第八十五話「幸せの花園」
◇
光が強く輝けば輝くほど、影もまた色を濃くしていく。
明けない夜はない、止まない雨はないというならば、暮れぬ日もなければ曇らない空もない。
どんな幸せにも必ず終わりは訪れ、そしてそれは唐突である。
物心ついた時から、私は自分自身のことが幸せだと思っていた。
優しくて綺麗でかわいいお母さんと、物知りで手先が器用でなんでも笑って許してくれるお父さん。
三人で暮らす三角屋根の大きなお家は、まぎれもなく私にとっての『幸せの花園』であった。
小学校に上がる前の私は、自分の家の庭に咲く、お母さんが育てている花々を眺めるのが好きだった。
暖かい春の日、私はたいてい庭で一日を過ごす。
そこで色鮮やかな花々をクレヨンを使ってスケッチブックに書き溜めていくのが私の日課だった。
赤い花、黄色い花、青い花。
そのどれもが美しくて、自分の中に取り込むような気持ちで、絵にしていく。
私は庭にどっしりと腰を下ろし、スケッチブックを抱え込んで色を塗り込んでいく。
「あら、あーちゃんは絵が上手だねぇ」
お母さんは私のスケッチブックをのぞき込みながらそう言った。
「でしょ!」
私は無邪気に、お母さんにスケッチブックを掲げて鼻息を荒げる。
私は、私のことを褒められるのが何より好きだった。
「あーちゃんは天才だね。将来は画家さんかな? それともお花屋さん?」
「んーどっちもやる!」
「あははは。そうだね。あーちゃんはすごいからなんでもできちゃうよね」
お母さんは家でもそうだが、外で誰かと会ったとき、着ているお洋服とか、身に着けているアクセサリーと同じく、自慢の宝物のように私を褒めて言う。
そういわれると、私も鼻が高いのだ。
「ねえねえ、お母さんはどの花が好き?」
「うーんとね、お母さんはこの赤いバラが好きかな。女の人はみんなバラが好きなのよ」
「そうなんだ! えっとね、あーちゃんはね! これ!」
そういって、指さしたのは黄色く丸みのある重なった花びらが印象的な花だ。
いくつもの花が連なって咲いており、深い緑色の茎や葉とのコントラストも美しく、私はよくこの花の絵を描いていた気がする。
「へえ。あーちゃんはそれが好きなんだ」
「うん、とってもきれい! あのね、幼稚園でこのお花みたいな子がいてね。とってもきれいだねって言ったんだよ」
「そうなんだーすごいねー。そのお花はね、"フリージア"っていうんだよ。あーちゃんみたいに、無邪気でかわいいお花なんだって」
そういうと、お母さんは私の頭をひと撫でして、庭から引き上げ家のリビングへ戻る。
当時の私にはまったく見当もついていなかったが、母は日差しを浴びすぎるのを嫌っていた。私が庭で遊んでいても、基本的には家の中から私を見守っていた。外出するときは、基本日傘と手袋をはめていた。
体が弱いわけではない、ただ日に焼けてシミになるのが嫌だったんだ。
家の中でクーラーの風を浴び、氷がたくさん入ったカフェオレを啜るお母さんの表情は、どこか退屈そうで、その瞬間はいつも少し嫌な気持になった。
夜になると、お父さんが帰ってくる。
お父さんの車のエンジン音は、夜にテレビのアニメを見ていても聞き取ることができるのが私の特技だった。
「帰ってきた!」
私はその車の音が聞こえると嬉しさに飛び跳ね、一目散に玄関へ走る。
その後ろから、苦笑しながらお母さんがついてくる。
「ただいまー。有紗はいい子にしていたかい」
「うん!」
お父さんは、疲れているだろうにそんな素振りを一切見せずに私を抱きかかえる。
両脇の下にお父さんの手が入ると、私の中の嬉しいスイッチが押されるのか、無条件で満たされた気持ちになり嬉しさが爆発する。
「きゃははっ」
「おーよしよし、今日は一緒にお風呂はいろうな」
眼鏡をかけ、オデコが見えるように前髪を立たせているお父さんの、少しタバコ臭いスーツのにおい。
そのどれもが、私にとっては嬉しい要素になっていた。
お父さんは、医療機器メーカの営業として働いていた。
当時の私はもちろん、そんなことを認識はしていない。
営業の仕事は商品の売り込みが主だったのだが、お父さんはトラブルや品質不良品があったりすると、すぐに現場まで飛んで行って謝罪をしたり品物を交換したりしていたようだ。
だから、私が夜眠りについてから帰宅することも多々あった。
お父さんが、私が就寝までに帰宅する日はラッキーデーなのだ。だからこそ、いつしか車のエンジン音を心待ちにするようになっていた。
私を連れてリビングへ戻るさなか、お父さんとお母さんは少し立ち話をする。
「ねえ、祐介くん。今度の連休はどこへいく?」
「そうだな。海外旅行でも行きたいけどなあ。ちゃんと休みがとれるかどうか……」
「もう、年末年始だってそういってたじゃない。ちょっとは家族サービスしてよ」
「あはは。ごめんね紗彩ちゃん。ちゃんと申請出しておくよ」
お父さんとお母さんは、二人で会話をするときはお互いを名前で呼ぶ。
