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15 祝祭




「これで、良いかしら」


 朝早く、私は部屋で手に持っていた最後の書類に確認の印をつける。

 しばらく前にルークから頼まれていた仕事だったが、この書類を書いた人とも随分親しげになってしまった。顔を見たことは一度も無いが、改善点と案を提案し書類を往復させている内に、向こうからも積極的に返事が返ってきて、ここ最近はこの仕事にかかりきりだったくらいだ。

 普通はここまで熱を入れないらしく、やりとりの文を見たルークは驚いていた。

 それも今日で終わりだ。しばらく前から私は書類の内容には満足しているし、今回で向こうも満足したらしい。


 私は一仕事終えた達成感に、表情を緩めながらぐっと伸びをした。


「失礼致します。カミラです。お嬢様、おはようございます⋯⋯って、あら、もう起きていらっしゃったんですか」


 いつもより早い時間に部屋に入ってきたカミラは、さらに早く起きていた私に目を丸くする。


「おはようございます。この書類だけ見てしまいたくて早くに目が覚めたんです。たった今確認し終わりました」

「こんな朝早くから⋯⋯いつ頃から仕事をされていたのですか?」

「さぁ⋯⋯雨が降る前だったかと思います」


 窓の外を見る。今日はしとしとと雨が降り続く生憎の天気なようだ。私が起きた時にはまだ雨は降っていなかったが、書類を見ていて気づかない内に降り出したらしい。


「まぁ、未明の時間から起きていらしたということじゃありませんか! 今日は祝祭の準備で朝早くから準備を、と思っていましたけど少しは眠った方が良さそうですね」


 そうだ。今日は祝祭当日だった。

 昨日までは覚えていたのに、朝になったらすっかりと頭から抜けていた。


「いえ、大丈夫です。それでカミラさんにもう一度来ていただくのも申し訳ないですし」


 私が首を振ると、カミラは悩むように私を見つめたが、心配しつつも準備を進めることにしたようだった。


「屋敷での祝祭の始まりは昼過ぎだと聞きましたが、早くから準備が必要なのですか?」


 屋敷の女主人である領主夫人の身支度じゃあるまいし。

 首を傾げる私にカミラが、ふっふっふと怪しい笑みを浮かべた。


「そりゃあもちろんです! さあさ、まずは入浴していただいて全身磨きますよ!」

「ぇ」


 体を固まらせる私に気づいていないのだか、気づいていて無視しているのか、カミラは私を浴室へ放り込んだ。



「髪型は如何いたしましょう」

「ぁ⋯⋯緩く編んで、結い上げてもらっても良いですか?」

「首筋が少しだけ見えるようにですね? 後毛も少しだけ出しておきましょうか」


 カミラは素早く私の白い髪を編みながら歌うように言うと、二人しかいない部屋なのにこそこそと耳打ちしてきた。

 坊ちゃまがきっとお気に召しますよ、と囁かれて私の頬が熱を帯びる。

 以前ルークが緩く結い上げた髪型が好きだと言っていたから、これでは好みに合わせたみたいではないか。

 事実そうなのだが、好みに合わせたと気づかれてしまうのは気恥ずかしかった。



「お嬢様、お疲れ様です。終わりましたよ」

「ありがとうございます」


 最後に少しだけ浮いていた髪の毛を編んだ髪に隠して、カミラは私の肩に手を置いた。

 着替えと化粧はもう済んでいる。今はもう昼前で早くから準備したのに時間はぎりぎりだった。


 屋敷で行われる祝祭のパーティーは、フィリトン領主がフィリトン領の賓客を招いて行うものだそうで、私はルークから絶対参加だと命じられている。

 武勲を立てたもの、芸術家、商人など市民も参加するらしく、今日の祝い事にあまり格式張った礼儀は求められていないと聞かされたが、正直気乗りはしなかった。


 街の祝祭の準備を見ていた時の方がよっぽど気分が高揚していたように思う。

 それは大勢の人が集まるパーティーで奇異の目で見られるかもしれない不安からか、どんよりと暗い天気のせいか、ざわざわと落ち着かない心を押し込めて隠した。



 カミラに支えられて、しばらく履くことの無かった踵の高い靴でゆっくりと歩く。


「まぁ、坊ちゃま、ここで待っていらしたのですか」


 部屋を出てすぐ、カミラの驚いた声が聞こえて、はっと顔を上げると、そこにルークがいた。

 黒を基調とした礼服に銀の装飾、首元のタイは私と揃えたように紫色だ。いつもは下ろしている前髪を横の方だけ撫で付けてあって、子供っぽさが消えていた。

 すっと伸びた背が高くて、私はぼうっとルークに見惚れてしまった。


「リディア⋯⋯」


 ルークが私の姿を見て、息を呑んだ。

 彼の目に私はどう映っているのだろうか。

 どきどきと心臓が早鐘を打つ。


「綺麗だ。⋯⋯誰にも見せたく無いくらい」


 私の頬を撫でたルークが顔を近づけた。

 唇が触れそうになる。私はきゅっと瞼を瞑った。


「申し訳ございませんが、駄目ですよ、坊ちゃま。お嬢様の紅が取れてしまいます」

「⋯⋯⋯⋯塗り直せば良いだろう」


 カミラに体を離されて、私は止めていた呼吸を再開した。

 ルークは不満そうな様子だが、私はすぐに距離をとって心を落ち着ける。カミラがいることも忘れて、屋敷の廊下で口付けを受け入れようとしていたことが恥ずかしく、私は耳まで赤くなっているだろう。


