101話 大切な人に悩みを打ち明ける
「ニコ……?」
不意に名前を呼ばれて、俺はハッとした。
ミステルの方を向くと、彼女が不安げな表情でこちらを見つめていた。
どうやらしばらくの間、考え事をしてしまっていたらしい。
「どうしましたか、その……さっきから浮かない顔をしているような」
「あーえっと……」
どうしたもこうしたもない。
ミステルがそばにいるにもかかわらず、俺が勝手に自分の問題を思い出して、憂鬱になっているだけだ。
俺はラインハルトの件にミステルを巻き込みたくなかった。
奴は一度、ミステルに偏見に満ちた態度を向け、侮辱し、追放という形で彼女の居場所を奪った。
まあ、当のミステル本人は、その行為に対して歯牙にも掛けていない様子だけど。
それでも、ラインハルトとミステルが再び邂逅することで、また同じようなことが起きるかもしれない。
「ごめんね、なんでもないよ――」
だから、俺は慌てて笑顔を取り繕う。
しかし、ミステルは何かを察したように、少しだけ悲しそうな顔をした。
「昨日の夜も、おんなじ顔をしていました……なんとなくわかります。きっとニコが何か悩みを抱えているんだろうって」
ミステルの瞳に、心配の色がありありと浮かぶ。
「もちろん……無理にとはいいません。だけど、もしよかったらわたしにも相談してください。解決はできなくても、一緒に悩むことはできます――」
そう言うなり、ミステルは自身の右手を俺の左手に重ねた。
彼女は俺の目をまっすぐ見つめてくる。
「わたしはあなたと楽しいことだけじゃなくて、辛いことや悲しいことも分かち合いたいです」
彼女の手は柔らかく、そして温かかった。
自分の心の奥底にある、冷え切った感情が温まるのを感じた。
「ミステル――」
ああ――このぬくもりに触れたら、もうだめだ。
俺は彼女に甘えてしまう。
自分の弱くて柔らかいところを――全部、さらけ出してしまう。
それが嫌なのに、でも抗えない。
だって、彼女ならきっと受け止めてくれるだろうという確信があるから。
だから、俺はゆっくりと口を開いた。
「ミステル、実は――」
***
俺はミステルに洗いざらいを打ち明けた。
昨日、ラインハルトと再会したこと。
そこで交わされた言葉と、俺が知り得た青の一党の窮状。
彼から助けてほしいと懇願されたこと。
そのために、自分が持つ回復薬のレシピを、ラインハルトに教えるかどうか迷っていること。
俺が話している間、ミステルは静かに、だけど真剣な表情で、俺の話に耳を傾けていた。
「――そんなことがあったんですね」
「自分でもわかってる。悩むようなことじゃないって。ラインハルトが俺やきみにした仕打ちを考えたら、助けるような義理はないし」
「だけど、迷ってる?」
ミステルの言葉に、俺は小さくうなずいた。
「うん……このまま何も言わずに彼の前から立ち去ることもできる。それこそ、俺たちが受けた侮辱をそのまま返して、目の前で見捨ててやることもできるかもね」
「……」
「でも、それをやったところで……なんだか胸の中にモヤが残るっていうか……なんかこう後味が悪い感じになるだけだと思うんだよ」
ミステルは真剣な眼差しを向けながら、俺の言葉が紡がれるのを待っている。
「ミステルも知ってのとおり、青の一党では、俺はただの『雑用係』だった」
「そんなことはないです。あなたは雑用係なんかじゃ――」
ミステルが言いかけた言葉を遮るように首を横に振る。
「ううん。残念だけどそれが事実」
俺は少し自嘲気味に苦笑して、言葉を続けた。
「だけど、それでも……青の一党は、俺が初めて加入したパーティで。ラインハルト達は……あんな奴らでも、俺にとっては同じパーティの、初めての仲間だった」
俺は自分の心のうちに散らばる、形のはっきりしない気持ちを一つ一つ整理するように、言葉を紡ぐ。
「ラインハルトは俺の力を必要だと言ってくれた。その……俺にできることがあるなら助けてあげたいっていう気持ちが、確かにあるんだ……」
そして俺は小さく嘆息する。
「だけど、ここまで考えるとね。また最初の疑問が頭をよぎるんだ。あんな奴らを助ける義理が本当にあるのかって。はは……我ながらどっちなんだよって。一人で勝手に悩んでるんだから可笑しいよね」
「ニコ……」
ミステルは何かを言いかけて、そして口をつぐんだ。
彼女は何かを考え込むようにうつむき、じっと押し黙る。
しばらくの間、沈黙が流れる。
やがてミステルは顔を上げ、まっすぐ俺を見つめた。
「ニコ、あなたは優しい人です」
「えっ? そ……そうかな?」
突然の褒め言葉を向けられて、俺は思わず彼女に問い返してしまう。
「はい。あなたはいつも自分のことよりも相手のことを優先して考えています」
「そんなことないと思うけど」
「いいえ、そんなことあるんです」
ミステルははっきりとした口調で断定した。
「だって、わたしに対してそうだったから」
「え?」
「あの日、青の一党を追放されたわたしを、あなたは自分にとっての損得を抜きにして庇ってくれました」
ミステルは俺たちが一緒にパーティを組むことになったきっかけの出来事を口にした。
「今だから言いますけど、わたしはあの時、嬉しかった。こんなわたしのことを庇ってくれる人に、生まれて初めて出逢ったから。だからあの日、わたしからニコをパーティに誘ったんです」
ミステルは両手を胸の前で合わせながら、少し恥ずかしそうに口元に微笑みを浮かべる。
「その……あなたと別れたくなくて。正直、勇気がいりました。ふふ、でもあのとき勇気を出してよかった。そのおかげで今、わたしはあなたの隣に居ることができるんですから」
「ミステル……」
「ごめんなさい、話がそれちゃいましたね」
ミステルは言葉を続けた。
「とにかく、あなたは誰よりも、きっと自分が思っているよりずっと、優しくて、素敵な男性です。そんなあなたがラインハルトを助けたいとほんの少しでも思っているなら、きっとそれがあなたの本心だと思います」
「俺の……本心」
「はい。だから――」
ミステルはにっこりと笑って、言った。
「もう一度、自分に問いかけてみてください。自分はどうしたいのかを」
「……うん」
ミステルの言葉が、俺の心の奥深くまで染み込んでいくようだった。
自分のことを素敵だと、そんな風に言ってくれるなんて。
心の中の氷塊が溶けていく。
胸の内がじんわりと温かくなって、心が軽くなるような気がした。
「ありがとう、ミステル。きみのおかげでやっと決心がついた」
「はい」
「俺は――ラインハルトたちを助けたい。アイツらのために俺ができることがあるなら、何かしてあげたい。やっぱり、それが俺の本心だ」
俺はお人好しだ。
よくいえば、優しいし、悪くいえば、甘い。
それが俺の性。
だから、困っていた人がいたら純粋に助けたいと思う。ただ、それだけだ。
大切な人が、そんな俺のことを認めてくれた。
「よし!」
俺はベンチから勢いよく立ち上がり、ミステルに向き直った。
「ミステル。この後、ラインハルトたちに会いに行こうと思うんだ」
そして、少しだけ躊躇した後、俺は彼女に告げた。
「その……一人だと心細くて……君も一緒についてきてくれると嬉しい」
「もちろんです。わたしはあなたの相棒ですから」
俺の出した結論を聞いて、ミステルは穏やかに微笑んだ。
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