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16 正体




「司教! 司教! 大丈夫ですか!」

「トヒル司教が何者かに刺された!」


 耳に痛い女性の悲鳴。会場は一気に騒然となり、数人を除いて司教を避けるように輪ができた。

 控えていた騎士が一斉に動き出すが、犯人が分からないらしく、注意深く視線を彷徨わせるだけ。


「ルーク! 怪我は?」

「無い。父上と母上は?」

「丁度一度下がられた時だ。広間に入らないよう騎士が止めています」


 ロイが走ってきて、私を後ろに庇うように手を広げていたルークが少しだけ緊張を緩める。


 トヒル司教の胸に刺さったのは短剣で、誰がどのようにして攻撃したのかが分からない。犯人はまだ広間にいるのだろうか。人の多い会場の中で、どうやって見つけられるというのだろう。

 一瞬毒草を含んだような痺れが舌に走って、はっとあたりを見渡す。


 混乱している人の中で真っ直ぐに私を見ていた人。薄汚れた靴を履いた少年がすぐに私から目を離す。次に殺意のこもった目を向けた先は──ルークだ。


 素早い動作で服の下に隠した短剣を投擲する。真っ直ぐ軌道を描いた短剣はルークの体を傷つけるかに思えた。


 焼けるような熱さを右の腹部に感じる。

 私は短剣の前に身を投げ出していた。


「リディア!!」


 ルークの焦る声が近くに聞こえて、騎士が少年を取り押さえるような音が小さく聞こえた。


 熱い。痛い。どろりと流れる感覚があって、私にもまだ血が流れているんだと場違いな思考を巡らせる。


「リディア! しっかりしろ!」


 私を呼ぶ声。

 大丈夫。私は死ぬことができない体だから。心の中でそう呟いた。

 でもこれで私が人間でないことはきっとルークに知れてしまうだろう。

 最後に好きなひとを守れたなら良かったじゃないか。

 そう思って微笑んで、私の意識は暗闇に落ちた。







 リディアの体が目の前で崩れ落ちて、ルークは咄嗟にその体を抱き起こす。

 倒れたリディアの正面に、怒りを瞳に宿した少年が再び姿を眩まそうとするのが見えた。


「その少年を捕えろ!」


 騎士数人に体を抑えられた少年はすぐに会場の外へ連れて行かれた。


「リディア!!」


 瞼を閉じた腕の中の温もりに声をかける。

 手に温かい液体が触れて、ルークはぎり、と奥歯を噛み締めた。薄紫のドレスはリディアの血でじわじわと赤色に染まっていく。

 持っていたハンカチで腹部を圧迫するが短剣にざっくりと切られた傷は深く、全く意味をなさない。


「リディア! しっかりしろ!」

「ルーク! 医務室へ向かいましょう」


 ロイの言葉に冷静さを取り戻したルークは、逸る心を抑えて丁寧に、かつ素早くリディアを移動させた。


 医務室に常駐している医者は大きな体で動かすことの困難だったトヒル司教の救命に向かっており、姿は見当たらない。


「あんなじじぃより⋯⋯!」


 舌打ちとともに声が漏れるが、司教を放り出してリディアの処置をしろと命じる訳にもいかなかった。

 ばたばたと音が近づいてきて、息切れをしたカミラが医務室に飛び込んできた。

 カミラはリディアを見て悲鳴を上げるが、すぐにルークとロイを叱咤し包帯とガーゼを用意するよう大声を上げる。


「止血が第一です! 早くお嬢様をベッドへ!」


 寝かせたリディアの顔色は蒼白だ。

 カミラがドレスを脱がせてシュミーズをあらわにすると、ガーゼを置いて、包帯で腹部を巻いた。巻いていく間にもじわりと血が染みていく。


 医務室の外の廊下で、悪魔の刺青が見えた、少年は悪魔教の残党だ、と言う声が通り去っていった。

 ルークはリディアの姿から視線を離さないまま手のひらに爪を食い込ませる。

 リディアの怪我はフィリトンの騎士や、ルークの落ち度だ。残党を取り逃していたことも、広間でリディアが庇うまで少年に気づかなかったことも。


「止まれ⋯⋯!」


 包帯に広がっていく赤が大きくなるほどリディアの命は儚くなる。ルークが祈るように言うと、リディアの口元が僅かに動いた。


「⋯⋯ん、ぱい、しない、で」

「リディア!?」

「す⋯⋯ぐ、なおる」


 ルークが聞き返す前に変化は訪れた。

 包帯の上からでも分かる、真っ黒の呪詛がリディアの体を取り憑き始める。怪我をした腹部からぐるぐると、体を締め付けるように足先、手先まで。段々と色が濃くなっていくようで、あっという間にシュミーズから覗く足は黒色になった。


「何、だ。これは⋯⋯」


 ルーク、ロイ、カミラは息をすることも忘れて目の前の光景に目を奪われる。

 白い髪、呪詛が取り憑く体。それはどうしようもなく聖書の中の悪魔を連想させた。





 傷つけられた右腹部が引き攣れるように痛んだのを最後に、私の体から呪詛の一切が消え去った。


「⋯⋯ぅ」


 怠い体を起こして腹部に手を当てる。包帯の結び目を解けば、ガーゼに隠されたそこには傷の跡形もない綺麗な肌があった。


 視線を感じるだけで三人は何も言わない。

 強烈な酸味、少しの苦味、塩味、痺れ。


 分かっていたことだ。私は意外にも落ち着いて今を迎えることができていた。


「⋯⋯あなたは、一体⋯⋯」

「何だと、思いますか?」

「っ!」


 恐る恐る口にしたロイに質問で返せば、彼はびくりと肩を震わせた。


「傷が一瞬で治るなんて人間とは言えないでしょうね。⋯⋯カミラさん、ロイさん、今までありがとうございます」


 一つ、呼吸を置く。


「⋯⋯ルーク⋯⋯。私、初めて誰かの隣で生きたいと思ったわ。ありがとう」


 初めて彼の名を呼んだ。

 別れの前に心からの感謝を述べる。

 にこりと微笑みかけたが、誰も、何も返してはくれなかった。

 私はベッドから降りて、三人の前を通り過ぎる。怠い体を無理矢理動かしていたからゆっくりとした歩みだったが、簡単に医務室を出ることができた。私が医務室を出てはっと我に返ったらしい、ルークの私を呼ぶ声が聞こえた。

 しかし、もう私は振り返らない。混乱していからか幸い誰とも会うことが無く裏門から屋敷を出ることができた。


 これで良い。

 私は涙が落ちそうになる瞳にぐっと力を入れて、これで良かったんだと言い聞かせていた。







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