104話 きみの為に
突然の出来事に、全員が凍りついたように動かなかった。
いや、正確に言えば、動けなかったのだ。
「き、貴様ッ!? この僕に何を、なにをなにを――」
最初に口火を切ったのはラインハルトだった。
打たれた左頬を抑え、怒りと狼狽が入り混じった形相でミステルを睨む。
「ニコは……貴方たちにあんなことをされたのに。貴方のことをずっと心配していました。助けようとしていました」
ミステルが呟く。
「どうして……?」
「ああッ!?」
「どうして! その想いを、優しさを!! 平気で踏み躙るような真似を――どうして、できるんですか!?」
ミステルの声は震えていた。
「だ、黙れ、女! 貴様には何も関係がないだろうッ!」
「関係なくありません……この人を侮辱することは……誰であろうと、何があろうと、わたしが絶対に許さない」
彼女の表情は窺い知れないが、その声色は明確な怒気を帯びていた。
「な、なんだ――貴様、瞳の色が変わって――? いや、待てよ。貴様はまさか……その赤い瞳は――!」
ラインハルトはミステルの顔を見て、ようやく気付いたのか、ハッとした様子を見せた。
「思い出したぞ! 貴様、この男と一緒に追放した、あのときの赤目持ちだなッ!」
彼は再び下卑た笑みを浮かべ、鞘に収められた聖剣に手をかけた。
「そういうことか。ニコ。追放された後、お前はずっとこの女とつるんでいたんだな! ハッ、はみ出しもの同士が哀れにもキズの舐め合いをしていたということか。見苦しいなッ!」
そう吐き捨てると、ラインハルトは鞘から聖剣を引き抜いた。
そして、その切っ先をミステルに向ける。
「赤い瞳は呪われし赤い月の証。しかもエルミアの勇者であるこの僕に手を上げるなど、到底許されぬ狼藉だ。魔族の眷属め。今ここで聖剣の錆にしてやろうか」
「やめろラインハルト! やめるんだ!」
今、彼女はなんの装備もしていない。この状態で攻撃を受けたら、如何にミステルといえどもタダではすまない。
俺はミステルを守るために、彼女の元へ駆け出す。
しかし――
「させませんわ――氷檻」
マーガレットが俺に向けて魔法を放った。
途端、俺の周囲を取り囲むように、身の丈程の巨大な氷柱が複数出現し、行く手を阻む。
「――ッ!?」
「そこに控えなさい。これからラインハルト様は勇者としての務めを果たすのですから」
「ふ、ふざけるなよ……! ミステル! 逃げて!」
俺は必死に叫んだ。
しかし、彼女は動かない。
「聖剣解放――」
ラインハルトが詠唱すると、彼の持つ聖剣から、青い燐光が放たれた。
「怖いか――?」
「……」
ラインハルトの問いに、ミステルは沈黙を返す。
「ほう、聖剣の力を前にして、まだこの僕にそのような目を向けられるとはね」
ラインハルトはそう呟いて、歪んだ笑みをミステルに向ける。
「そうだな、その醜い赤目は別として、顔立ちはそう悪いものではないな。それに僕は気の強い女は嫌いじゃない。どうだ、今なら泣いて謝れば、命だけは助けてやらないこともないぞ」
ミステルに向ける彼の目は鋭く尖っていた。
しかし、彼女は臆することなく、一歩も引かない。
そして――
「ふふっ――」
ふと、微笑んだ。
「何がおかしい?」
「いえ、あなたが勇者を名乗っていることが、なんだかとても滑稽で」
「なんだと……?」
「この赤い瞳のお陰で長く独りだったわたしですが、それでもここ最近は、以前のわたしからは考えられないくらい、沢山の人たちと出逢うことができました」
ミステルはそこまで言うと、チラリとこちらに顔を向けた。
「その誰もがわたしに優しく、温かく接してくれました。皆、わたしには勿体ないくらいの、素敵な人たちばかりだった――」
ミステルははにかんだように少し微笑んだ後、すぐ視線をラインハルトに戻す。
「あなたの持つその聖剣は、人族が持つ対魔族の決戦兵器なんですよね。それはつまり、遍く人を護るための剣じゃないんですか?」
「貴様――何が言いたい?」
「それなのに。なぜ聖剣は、そんな素敵な人たちを差し置いて――その剣を人に向けるような、あなたのような人間のクズを持ち主として選んだのか、不思議でならない」
「黙れ――」
そしてミステルは大きく息を吸い込んで、叫ぶようにして言った。
「いいえ、黙らない。あなたは勇者なんかじゃないッ! 与えられただけの力を見せびらかして粋がるなッ! あなたなんて、錬金術師ニコ・フラメルの足元にも及ばないッ!」
「――黙れええええッ!」
ラインハルトは激昂する。
「魔族めッ! そんなに死にたいのなら、望み通り死をくれてやる!」
そう言って彼は、聖剣を振り上げた。
***
俺は氷の檻の中で、ラインハルトと対峙するミステルを見つめながら、何もできない自分の無力さに、唇を強く噛み締めていた。
ミステル――
君は、俺のために本気で怒ってくれている。
君は、俺なんかのちっぽけな名誉を守るために、たった一人でラインハルトに立ち向かってくれている。
なぜ――?
どうして君は俺のためにそこまでしてくれるんだ。
自分の身を顧みずに、俺なんかのために――
逃げればいいんだ。はやく逃げてくれ。
そう思った、そのとき。
俺の脳裏に、ある夜の想い出が、走馬灯のように蘇ってきた。
それは、ドラフガルドにて。
フリームニルを討伐する前夜のこと。
ミステルの弱い一面を知って、俺が初めて彼女を抱きしめた夜。
あの日交わした約束を俺は思い出していた。
『ニコ、わたしも覚悟ができました。あなたの相棒として、全力であなたの命を守ります』
そうだ、俺たちは。
『だから、ニコも全力を尽くしてください』
お互いが守り、守られる。
相棒として――
『わたし達が――いつまでも一緒にいられるために』
俺は彼女の言葉をハッキリと思い出した。
そうか。
やっと分かった。
あのときの誓いのとおり、彼女はただ全力で俺を守ってくれているんだ。
俺の命のみならず、俺なんかのちっぽけな誇りも。
自分の命を賭してまで。
きみは――
思わず、目の奥からじわりと熱いものが込み上げてくるのを感じた。
目の前の視界が滲む。
俺は溢れそうになるそれを、慌てて手のひらで抑えた。
何をやっているんだ。
今は泣いている場合じゃない。
俺がやるべきことはただ一つ。
そのとき、俺の視界に――
ミステルに向かって聖剣を振り上げるラインハルトの姿が映った。
そう、俺がやるべきことは。
きみを。
俺にとって大切な女性を守ることだ。
あの日の誓いのとおり。
己の命を賭して――!
***
刹那――
俺は腰に差した炎の短剣を引き抜いた。
その刀身に向けて、ありったけの魔力を流す。
「燃え猛ろ、炎の短剣――!」
魔力の流入を受けて炎の短剣は真紅の輝きを放つ。
そして、俺の激情に呼応するかのように、紅蓮の炎を身に纏った。
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