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 私は屋敷を出て行く当ても無くふらふらと歩いていた。

 街の大通りの賑やかな様子と星の装飾、温かな光が遠くに見える。雨の勢いはぽつりぽつりと弱く地面に落ちるだけになっており、高揚した領民には気にならないのだろう。

 領民のほとんどは大通りの方で祝祭を祝っているらしく、私は誰ともすれ違うことは無かった。

 脇腹が裂け、血が滲んだシュミーズ一枚に、靴も履いていない。誰かが見ればすぐに街の警備隊に通報されてしまいそうだ。

 寒くなってきた今の季節にこんな薄着でいる人もいない。冷たい風が肌を撫でる。


 しかし、今の私にはどれもがどうでも良かった。

 正体が知れてしまった後悔と、愛も醒めてしまっただろうルークへの理不尽な怒り。それから、今まで何十年も積み重なってきた諦めが行き場もなく私の体を彷徨った。


 流れの緩やかな川の上にかかる橋の上にたどり着いて、私は何とは無しに水面をじっと見つめてみた。ぽつ、ぽつ、と雨が落ちて、その度に水面が揺れる。

 歪んだ水面でも分かる、白い髪の泣きそうな女。


 餓死、窒息、焼死、失血。百年近く生きてきた中で自ら望んだものもあれば、他人にやられたものもある。その全てが意味のないものだったけれど、溺死はまだ試したことが無い。


