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02 餌付け




 フィリトン領、屋敷の執務室でルークは書類を片手に顔を扇いだ。

 国の北西に位置するフィリトンでも今の時期は暑い。開けた窓から入ってくるのも生温い風だ。

 燦々と照る太陽の下、訓練する騎士団を窓の下にぼんやりと眺める。


「ルーク、書類から視線を逸らしても時間が経つだけです。早く訓練に行きたいのなら机についてください。あと、書類を皺にしたら余計仕事が増えますよ」


 幼い頃からルークに仕えているロイは、役に立たない主人に冷えた目を向けた。

 フィリトンの領主はルークの父だが、時期領主としてルークには半分程の執務を任されている。


「分かった、分かった」


 嫌いなだけで、やろうと思えば早く片付けられるのだ。ルークは諦めて扇いでいた書類を机の上に置く。


「⋯⋯あー」


 ロイの忠告は手遅れだったらしい。書類が皺になっている。ルークはロイに気づかれないよう皺を伸ばそうと紙を引っ張った。


 ビリ、と。


 嫌な音にロイが立ち上がる。


「余計なことしかしないんですか!?」

「⋯⋯糊でもつけとくか」


 ロイからの視線がいっそう冷たいものになってルークはそっと目を逸らした。




「カミラです。今よろしいですか? 報告に参りました」

「入ってくれ!」


 ノックと共に現れた侍女にルークはタイミングが良い、と喜んで迎える。気まずい空気を入れ替えたい所だった。


「リディアお嬢様ですが数日見ていても食事にほとんど手を付けられないのです。理由を聞いても『手をつけていない食事は使用人に渡るのでしょう?』とおっしゃって」


 頬に手を当てて話すカミラは心底困っているようだ。ルークはぐっと眉を顰めて、口を開く。


「部屋ではどう過ごしている?」

「ぼうっと座っているか寝ているかです」

「またか」

「寝ている時は魘されているようで⋯⋯」

「⋯⋯様子を見に行く」


 書類を置いて部屋を出るルークを、ロイは深いため息で見送った。


「拾い猫にずいぶん困らされているようですね」

「猫だなんて。お嬢様に失礼ですよ、ロイ坊ちゃん」

「白い毛並みに青い瞳の痩せた猫。肉をつければ驚くほど美しくなるってルークが言ってました」

「まぁ」


 失礼な物言いは直らないものか、とカミラは目を瞑って額を抑えた。






 この屋敷に来て五日、私はベッドから出て椅子に座れるくらいには体が回復した。

 世話をしてくれるカミラや、数回様子を見に来たルークから向けられる感情を食べさせられたおかげだ。

 だが、部屋の中を移動しただけで、息は上がり、ふらふらと足が覚束なくなってしまう。世話をされるのも居心地が悪いが、今はどうしようも無い。


「リディア? 俺だ。入るぞ」


 返事をする前にルークが部屋に入ってきた。


「ノックしてから入って欲しいわ」


 私の呟きを気にした風でも無く、ルークはテーブルを挟んだ向かいに座るとじぃ、と無遠慮な目で私を眺める。


「何?」


 初対面以来、ルークに対して敬語を無くしたが、彼は気にするでも無く、逆に面白く思っているようだった。


「お前がいつまで経っても全然食べてないと聞いたから様子を見に来たんだ」


 チリン、と。一回も私が使ったことの無い鐘を鳴らして侍女を呼ぶと、ルークは間食を持ってくるよう頼んだ。

 用意されたのは一口大の果物とビスケット、添えるチーズだ。


「食べろ」

「⋯⋯」

「食べさせられなきゃ食べないつもりか?」


 高慢な口調に呆れていると、ルークが葡萄の実を一つ手に取る。

 そのまま唇に押し付けられた。


「む」


 口に押し込まれてしまえば食べるしか無い。私はできるだけ品よく飲み込んで、恨みがましい視線をルークに向けた。

 ルークはにやりと楽しそうに目を細める。


「幼子のように食べさせられたいなら最初からそう言え」

「結構よ」


 元より食べなくても問題無いというだけで、食べることもできる。並べられたビスケットを一枚取り口に運ぶ。

 周りに塩の結晶が付いたビスケットだ。


「ほら、もう一枚だ」


 今度はチーズを乗せて、ビスケットが渡される。黙って口に運ぶ私にルークは、懐かない猫が餌を食べたように嬉しく思っているようだった。

 口の中に、向けられた甘味が広がる。ビスケットと相まって甘じょっぱい。


「これから食事は一緒にとるか」

「は⋯⋯?」

「カミラ、そうしてくれ」


 いつの間にか部屋に来ていたカミラにルークが言うと、それでお嬢様が食べてくださるなら、とカミラは大きく頷いた。


「今後はちゃんと食べるわ」

「信用ならない」


 私の主張はばっさりと切り捨てられ、ルークとカミラはどこで食事をとるかと話し合っている。


「⋯⋯そんなに嫌そうにするなよ」


 顔に出ていただろうか、と私は頬を触りながら、じゃあ、と口を開こうとした。


「一緒に食事をすることは譲らないぞ」


 先回りされた。


「⋯⋯次期領主様と一緒に食事なんて身に余ることだと思っただけよ」

「心にも無いことを」


 ルークは喉の奥で笑うと、自身もビスケットを一枚口に放り込んだ。


「ん、美味いな。リディア、この分だけは食べろよ。昼はほとんど食べてないと聞いた。夜まではまだ時間があるからな」


 そう言ってルークが指したのは盛られたビスケットと果物の半分だ。


「食べさせてやろうか?」


 動物への餌付けの気分なのだろう。

 楽しそうにビスケットを持ち上げるルークに首を振って、私は葡萄を口に入れた。




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