11 必要なこと
カミラが使用人たちの打ち合わせがある、と今日の散歩に付き合えないと告げに来たのは先程のこと。
セラフィーナが滞在している分、屋敷の警備は厳重で庭園の方にも護衛がいるらしい。
私は頷き、初めて一人だけで庭園へと向かっていた。
庭園の奥から近づいて来る大柄な男。ルークも体を鍛えているが、ヴィダルの方がより硬い筋肉が付いていそうだ。
何気なく視線を向けただけだったがぱちりと視線が合ってしまった。
「ぁ⋯⋯また、会いましたね」
「⋯⋯ああ」
ヴィダルは口数が多い方ではないのだろう。昨日のセラフィーナの横に控えていた時も寡黙な護衛という印象を受けた。
「セラフィーナ様はいらっしゃらないようですが⋯⋯あの方の護衛なのでは?」
「⋯⋯彼女には俺以外にも護衛がいるからな。今は部屋で過ごされている」
ヴィダルの彼女というセラフィーナの呼び方に少しの違和感を感じる。しかし、ヴィダルにそのことを問うような間柄ではない。
そうなんですね、と返すとヴィダルの視線が私の白い髪に留められていた。
「⋯⋯⋯⋯お前も生きるのが大変だろう」
口の中に広がる強い苦味。
私はすぐにヴィダルの言わんとしていることが分かった。
「このフィリトン領はまだ寛容な方だな。⋯⋯俺の命はセラフィーナが生かしてくれているようなものだ。彼女の護衛になっていなかったら、どこかで死んでいただろう。この肌の色に生まれたことを最後まで恨みながら、な」
私は耳横の髪を一房掴み、さらりと梳いた。悪魔の象徴の白い髪。
でもヴィダルと私は違う。彼と違って私は本当の悪魔なのだ。
悪魔と契約したことを後悔はしていないが、自ら望んで堕ちた私は周囲からどのような目で見られようとヴィダルから同情してもらうような女ではなかった。
「あなたは──」
「おい、ここで何をしている」
はっ、として振り返れば額に汗を滲ませたルークがリディアの手を取り自分の体へ引き寄せた。
「あ、挨拶をしただけよ」
「本当か?」
ルークが聞いたのは私では無かった。冷たい視線を向けられたヴィダルだったが、変わらない無表情で胸に手を当て一礼すると、私とルークから離れていく。
「あの護衛も随分な態度だな⋯⋯っと」
私はルークとの触れそうなほど近い距離に気づいて胸を押すようにして一歩下がる。
「外に用があったんじゃなくて?」
「いや、執務室からお前とあの護衛が二人きりでいるのが見えたから来たんだ。何もされてないか?」
ヴィダルからは指一本触れられていないし、第一に声をかけたのは私からだった。
頭にぽん、とルークの手が置かれ、頭の形をなぞるように手を滑らせた感触がする。髪の一房を掴んだ手から、するりと毛先が落ちた。
何か今日は体温が近い気がする。
「何で私に触れる必要があるの」
「別に特に意図は無いが、強いて言うなら触れたくなったからか」
そんな、恋人に言うような事、言わないで欲しい。
「あなたにはセラフィーナ嬢がいるのよ。気安く他の女に触れない方が良いわ」
「はぁ? 俺はセラフィーナ嬢じゃなくて⋯⋯、ちっ」
ルークはあからさまな舌打ちをして、がしがしと自身の髪を乱した。
私は不審に思いながらも、次の言葉を選びながら口を開く。
「⋯⋯もう、この屋敷を離れようと思うの。今までお世話になって、本当に感謝してるわ」
私に他人の温かさを思い出させてくれて、感謝と後悔半分ずつ。後悔は口に出さずに微笑んだ。
「あなたのためでもあるのよ。他の女を屋敷に留めているなんて、彼女、口に出さなくても悲しむと思うの」
「⋯⋯勝手なことを」
「勝手? 私の生き方を関係のないあなたに口を出されることかしら。それともまた『俺の領民だから』と言うのかしら」
ルークが目を見張った。私は必要なことだと自分に言い聞かせて声が震えないよう細心の注意を払う。やはり自分の心に気づかない振りをしていても情が生まれているのだろう。彼が傷ついたように一度眉を歪めるのを見て、ずきりと胸が痛んだ。
息を吐き出して辛さ、塩味、酸味を逃す。
「関係無い、か」
ルークは一度息を吸って、額に手を当てながら長く吐いた。
「⋯⋯また今度話そう。今話したら感情のままに怒鳴ってしまいそうだ」
ルークは無言のままに私を部屋まで送り届けると、手を離し去っていく。
部屋に戻った私はふと、鏡に写る自分を見て唇を引き結んだ。
これで良い。自分で思うよりも情は大きく、私はそれが何を知っていた。
ルークに対する気持ちは恋だ。
想っても決して叶わない。こんな気持ち、気づかない方が良かった。写る白い髪から目を逸らすように顔を背けた。
「本当に良いのですか?」
「ええ、お世話になっているお礼です」
私が今までに刺繍したハンカチを入れた籠をカミラに渡せば、カミラは感極まったように口を押さえて持ち手を受け取った。
今まで暇に任せて刺してきた刺繍は一番最初に刺したラベンダー畑のハンカチを除いて全てカミラに渡した。カミラを通して、私が世話になっている使用人や厨房の者などに渡される予定だ。
手作りというのも恥ずかしいが、貴族令嬢だった時には一流の腕だと言われていた。もし、いらなかったら売ることもできる筈だ。
カミラは丁寧な動作で籠を脇に置くと、午後のお茶の準備をし始めた。
私には必要のない筈の食事も、いつしか当たり前になりつつある。
「あれは、坊ちゃまと、グリンハルシュのお姫様ですね。お嬢様と一緒でお茶でしょうか」
窓の外に見えたらしい景色をカミラはそのまま口に出した。
「そうですか」
「坊ちゃまったらまた今回の縁談も断る気だそうで。屋敷の者も心配しているんですよ。『俺たちの小さな主君はいつになったら結婚するんだ』ってね。これを言っているのは騎士団の者ですが」
カミラが思い出したのかくすくすと笑う。小さな主君というのは領主と区別のために使っているのかも知れないが、立派な男性に対して小さな、というのも可笑しいように聞こえた。
ルークは縁談を断るつもりらしい。
また、どうして。グリンハルシュの地理と特徴はカミラから聞いていた。フィリトン領にとってもこの縁談は是非にとも進めたい筈なのに。
トン、トン、と控えめな扉を叩く音が私の意識を引き戻した。
「何かしら。私が見てきますからお嬢様は待っていてくださいね」
カミラは扉に向かって行って少しも経たない内に私の元まで戻り、伝言を伝えてくる。
それは、明日の昼食を、ルーク、セラフィーナ、リディアの三人でどうかというグリンハルシュの姫からの誘いだった。
領主の娘からの誘いを簡単に断れる訳もなく、私は光栄だと言葉を返す。
「あらあら、では明日はいつもよりさらに丁寧に身支度させて頂かないとですね」
「⋯⋯」
三人の顔ぶれで食事というのも気まずく、ルークに屋敷を離れると告げたばかり。
うふふと嬉しそうに笑むカミラに私が浮かべた表情はぎこちないものだっただろう。