6. 官僚と王子様の猫
アンジェラの朝は早い。
誰よりも早く学校に行かなければならないからだ。
普通の登園時間に校舎までの道を歩いていた時、窓から生卵が投げられたし、渡り廊下からは汚水をかけられたこともある。
きっとレティシアに遜っている「友人」達だろう。
彼女たちはアンジェラを汚したいし、醜くしたいのだ。
大好きな図書館に行くと始業時間にまた校舎まで歩かないといけないので、校舎内にある自習室に向かう。
教室もまた、友人のいないアンジェラにとっては息苦しい場所なのだ。
いつもの窓際の席に腰掛け、ノートを広げる。
勉強・・・
これだけが何の力もないアンジェラがカートライト家から脱出する方法であった。
説明しよう。
この国は王国で、貴族が領民を治める形態ーいわゆる封建的な政治形態を採用している。
実際、国王を議長とする貴族院は政策決定の重要な機関である。
だがそれは国民に広く受け入れられている。
その理由は、実際のところ政策執行ーーーつまり行政は官僚体制によって運営されており、その官僚になるための試験は平民にも広く間口が開かれているためだ。
高い教育水準を保てる貴族がやはり試験において有利なものの、官僚の3割は平民であり、貴族院を通過した政策が行政レベルで平民事務次官によって形骸化されるーーーなどということも度々起こっている。
こうした政治形態は貴族の反発を受けそうなものだが、意外なことに貴族からも広く受け入れられている。
その理由こそ、アンジェラが必死に勉強をすることに帰依する。
官僚になると、その人物の監督権は家ではなく王家に委譲されるのだ。
もともとは、優秀な官僚が家の都合で退職させられることを防ぐという王家の自己中心的な理由から作られた制度であったが、世の中には家に縛られたくない貴族が多くいた。
つまり、次男・三男や令嬢、分家筋、毒親の被害にあった子などが強くこの制度を支援し、官僚が王家に管理されることに貴族院が反発することは難しかった。
「さぁ、勉強しなきゃ」
ノートを開いてカリカリと一生懸命やっていると、誰かが自習室に入ってきた。
レティシアの手下や私のことを手篭めにしようとする男どもじゃないといいけど。
アンジェラはドキドキしながら、その人物に気づかないフリをした。
目が合うと話さないといけないかもしれない…そう心配したけど、その人物が話しかけてくることはなかった。
始業時間が近くなったので、アンジェラは荷物をまとめて立ち上がった。
「え、ヘンリー殿下?!」
自習室に来ていたのは、なんとヘンリー王子だった。
アンジェラは慌ててカーテシーをした。
「やぁ、昨日ぶりだね」
「昨日は大変お世話になりました。あの…殿下もこちらでご勉学を?」
あなた、王室専用のお部屋持ってるじゃない…
アンジェラは心の中で首を傾げた。
「君に会えるかなと思って」
王子はにっこりと笑って言った。
あらやだ、王子に後光が射してるわ…拝もうかしら。
キラキラスマイルが眩しすぎる…
「ははは、そんな呆然としないでくれよ、やっぱり君、僕の猫にそっくり」
「はい?!猫?!」
「うん、写真見る?」
王様が差し出したのは、シルバーの毛並みの長いペルシャ猫だった。
美しい…とはちょっと言い難い。
目が斜視になっており、鼻が潰れている。
ブサかわいいとは言い得て妙な例えである。
「目の間隔が離れてますね」
「うん、君みたいじゃない?」
「気にしてるんですけど」
「そこがいいんだよー!このブサかわいいかんじ!」
「ブサって言いましたね」
「いいじゃん、君はブサイクなんて言われたことないでしょ?」
「確かに」
「げ、自分で言ってるし」
「ただの反射です」
ニコニコした王子がアンジェラを見つめる。
「僕の猫にそっくりの君が、辛そうにしてたから心配したんじゃないか」
「え…」
アンジェラは思わず赤くなった。
ちょっと、いや、すごい嬉しい…
「だからさ、生徒会入らない?」
「はい?」