「駄目です。もう広間に行きませんと」


 カミラの許しが出ず、私への口付けを諦めたルークはそっと私の手を取った。


「行こうか」

「ええ」

「それと⋯⋯」


 ルークにしては珍しく歯切れが悪い。待っても言い出さないルークに首を傾げて続きを促すと、小さな声が聞こえた。


「⋯⋯パーティーの後、少し時間を空けておいてほしい。渡したい、物がある」

「はい⋯⋯」


 私が頷くと、ルークは安心したように息を吐く。何故か緊張しているルークを不思議に思いながら歩くと、少しも立たない内に広間に着いた。



 ルークと私が揃って会場に入ると、ざわ、と空気が動いたのを感じた。

 見える範囲の人が私たちを見て、瞬きができなくなったように固まっている。

 向けられる視線の分だけ舌に味が溢れかえって、私はごくりと喉を動かした。


 二人が歩みを進め通り過ぎると、周囲の人は金縛りが解けたように動きを取り戻したようだ。

 賞賛や感嘆、あるいは嫉妬や嫌悪。

 耳に届く声は私を蔑むものもあったが、正直こんなものかと拍子抜けしてしまう程度だった。

 けれども悪魔の特徴(白い髪)を持つ私を連れるルークに良い印象を抱く人は少ないのではないかと心配してしまう。


「リディア、皆お前に見惚れているみたいだ。あまり他の男を見るなよ」


 ルークが私の耳に口元を寄せて囁くと、私だけでなく周囲の女性からも息を呑む声が聞こえる。

 見惚れられているのはルークの方だと思う。

 私は咄嗟に何も言えなくて、ルークの胸を押して体を離してと訴える。


「分かった分かった」


 幸いにもすぐにルークは体を離してくれた。


 私は息を整えて会場をぐるりと見渡す。

 豪奢な衣装を着ている人の他に、騎士の隊服を着ている人や、上質ながら簡素な身なりをした商人、丈を引き摺るような衣服を纏う芸術家らしき人もいた。それぞれ思い思いにに過ごしていて格式張った場でないというのは本当のようだ。

 ちり、とした舌の痺れを感じると同時に、祭服を着ていたトヒル司教が見えた。

 私を冷たい目で睨んでいた司教は、横から誰かから声をかけられたらしく次の瞬間にはにこやかに話に応じていた。


「⋯⋯」

「どうした? 何か気になるのか?」

「いいえ。何でもないわ」

「何だよ⋯⋯」

「──ルーク。しつこい男は嫌われるもとですよ」


 落ち着いた声がルークと私の会話に口を挟んだ。四十か五十くらいに見える男女が近づいてくる。

 誰だろう。その疑問はすぐに分かった。


「母上。父上も」

「その子がルークの想い人ね。紫色で揃えたのかしら。とても素敵なドレスね」

「ぁ、ありがとうございます」


 フィリトンの領主夫妻か。私の体が緊張に強張ったのを知ってかルークはするりと手を握ってくれた。

 フィリトン領主は私の姿を見てぴくりと眉を揺らしたが、視線はそのままルークに移った。


「綺麗なお嬢さんだ。ルークがこんな美女を選ぶとはな」

「父上だって、母上のことは一目惚れだったくせに。それに、俺は顔で選んだ訳じゃありませんよ」


 領主の含みを持たせた言い方にルークが反抗するように言うと、冗談だったようで領主は私にじっと目を合わせてきた。


「ルークの父、ダーレン•フィリトンだ。彼女は私の妻でルークの母、ビアトリス•フィリトン」


 ダーレンとその横で微笑むビアトリスに急いで礼をとる。


「リディアと申します。初めまして。少し前から屋敷にお世話になっておりますのに、お礼も申し上げておらず申し訳ありません」

「ルークが勝手に君を連れてきたと聞いた。年齢的には良い大人なのに、無鉄砲な所が抜けなくてね。君に迷惑をかけたんじゃないかとこちらが謝りたいくらいだ。⋯⋯息子は一度決めたら聞かないたちだ。もし君が馬鹿息子を受け入れてくれるというならよろしく頼むよ」

「は⋯⋯ぃ」


 息が漏れたような小さな声も返事とみなしたようで、領主夫妻は手を振って離れていった。


「いきなりで悪いな」

「⋯⋯いえ」


 私の表情を窺うルークに微笑みを返すことはできなかった。今更ながら正体を隠している私にルークからの好意を受け取る資格があるのかと考えてしまう。

 領主夫妻は私のことを知っているようで、きっとセラフィーナとの縁談を断る際に私の話を出したのだろうことがうかがえた。

 多くの人を巻き込んで、いつか必ずルークの元を離れる私は本当に罪深い。


「リディア⋯⋯?」


 ルークの控えめな声と、握る力が強くなった手が私の意識を引き戻す。

 舌に残る苦味に、私は大丈夫、と声に出そうとして、会場に響いた悲鳴が私の言葉を遮った。






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