 ぼんやりと考えていただけで、実行しようとは思っていなかった。

 でも、思っていたよりも前のめりになって水面を見ていたらしい。強い風に煽られて、怠い体は言うことを聞いてくれなかった。

 冷たい水の中へ真っ逆さまに体が落ちて行く。

 私はその水の冷たさに、ぎゅっと目を瞑った。






 ルークはリディアの姿が見えなくなった瞬間、金縛りが解けたかのように体が動いた。

 彼女を追いかけなければ。

 その考えだけに突き動かされて、リディアを呼ぶ。今まで驚きに指先一つ動かせなかったのが嘘のように無我夢中で追いかけようとした。


「──ルーク! ちょっと落ち着け!」


 いつもは敬語を使うロイの口調が幼い頃に戻ったように丁寧さを欠く。


「ロイ、どけ! 邪魔をするな!」

「一旦冷静になれ! ルーク、お前と、リディア嬢のために言っている」


 ロイがルークを止めようと押しやった反動でよろけめいて、ガチャンと鋭い音と共に棚の方へ倒れた。


「⋯⋯」


 熱が少しだけ冷めたルークはロイを助け起こすが、視線はリディアの出て行った方向を気にしたままだ。


「リディア嬢は人間じゃない」

「それが?」

「彼女は聡い。周囲の目も全部分かった上で出て行ったのが理解できないのか? 僕たちに迷惑をかけまいと自ら屋敷を去ったんだよ」


 ルークはぎり、と奥歯を噛み締めた。


「ルーク、お前は追いかけて彼女に何を言う? 簡単な言葉じゃ済まされない。覚悟を持って出て行ったであろう彼女に、何て言うんだよ!」


 ロイの一言一言は、ゆっくりとルークに入ってきた。言葉を重ねられるごとにルークを冷静にさせる。

 ロイの目は強くルークに訴えていた。

 本気なら。本当に彼女を想っているのなら。中途半端じゃない、お前も未来に対して覚悟を決めるべきだ、と。


「⋯⋯ありがとう、頭が冷えた。俺は心からリディアを愛している。たとえ人間じゃ無かったとしても変わらない。手を取った先がどんな未来だったとしても俺は彼女を選ぶ」


 ルークの視界の端に涙を流したカミラが見えた。


 ルークは何も言わないロイを置いて医務室を飛び出す。

 リディアをすぐに探さなくては。少しの雨も気にならない。そう遠くには行っていない筈、ルークは馬に跨ると、日の落ちた街を駆けた。


 リディアが頑なに自らのことを語らない理由、いつもどこか諦観した目をしていた理由が分かった気がする。

 ルークの思考はリディアと出会ってからのことを思い返していた。

 リディアは、自分がルークたち他人と違うことを知っていて、受け入れられることはないと思っていたのだろう。


 何も知らずにリディアに接していた自分に腹が立つ。しかし、それ以上にリディアがルーク(自分)の愛を信じてくれていなかったことに、体が沸騰するような怒りを感じた。

 リディアが人間じゃないと知ったら、簡単にこの愛が醒めると、リディアを捨てると思われていたということだ。


 ぎり、と悔しさから強く歯を噛み締めて、口の中に血の味が広がった。


 びゅう、と強い風が吹いて、距離を空けた向こう、橋の上に見えた人影がぐらりと体を揺らしたのが見えた。

 遠くからでも分かる真っ白の髪。


 ルークは心臓が止まるような思いで、急いで馬を操り、自身も川の中に飛び込んだ。





 冷たくて、苦しい。私の体は死ぬことができないのに、痛みや苦しみだけは普通の人間と変わらない。

 流れの緩やかな深い川だ。泳ごうと思えば泳ぐこともできそうなのに、私の体は上手く動いてくれなかった。



 ──ぐっ、と大きな体に抱えられて、水面に顔が上がった。


「っはぁ」


 急いで息を吸い込むと、そのまま乱雑に川から地面へ放り投げられる。


「リディア! リディア、しっかりしろ! 死ぬことは許さんと言っただろう!」


 咳き込みながら薄目を開けると、全身を濡らしたルークが私を覗き込んでいた。

 私を助けるためにルークも川の中に飛び込んだらしい。


「⋯⋯ど⋯⋯し、て」

「無事か!? 呼吸はできるか?」


 私は地面に倒れている状態から、ルークに起こされて、座った状態で浅く息をする。

 水は飲み込んでおらず、怪我も無かった。


「⋯⋯だ、大、丈夫。あなたが、どうしてここに」

「お前を追いかけて来たに決まっているだろう。落ちた瞬間が見えて、心臓が止まるかと思った。この短い時間の中で、目の前で二回も死にそうになるなよ⋯⋯」


 私は驚きに目を見開いた。

 ルークの目から涙が落ちていたから。川の水に濡れたからでも雨が降っているからでもない。潤んだ目がじっと私を見つめていて、次には私を抱きしめた。


「⋯⋯良かった」


 私を確かめるように掻き抱いて、肩口に顔を埋める。ルークの濡れた髪が私の首に触れた。

 私はされるがままに抱きしめられている。


「⋯⋯どうして追いかけて来たの? 私は⋯⋯私は、ずっと正体を隠していて⋯⋯こんな、助けてもらうような存在じゃ、ないのに」

「正体が何だろうと、リディア、お前はお前だろう? 今まで接したお前全部が嘘だったのか?」

「⋯⋯っでも、こんな、私は、恐ろしいでしょう? 気味が、悪いでしょう」

「怖くない。俺を傷つけるようには見えないからな」


 この身が悪魔となってから、他人に正体が知れた時には皆私を怖がり、排除しようとした。

 人間は自分と違う、理解できないものを恐怖する。それが普通のことだ。

 なのに、目の前のこの男は私を、まだ、愛していた。

 舌に感じる、慣れた感情。正体を知ってもなお、ルークから伝わってくる愛の感情は変わらなかった。


 どうして、と問う前に、ルークが抱きしめていた体を離す。


「リディア。その身を呈して俺を助けてくれて、ありがとう。俺はお前の正体が何だろうと、気持ちは変わらない。⋯⋯渡したいものがあると言ったこと、覚えているか?」


 服のポケットから、ルークが小さな箱を取り出した。


「愛している。お前の抱えているもの全部を知りたい。俺にも抱えさせてほしい。離れていかないで、ずっと側にいて欲しい」


 俺のことを信じてほしいんだ、と指輪を差し出す。

 じっと榛色(ヘーゼル)の瞳で見つめられて、じわりと視界が歪んだ。冷たい体に流れる涙が温かい。

 私も、ルークのことが好きだった。でも、悪魔の私を愛することは無いんだとルークへの気持ちを殺していた。

 彼の私への愛は一時的なものだとずっと疑っていたのだ。


 今は分かる。緊張と心配の味の中、甘い甘い感情が舌を焼くほどに感じる。


「私も⋯⋯ルーク、あなたを愛しているわ。本当は離れたく無い。ずっと側にいたい」


 口にしたら押し込めていた思いが膨れ上がった。涙に濡れた目で見つめ、我慢ならずにルークの唇に自分のそれを押し付ける。


 ルークは私の体を痛いくらい抱きしめて口付けに応えた。


 ふわり、体に新鮮な風が通り抜けて行ったような感覚。私の白い髪が視界の端で風を受けたように広がった。

 ルークが私の唇を離して、声を漏らす。

 靡いた髪が落ちた瞬間、白の髪は夜空の藍に変わっていた。


「⋯⋯え」

「リディア⋯⋯髪が」


 呆然としたようなルークが私の髪を梳く。

 ルークは私を見つめているのに、何の味も感じない。

 

「⋯⋯人間に、戻れたの⋯⋯?」


 悪魔になって約百年。私はついに呪いを解いた。




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