5. 侯爵家の闇
「ハル兄様、エスコートをありがとうございました。それでは私は少し休みます」
「少し話してもよい?」
そう言ってハロルドは部屋に入ってきた。
「今は疲れておりまして・・・」
「不安なんだ、アンジェラ。君がどこかに行ってしまわないか」
「どこにも行けませんわ・・・」
「でも勉強を頑張っているじゃないか」
「それが学生の本分ですわ」
「どこかに行くために、何かになるために勉強しているわけではないんだね?」
アンジェラは答えなかった。
「俺とアンジェラの結婚は、父上が許可してくれないかもしれない。父上は君を閉じ込めるつもりだ」
「気づいております」
「父上は・・・君とニーナ様の美貌の虜なんだ。ニーナ様が老いていったら君を側に置くつもりなんだ」
「はい、そうだと感じております」
「なぜ君はそんなに冷静でいられるんだ?!」
アンジェラは必死そうなハロルドを見つめた。
おじ様がお母様を見る目にはずっと気づいていた。
お母様だけでなくお父様だってそれに気づいていたけど、目線のことなんて誰も非難できない。
しかしお父様が馬車の事故で亡くなり、お母様はおじさまの所有物になった。
そしてお父様が生きていらした頃におじ様がお母様に向けていた視線は、今度は私に向けられるようになった。
まるで、次の獲物を見つけたと言わんばかりの視線である。
お父様が生きていらしたら、私は未だにレティシアに陰で虐められ続けていたけれど、でも結婚して自由になるという夢を見続けることができた。
変な噂からだってお父様なら守ってくれた・・・
だけどおじさまは、変な噂によって私が結婚できなくなることを歓迎している。
だから噂だって放置している。
本来であれば、当主が家の利益にならないことをしている場合、それを諌めたり何らかの対処を考えるのは、次期当主の役割である。
アンジェラは妾の子であっても、カートライト侯爵令嬢と名乗っている。
令嬢の悪い噂はカートライト家にとっても不利益である。
しかし問題は、ハロルドもまたアンジェラの美貌の虜になっていること。
ハル兄様は、口では「君の味方だ」と言いつつ、私が結婚できなくなるような今の状況を好都合だと思っているのよね。
だから、おじさまを非難しつつ、おじ様の行動を諌めない。
アンジェラは檻に閉じ込められ、その檻がどんどん小さくなっているような気持ちになっていた。
この檻から出してくれる王子様なんていない。
自力で出なければならない。
はぁ、疲れた・・・
「ハル兄様、私本当に疲れているんです。どうか今は一人にさせて下さい」
「アンジェラ・・・」
ハロルドはガバリとアンジェラを抱き寄せた。
「どうか俺に頼ってくれ。君の噂を消そうと俺も頑張っている」
嘘ばっかり。
アンジェラは嫌悪感で身を固くして、そっとハロルドを押した。
「噂のような身持ちの悪い女ではないので、どうかお手柔らかにお願いいたします・・・」
「ハッすまない、つい・・・」
「大丈夫ですわ。少し横になります。失礼いたします」
少し強引だったかしら。
反抗的になったら本当に閉じ込められてしまうかもしれないから従順でいなければならないけど、本当にうんざりするわ。
ふとアンジェラは、ヘンリー王子にお姫様抱っこをされた自分を悔しそうに見つめる姉レティシアの顔を思い出した。
「あなたは私がこんな状況にいることも知らず、私の外見だけを見て妬ましいと思っているのね。本当に馬鹿みたい。無いものねだりも良いところよ」
アンジェラは独り言を言って眠りに落ちた。