18 甘い
弱く降り続いていた雨が止んだ。
私はルークの腕に抱えられ、屋敷に帰り、泣きながら待っていたらしいカミラに驚愕された。
ルークと私、二人ともずぶ濡れな上に、私は肌にぴたりと張り付いたシュミーズ姿、靴も履いていない。
未婚の娘にはあるまじき格好に、カミラが急いで適当な布を巻きつける。
冷えた私の体に気づいたカミラは湯の準備をしに行き、それまで暖炉のそばで待っているよう言われた。
「それで、全部話してくれるか?」
暖炉の側に椅子を二つ用意してくれたのに、私はまだルークの腕の中にいる。
ルークも疲れているだろうし、自分で座ると言ったが、聞こえていないふりをされた。
顔を上に上げると口付けができそうな距離で、私はルークの胸に視線を合わせたまま、口を開いた。
生い立ち、恋人との出会いと突然の別れ、悪魔との契約、各国を彷徨っていたこと、寂れた小屋で眠りにつき、ルークに発見されたこと。
ぽつぽつと話す私をルークは背を撫でながら聞いていた。
「大変という一言では片付けられないが、よく頑張ったな」
私を受け入れてくれるルークの言葉で、体が軽くなっていく。
またじわりと涙が滲みそうになって、瞼に力を入れた。
気づいたルークが苦笑しながら私の瞼に口付けを落とす。
「⋯⋯っ何」
「はは。百三十年近く生きているのに、この反応なのか」
声を出して笑うルークに私の潤んだ瞳は乾き、だんだんと不満が頭を擡げる。
「⋯⋯あなたはさぞかし経験豊富でしょうね」
「ち、違う。⋯⋯そんなには」
冷たい目を向けるとルークはそろそろと視線を逸らした。
「今まで自適に暮らして来たんだ⋯⋯。本気で好きになった人はいなかった。でも、もうお前だけだ」
額に口付けを落とすルークは許してくれ、と懇願しているようだ。そういう様が慣れた男、という感じがするのだけど。
ルーク、と私が呼べば、彼はとても嬉しそうにする。今までは、ずっと呼んでいなかったから。
「本当よね⋯⋯?」
「ああ。神に誓おう」
「残念、私は神は信じてないのよ」
「じゃあ、リディアと悪魔に誓う」
冗談めかしてルークが言って、私もふふ、と笑い声が漏れた。
「⋯⋯なぁ、お前には俺が誰か違う人に見えるのか? 俺を通して誰かを見ている時があるだろう」
不意に言われて、私は体を固まらせた。
確かに、シミオンとルークはよく似ていて、姿を重ねたことがある。
ルークはそれを勘付いていたらしい。
「ぁ、あの⋯⋯」
「さっき言っていた恋人か?」
「えっと」
口籠る私にルークはため息を吐いた。
急いで弁解しなければ、と私は口を開く。
「姿が似てるのだけど、あなたとは全然違うのよ」
「⋯⋯今はその男じゃなくて、俺を愛してるか?」
元恋人と重ねられれば不愉快だろう。
ルークは眉を下げて私を見つめた。
その問いに対しては大きく頷く。シミオンのことも愛しているが、彼との記憶は後悔と悲しみ、それと優しい思い出になっていた。
忘れることはできないし、ずっと心にしこりとして残るだろうが、それは抱えて生きるしか無い。
「名前⋯⋯名前はなんていうんだ?」
「え? シミオンよ。シミオン•マクファーレン」
ルークが今度はぱちぱちと目を瞬く。
「マクファーレン?」
はっとしたように私の顔立ちを見て、立ち上がった。
突然持ち上げられた私は短い悲鳴をあげる。
「ちょっと、どこに⋯⋯」
移動した距離は短く、ルークが扉を開けると、乱雑にものが置かれた部屋にたどり着いた。
屋敷の一室、物置のようなここは、灯りを灯せばさまざまな古いものが光を受けて浮かび上がった。
「⋯⋯リディア。これ」
ルークの指さす方を見ると、埃よけの布に覆われた絵があった。
何だろう。ゆっくり布を外すと、一人の女の絵が現れる。
青い空、ラベンダー畑。その中で黒髪の女性が微笑んでいた。
『ラベンダーの妖精』と書かれた側には。
「シミオン•マクファーレン⋯⋯」
確かに彼の名が刻まれていた。
「俺の曽祖父の父のそのまた母の弟⋯⋯大分遠い親族だが、俺と同じ血も流れている。顔が似ているなんて驚きだな」
ルークは笑って、私の頬に手を当てる。
「ラベンダーの妖精。こうして見るとリディアを見て描いたのがよく分かる。⋯⋯最初から好みの顔立ちだと思っていたが、そういうことか」
ルークの最後の言葉は小さくてよく聞き取れなかった。私が聞き返すと、恥ずかしそうに顔を逸らす。
「⋯⋯幼い頃この絵を見たことがあって、絵の女性に一目惚れをしたんだ。しばらく見なくなって忘れかけていたが」
ルークの頬が赤くなるから、つられて私も赤くなる。
「⋯⋯あの」
「──何してるんですか! お部屋にいらっしゃらないから探しましたよ! さあさ、お嬢様、早く体を温めに行きましょう。坊ちゃまも、ロイ坊ちゃんが湯の準備をしてくれたようですよ」
何か言わなければと思った声は、入って来たカミラの声にかき消される。
また後で会おう、と苦笑したルークに私も微笑みで返した。感情を食べなくても分かる、想いが通じた安心感に私の心は温かくなっていた。
それからカミラには泣きつかれ、ロイには安心した目を向けられた。フィリトン領主夫妻は髪色が変わったことにひどく驚いていたし、屋敷の関わった使用人にもすれ違いざまに振り返られたりしたが、好意的な目でみてくれる者ばかりだった。
セラフィーナはどこから聞きつけたのか、私の体を案じる手紙を何通も送って来てくれて、私がまたグリンハルシュに遊びに行くと伝えたら喜んでいた。
「で? 前までは自分に向けられる感情が味として分かっていたのか」
祝祭から数日。ルークはことあるごとに私を抱きしめたがる。
今も座るルークの膝に私は乗っていて、抵抗しても無駄なので借りて来た猫のように大人しくしていた。
「ええ」
「ちょっと面白そうだな」
「面白く無いわよ。不味い感情が多いし」
ふーん、と声を出したルークはにやりと笑って私の唇に口付けた。
ちろりと唇を舐められて、びくりとした私を楽しそうに見つめる。
「〜〜〜っ」
「これは? 何味だ?」
甘い。甘すぎる。味が分かれば砂糖を大量に含んだ時のような甘みを感じるに違いなかった。
表情を緩めるルークを睨みつけて、今度は私から口付ける。
「ルーク⋯⋯愛してる」
「俺も、愛してる」
ぎゅうと体が折れそうな程抱きしめられて、私はルークの背中を叩いて苦しそうに、でも全身に広がる幸せを感じて微笑んだ。
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