指通りの良くなった髪を梳いて整えると、カミラが嬉しそうに声をかけてきた。


「触ると艶々でしょう? 手入れをしたら見違えるほど綺麗になりましたもの」


 カミラに毎日洗われ、香油を塗られ、私の髪の毛は野生の動物の毛から絹糸のような肌触りに進化していた。

 何度も必要ないと訴えたが、カミラは私の世話を断固として譲らない。


「一度で良いからお嬢様のお世話をしてみたいと思っていたのですよ。私が世話をしたのは坊ちゃまばかりで」


 カミラは現領主が幼い頃から仕えているらしく、ルークの乳母もつとめていたと聞いた。

 長い間女の主人に出会えなかった彼女はそれはそれは楽しそうに私の世話をしている。

 口の中がじんわりと甘くなってくるから、本心から楽しんでいるのだろう。


「手を煩わせていないか心配です」

「お気になさらず、お嬢様は早く元気になってください」


 紅茶の用意をし終えたカミラはカップを差し出しながら柔らかい笑みを浮かべた。


「何もすることがなくても気が滅入るでしょう? 色々持ってきました」


 百年以上生きてきた私にとって、椅子に座ってぼうっと一日を過ごしても瞬く間に感じていたが、カミラには長い時間だったらしい。

 カミラは四六時中私につきっきりなわけではなく、様々な侍女の業務をこなしている。

 いつ様子を見ても変わらない私の姿に心配していたようだった。


 机に並べられたのは、色とりどりの糸や紙とペン。詩集や聖書などの本もあった。


「ご希望でしたら楽器もお持ちしますよ」


 カミラの言葉に首を振り、私は聖書にちら、と視線を向けた。

 聖書の表紙は美しい絵が描かれている。光を放つ神と、神の光の前に屈する悪魔だ。

 クィルハ神は、人々を苦しめる悪魔に天誅をくだす。そんな内容だったかと思う。

 黄金色の長髪を持つ神に対して、悪魔は白髪に褐色の肌、呪詛が体に取り付いており一目で分かる醜悪さだ。

 この大陸では昔からクィルハ教が根強く信仰されており、悪魔の象徴のような白い髪はどこに行っても奇異の目で見られた。

 この屋敷に来てから、ルークやカミラ、他の侍女たちが何も言わないのが不思議なくらいだ。


 表紙をさらりと撫でてみる。

 実際に会った悪魔は角も醜い尾も無い、美しい青年だった。

 聖書(こんなもの)嘘ばっかりだ。


 私は聖書を体の遠くに退けると、薄紫の糸を手に取った。針に糸を通して、刺繍枠と布を合わせる。


「刺繍をされますか?」

「ええ。持ってきてくださりありがとうございます。きっと困ることはないので付いていただかなくても大丈夫ですよ」

「かしこまりました。では屋敷の仕事に行かせていただきますね」


 無気力だった私が何かを選んだことが嬉しいかったようで、鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌のカミラは刺繍糸を机に並べると、部屋から出て行った。




 何かを思い描いていたわけではない。

 私はただ体が覚えているままに手を動かしていた。

 部屋の暗さに違和感を覚えて顔を上げれば、窓の外は薄暗くなっている。

 手元を見ればラベンダー畑と空を舞う鳥が刺繍されていた。


「⋯⋯」


 昔に教わった刺繍の腕は落ちていないようだ。私は出来上がり間近の刺繍を体から離し、俯瞰してみた。


「上手いな」

「⋯⋯っ!?」


 近い位置からかけられた声に、体が跳ねて椅子から浮いた。

 振り返るとルークが、私の驚きように驚いた、と目を丸くしていた。私は遠慮なくルークを睨みつける。


「ノックをしてほしいって何回も言ってるわ」

「いや、ノックはしたぞ? しばらく返事が無いから勝手に入ってきたが」


 刺繍に没頭しすぎたようだ。

 私は気まずさを隠しながらルークから視線を外して、刺繍を机に置いた。


「刺繍の経験があるのか? 店に出しても良いくらいの腕だ」

「昔教わってたの」


 私の生まれた家は王族に次ぐ身分を持った貴族だった。刺繍は貴族女性の嗜みだ。

 血反吐を吐くような思いで身につけた教養は何年経っても無くならないらしい。

 刺繍をまじまじと観察しているルークの視線を逸らしたくて、私は自分から声をかけた。


「まだ食事の時間には早いと思うのだけど。私に何の用?」

「お前が生きてるかの確認だ」

「動いて息もしているわね」


 茶化して言葉を返せば、思いの外真面目な顔をしたルークが私の手を取った。

 体温の高いルークの熱を分けるように肌が擦り合わされる。


「⋯⋯明日は散歩にでも行くか? 侍女を付けるなら庭を見て回っても良いぞ」


 触れている肌がじんわりと温かくて私はルークの手を振り払わなかった。


 ふと、ずっと思っていた疑問を口にする。


「どうして私にここまでするの? 動けるようになったら放り出してくれれば良いのに」


 俯いた私にルークの表情は見えないが、口の中に苦くて辛い、不快な感情が広がった。


「お前の瞳から死にそうな色が消えたら自由にしてやる。放っておいたら死ぬつもりだろう?」


 私は言葉を返さない。


「俺の領地にいる人が幸せになってほしいんだよ。リディア、お前も。勝手に死ぬのは許さん」

「⋯⋯ご立派な次期領主様なのね」

「まずは美味しいものをいっぱい食べさせて太らせるつもりだ」


 纏う空気を一変させて、にやりと笑ったルークは握っていた私の手から頬に指を滑らせた。


「ちょっとは肉が付いたな。頬に丸みがあった方が好みだ」

「あなたの女性の好みなんて知らないわよ」


 不躾な手を叩くと、ルークはそれさえも嬉しそうに笑う。

 カミラが食事の時間だと呼びに来るまで、ルークはたわいもない話を語って聞かせた。

 短く相槌をうって過ごすその時間は、どこか心地よく、私はいつもより柔らかい表情をしていたらしい。

 カミラは私たちの様子を見て目を丸くした。


『少しは懐かれたように思わないか?』


 私に聞こえないようにとルークがカミラに耳打ちした言葉は途切れ途切れにしか聞こえない。

 カミラが、何度注意しても聞かない子供にするような諦めのため息を吐いたのが見えた。




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