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ノケモノロック  作者: やしろ久真
第四章「茜色の手紙」

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第九十三話「それが私の、生きる原動力」


 岡崎先生の車は、エンジン音が静かなハイブリッド車だった。

 曰く、「ワイルドなエンジン音も悪くは無いが、やっぱり音楽を聴くとなると邪魔なんだよな」という。

 その車の助手席に座り、ぼんやりと窓の外を流れる風景を眺めた。

 郊外の街並みはなんだかまばらに建造物が並んでおり、土地を持て余したかのような風情である。

 そこに、一軒のボウリング場が建っている。

 置き忘れたかのような古い建物に向かい、車はそこの地下駐車場へ向かうスロープに吸い込まれていった。

「センセー、本当にこんなところにあるの?」

 後部座席から、多村が身を乗り出して運転席のヘッドレストに肘をつきながら尋ねる。

「ああ。それと危ないから座ってろ」

 ゆるふわカールの、けれど無骨な物言いの養護教諭はそれをたしなめる。


 その週の土曜日。

 私と多村は岡崎先生の計らいで、スタジオという場所に連れて行ってもらえることになった。

 私はスタジオという場所がどのようなところかもわからず、また多村という女子が一緒であることを気まずく思いながらも、岡崎先生と一緒であれば大丈夫という漠然とした信頼があった。


 車はやがて地下駐車場の狭いスペースに駐車すると、私たちは降り立った。

 岡崎先生の後を追うと、地下駐車場から建物に入る入り口がある。

 地上階は間違いなくボウリング場で、建物の上には分かり易いことこの上ないピンのオブジェが聳え立っていたのだが、地下の入り口から入ったその場所は、確かに別な施設のようだった。

 なんとなく、小学生ぐらいの時に母と行ったカラオケボックスを思い出させる構造で、カウンターがあり、狭い通路が伸びた先にはいくつもの扉が並んでいた。

 岡崎先生が慣れた様子でカウンターに予約名を告げると、部屋番号を案内される。

 打ちっぱなしのベニヤ板、壁に貼られた音楽関係のポスターを興味深く見やりながら、私は岡崎先生と多村の後に続いた。


 扉をくぐり、中に入ると、壁一面のガラスが貼られた十畳くらいの部屋であった。

 そこにはスピーカーのような機材と、ドラムセットが一台置かれている。

「さあ、鳴らしてみようか」

 岡崎先生は、私が背に担いでいるギターケースを受け取ると、慣れた手つきで中のギターを取り出した。

 真っ赤で、特徴的な形状のそれを、岡崎先生は楽しそうに抱える。

「はいはーい、私ドラム叩いてていい?」

「ああ。だが、もう少しだけ待っててくれ。優木に説明してからな」

 そうはいうが、多村はぴょこんと跳ねるように一目散にドラムセットに飛びついた。

 直後、ダンダン!という爆発するような音が鳴り響き、私は悲鳴をあげた。


「こら、少し待てったら」

 怯えるように岡崎先生を見上げたが、彼女は多村に目もくれずに言葉だけで注意していた。

「えへへ、久しぶりだからつい」

 と、多村もイタズラっぽく笑っていた。

 私はてっきり、多村が何かを破壊した音かと思っていたが、どうやらあの爆発音がドラムの通常の音であるらしい。

 ただバスドラを踏んだだけだった、ということをこの当時の私は知らない。


「さて、まずは接続してチューニングから始めようか」

 岡崎先生は、私にギターの弾き方を手取り足取り、順番に教えてくれた。

 学校で養護教諭をやっている時は、ぶっきらぼうでどこか適当な物言いも、ギターのこととなれば講師のように丁寧で的確な説明をしてくれた。

 教えてくれる内容もそうだが、この人は本当にギターが好きなのだとしみじみと感じた。


「これで準備はできたな。とりあえず弾いてみろ」

 そう言われ、シールドという線が繋がれた私のギターを受け取った。

「え、と……」

「いいから。誰も文句は言わないぞ」

 岡崎先生は、うっすらと笑いながら背中を押す。


 私は、あの日と同じように見様見真似で弦を弾いた。

 しかし今度は、間抜けな音は鳴り響かない。

 アンプを通して室内を満たしたのは、程よいオーバードライブを纏ったギターの音だった。

 弦の抑え方は何もわからない。

 だから、弦を一本ずつ弾いてみたり、思いっきり振り抜いてみたり、思いつくままに弾いてみた。

 これまで鳴らすことができなかった、本当の音を鳴らすことができたのだ。

 このギターと、何より私自身が嬉しさから高揚した。 

「あったかい……」

 このギターの音を聴いた感想が、私の口からこぼれ落ちた。


「フライングV。とてもいいギターだ。カタログスペックで言えばなによりステージでのインパクトを優先している面を揶揄する人もいるが、この形状特有の甘くて暖かいサウンドは他にはないだろうな」

