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01 出会い




 想いは毒だ。

 死なせずじわじわと苦しませる毒。

 もう期待することはやめた。

 悪魔の私を誰も愛してくれはしないのだから。

 ──ずっと、そう思っていた。






「おい、おい! 大丈夫か!?」


 焦ったように近づいてくる男の声が、私の意識を深い底から引き上げた。

 今回は何年眠っていたのか、頭に靄がかかったようにぼんやりと刺激が伝わってくる。瞼を開けるなどとてもじゃ無いができそうに無い。

 身体が揺らされる感覚の後に、ひんやりとした手が首に触れた。


「生きてますよ、ルーク。かなり弱いですが脈があります」


 首に触れたのは最初の声とは違う男のようだ。驚きを声に滲ませて、脈を測り終えたのかゆっくりと手が離れていった。

 ふう、と息を吐く音が聞こえる。


「見つけて良かった。こんな身体、死ぬ間際じゃないか。俺の領民が餓死だなんて許さんぞ」

「俺の、じゃなくお父上の領民ですけど」

「いずれは俺の領地だ」


 さようですか、と一人の男が言葉を流し、ようやく周りを見回したらしい。部屋の惨状に声を漏らした。


「⋯⋯散らかってますね」

「かなり埃が積もってるな。人が住んでいたとは思えないが。⋯⋯っくしょい! っくしょい」

「早く出た方が良さそうですね」

「⋯⋯ああ」


 ぐっと私の体は宙に引き上げられた。どうやらどこかに連れて行かれるらしい。

 とん、とん、と男の一歩に合わせて身体が揺れる。

 まだ、私は生きているようだ。

 弱く拍を刻み続ける自分の心臓を恨めしく思いながら、私の意識は再び底に沈んでいった。




 見慣れない天井。伸びきった前髪の隙間から目に映り込む、あちらこちらの装飾を見るに、連れてこられたのは豪華な屋敷だろうか。


「⋯⋯は⋯⋯たか?」

「はい。今は眠っておられます」


 ノックもせずに入ってきた男と、続く落ち着いた女の声。寝ている私の方へ近づいてくる。


「真っ白の髪⋯⋯。痩せ細った老婆、か?」


 何だって?