 岡崎先生はギターの解説をしてくれてた。

 というか、これはA字型ではなくV字型だったのか。なぜ逆さまに見ているんだろう。

「あの、先生」

「ん?」

「……私に、ギターを教えてくださいっ! あの、たまに話をしてくれるだけでもいいんで。私、このギターを絶対弾けるようになります」

 私は、胸の内に湧き上がる暖かい衝動に突き動かされ、そんなことを口走っていた。

「ああ、もちろんだとも」

 岡崎先生は、そんな私に頷き返した。

「ええー、アリサだけズルい! 私もドラム叩きに来ていいですよね?」

「さて、どうだろうな。うるさいしなぁ」

「ええー、静かに叩きますからー」

「静かに叩くドラムがあるかよ」

 多村が減らず口をいい、岡崎先生と2人で楽しそうに笑った。

 なぜか、私も楽しくなって自然と笑みが溢れていた。

 いつの間にか、多村に名前を呼び捨てにされていることにも気がつかないくらいに。

 こんなに自然に笑ったのは、いつぶりだろう。

 多分、あの日以来一度も笑えていなかった気がした。

 


「あとはベースが居ればバンドが組めるな」

 私たちは、予約していた2時間を過ぎ、スタジオを後にした。

 自動販売機でコーラを人数分岡崎先生に頂き、それを口に運びながらの帰りの車中での話だ。


「そうですねぇ。てかセンセーのギターの弾き方エグすぎて笑っちゃいました。そのゆるふわカールが意外すぎて」

「う、うるさいな。ああいうのは大学を卒業してバンドを引退するときに全部置いてきたんだ。私は擁護教諭の"みかちゃん先生"として生まれ変わったんだよ」

 少し照れながらも、けれど笑いをこめて岡崎先生は言った。

 岡崎先生は学生時代、女性メタルバンドとして活動していたという。


 スタジオでひとしきり私へのレクチャーが終わった後、試しに先生が弾いてくれることになったのだった。

 ゆるふわカールで、柔らかいピンクのカーディガンを羽織った女性からは想像もできないほどの、激しい演奏が突如始まった。

 ガニ股に挟み込んだギターを指先が連打する。

 鳴り響く音は、私が弾いたジャラン、と言う音とはかけ離れ、プツプツピロピロという機械音の様な音色で、同じギターの音とは思えなかった。

 極めつけには、激しく頭を振りまくった。

 ヘッドバンギングという単語を知らなかった当時でも、その世界がはるか遠くの魔境のような印象を受けたのを覚えている。


 その後、スマホで当時の写真を恥ずかしながらも見せてもらった。

 真っ白な化粧に、悪魔のような顔の紋様。

 ド派手に逆だった長髪は確かに悪魔めいた姿をしていて今の容姿からは想像はできないが、言動の端々から感じる型破りな感じには納得する。

 ちなみにそれを見た多村は爆笑していた。

 

 しかし私は、流れ行く車窓の景色をぼんやりと眺めながら嬉しく思っていた。

 この知性ある岡崎先生でも、バカになる"バンド"というものに、無限の可能性を感じていたのだ。


 私はこの日をきっかけに、徐々に、けれど確実に音楽に深くのめり込んでいく。

 幸い、私には守るべき世間体や人間関係というものが無かった。

 部活や委員会などは所属する意味を見出せず、ある時は勉強までも殴り捨ててギターに熱中した。

 

 学校には軽音学部があったが、所属することはなかった。

 時に岡崎先生の助言を受け、技術をひたすら磨いていった。

 そうすることで、私とこのギターが生きていると言う実感を得ることが出来た。


 それと一緒に、多村が何かと声をかけてくるようになった。

 初めはうるさく、お調子者だと思っていた彼女だったが、声をかけてくるタイミングも良く、伺うような詮索はしてこないというどこか大人びた接し方をしてくれる人だということに徐々に気がついてきた。

 そしてなにより、音楽という共通の話題があるので、会話には困らなかった。

 いつの間にか私は、彼女のことをサキと呼び始め、ある野望を胸に抱くようになった。


 バンドを組みたい。

 そして、このギターと一緒にステージに立ちたい。

 それが私の、生きる原動力となった。

 そこからの日々は、転がる車輪のように加速度を増して過ぎていった。

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