「⋯⋯ぁ、だれが老婆よ。失れっ、ごほっ」


 あまりにも失礼な物言いに声を返すと、長い間使われていなかった喉が悲鳴を上げた。乾燥と痛みに、目に涙が浮かぶ。

 喉を抑えると、中年の侍女が水を持って身体を起こしてくれた。


「あ、ありが⋯⋯」

「とんでもありません。ゆっくり飲んでください」


 冷たい水を飲み干して、私はやっと息を吐いた。


「⋯⋯驚いた。声は意外に若いじゃないか」


 じっと見つめられた視線に乗せられたのは驚きだった。私は驚きの()()()()()()、ようやく声の主の姿を捉える。


「⋯⋯っ」


 すっと通った鼻筋、濃い茶色の癖のある髪、榛色(ヘーゼル)の瞳。かつての恋人とよく似た顔。

 錯覚かと目を擦るが目の前の男は消えなかった。

 よく見れば彼とは眉の形が違う。意思の強そうな眉。それだけで随分印象が変わって見えた。


「長い髪が邪魔で見えなかった。痩せすぎているが、二十くらいか?」


 腕を組んだまま目の前の男は私を探るような目で眺めた。

 仕草は全く似ていない。

 ()の視線はもっと穏やかで、控えめに微笑む人だった──。


「⋯⋯」


 そこまで思考を巡らせて、私は唇を噛み締めた。顔が似ている他人と彼を比べて感傷に浸るなんて馬鹿らしい。


 私は盛大なため息を吐くと背中からベッドにばたりと倒れる。

 筋力が無いせいで、ただ座っているだけなのに疲れたのだ。

 侍女が心配そうに体を支えようとするが、楽をしたい私に気づいたようにその手を止めた。


「⋯⋯坊ちゃま、女性に対して気安く歳を聞いてはなりません。ましては老婆なんて失礼すぎます。見たところうら若きお嬢様ではありませんか」

「睨まないでくれ。悪かったな。お嬢さん? 医師に見せても栄養失調としか言っていなかったが、気分は?」


 お嬢さん、なんて言葉にむず痒さを覚えながら、首を振った。だるくて起き上がれないのと、強い飢餓感。それらを感じながらも侍女や目の前の男に伝えようとは思わなかった。


「⋯⋯大丈夫、です。それより、ここはどこですか? それと今は何年?」

「大陸歴千七百十年、花の月八日。ラティマ王国、フィリトン領主の屋敷の客室」


 どうりで。天井に見える装飾が眩しい。

 領主の屋敷ならこの豪華さにも頷ける。


「名乗るのが遅れたな⋯⋯俺はルーク•フィリトン、こっちは侍女のカミラだ」


 この屋敷でフィリトンを名乗るのは領主か、領主の息子か。

 ルークがベッドに倒れたままの私を顔を近づけてじぃっと覗き込んだ。

 口の中に広がる酸味が強くなる。


「驚かないんだな。領主の屋敷に連れて来られたとあらば普通の人は多少驚きそうなものだが」

「⋯⋯オダロキマシタ」

「なんて棒読みだ」


 ルークは破顔して笑うと、面白い奴にあった、と言わんばかりに、にやりと口角を上げる。

 口の中の酸味に甘味が加わって、甘酸っぱい野苺のようだ。こくりと唾を飲み込んで私はルークから視線を逸らした。


「お前の名は? ボロ小屋で倒れてたんだが、そのことは覚えているか?」

「⋯⋯リディアです」


 家名は捨てた。


「ここに来る前は──」





『君の望みを叶えてあげようか? 僕と契約をしてその身を堕とすなら、ね』


 遠い昔、私はその言葉に頷いた。

 黒かった私の髪は真っ白に染まり、年をとることも死ぬことも無くなった。


『不老不死は願いの対価だよ。君が最も恐れていること。君の苦しみが僕の報酬だ。とはいえ、これだけの望みのためにいつまでも縛るのは等価ではないな。君にとって1番難しい──君が心から誰かを愛し、愛されれば呪いは解けるよ』


 そう言って笑った悪魔の顔は、悪魔とは信じられない程ひどく清純なものに見えた。

 今ではその、付け加えられた言葉も私を苦しめるためのものではないかと思っている。


 自分に向けられた感情を糧に生きるようになった(悪魔)は各国を彷徨うように生きた。奴隷に身を落としたことも、見せ物小屋の歌手となったことも、商人となったことも、またただの庶民のように生きたこともある。

 しかし、どこに行っても、変わらない姿、悪魔を想起する真白の髪は人々から恐れの対象になった。

 百年がたち、適当にたどり着いた小屋で眠ってみようと目を閉じた。他人からの感情()がなければ死ねるかもしれないと思ったからだ。


 しかし、眠ってから三十年、どうやらそれも失敗らしい。





「⋯⋯あまり良く覚えていません」

「そうか」


 少しの間をどう捉えたのか、ルークは眉を顰めるとベルで部屋の外に控えている侍女を呼び、食事の準備を言いつけた。

 私の口の中に広がるのは苦味。苦味は心配や懸念、謝意や後ろめたさだ。

 私は舌に残る味を不思議に思いながら運ばれてくる料理に視線を移した。


「少しずつで良いから食べろ」

「食べなくても問題ありません」


 病人食のような粥は、湯気が漂って温かそうだった。卵と小さく刻まれた野菜が入った粥で口に入れたらきっと美味しいのだろう。

 だが、悪魔の私には必要無い。


「野菜嫌いか⋯⋯?」


 じとりとした目を向けてくるルークに、カミラが坊ちゃまこそ、と呟いた。

 ルークはカミラを無視して、私の側に皿を近づけた。


「食べないと死ぬぞ」

「⋯⋯⋯⋯」

「ちっ、重症だな」


 辛い。口に微かな辛みを感じる。これはきっと怒りだ。


「⋯⋯カミラ、こいつの世話を頼む。おいリディア、お前しばらくここから出るなよ」

「え⋯⋯?」


 私に世話なんて必要無いのに。ベッドから起きあがろうとするが、残念なことにお腹に力が入っただけだった。


「フィリトン領主の息子が屋敷に連れてきたんだ。健康になってもらわないと困る。逃げようと思っているような表情だが⋯⋯逃げられると思うなよ?」


 にやりと口角を上げて笑う表情は、やはり()と全然似ていない。


 こうして突然、悪魔の私と次期領主様との生活が始まった。






閲覧ありがとうございます。

ハッピーエンドまで見守ってくださると嬉しいです。

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