私が間にいるときは、お父さんとお母さんと呼び合うのに。
そうやって会話をしているときは、私が言葉をはさむことができなくなる。
「有紗はどこか行きたいところはあるかい」
お父さんは、そんな私の気持ちに気づいていたのか、私に尋ねる。
「うーんとね、水族館いきたい! ペンギンさんに会いたい!」
「そうかそうか。それなら、今度車で行こうか」
そういわれてしまうと、私の興味は海の生き物たちに移り、両親の会話など吹き飛んでしまうのだ。
そうして、私はお父さんとお母さんと一緒に、日々を楽しい思い出で綴る日常を過ごした。
まるで、作り物の絵日記みたいな日々だ。
楽しい出来事を、きちんと整頓して配分したような、絵にかいたような幸せな一家。
それが私の生まれ育った家庭だった。
◇
小学校に上がり、高学年になったあたりから。
自分の家庭は周りのそれと比べても、とても裕福なものなのだと認識するようになった。
私は学校の授業の一環で、親の職業についてインタビューをし、その感想を作文にする宿題が出された。
ある日のお休みにお父さんを捕まえて、私はインタビューをした。
「それでは、インタビューに協力をおねがいします」
「はいはい」
宿題のプリントには、冒頭で必ず"お願いします"を言うことが義務付けられている。
その棒読みな挨拶にお父さんは苦笑しながら、寝間着のままソファに座りコーヒーの入ったマグカップを片手に私の質問に応じる。
「お父さんのお仕事はなんですか」
「お父さんのお仕事はね、病院にいろいろな機械を売るお仕事だよ」
「そのお仕事の、うれしいことは何ですか」
「うれしいことかぁ。……病院で困っている人が、お父さんの売った機械で助けられていること、かな」
「ふーん」
私はそう言って、お父さんの言葉をプリントにメモしていく。
当時の私は、宿題をこなすために必死に言葉を羅列していただけだった。
だから、お父さんの言葉が本心だったのか、それとも娘には綺麗事でもいいから世の中の不条理からはかけ離れたことを言いたかったのかはわからない。
「それでは、お仕事の大変なところはどんなところですか」
「えー……。お父さんのお仕事はね。信頼関係がすごく重要なんだ。だから、約束の時間に遅れたりとか、うっかりミスをして忘れ物をしたりとかは絶対に出来ないんだ。それから、あんまり気が合わないような人とでも仲良しにならないといけないんだ。少し嫌なことを言われたとしても、ニコニコしているのが……いや、みんなで仲良くなれるような話題を探すのが大変だね」
お父さんは、先ほどの質問とは打って変わりよくしゃべった。
そして、少し言葉の行き先を誤ったのか、最後に軌道修正をしたのが、子供の私でも気になった。
だけど豊作だ、これでプリントの中の作文の枠はほとんど埋まった。
「じゃあ最後の質問です。どうしてそのお仕事をしたいと思ったんですか」
「それはね、沢山お給料をもらってお母さんやアリサが楽しく暮らしていけるようにと思ったからだよ」
「そうなんだ。えーっと、おいそがしいなか、インタビューに協力してくれて、ありがとうございました」
私は、義務付けられた挨拶を述べ、インタビューを終わる。
そのタイミングを見計らっていたのか、お母さんがお昼ご飯をダイニングテーブルに並べ始め、「さあ、そろそろご飯たべよ」と声をかけると、私とお父さんはそろって立ち上がり、芳しい香りのする食卓へ向かった。
◇
後日、学校でインタビューの内容を基にした作文を発表する。
この日は参観日となっており、教室の後ろにはお化粧をしっかりしたみんなのお母さんたちが並び、私のお母さんも教室にやってきた。
「私のお父さんは、病院に機械を売るお仕事をしています。売った機械が、誰かの助けになっていることが、とてもうれしいそうです。大変なこともたくさんあります。特に信頼関係が重要だと言っていました。私も、あんまり仲良くない子とも、仲良しになれるような話題を探して、信頼関係を大切にしたいと思いました。それから、お父さんは、私とお母さんのためにお仕事を選んだそうです。たくさんお給料をもらっていて、お母さんは嬉しいと言っていました。私も大人になったら、お給料をたくさんもらって、お父さんとお母さんを幸せにしたいと思いました」
私の発表には、主に保護者の方からクスクスと笑い声があった。
それの理由はわからなかったが、先生は「はい、上手な発表でしたね」と褒めてくれたので、やっぱり私は嬉しくなった。
授業が終わった後、とあるクラスメイトから「有紗ちゃんのお父さんはいいね」と言われた。
その女の子は、クラスでもあまり目立たない子だったが、私は比較的仲良くしていた。
どうして? と聞き返すと彼女は続ける。
「うちのパパとかサイアクだよ。嬉しいことを聞いてもなにもないとかいうし、仕事終わりにビールを飲むのが生きがいだーなんて。作文ムリすぎてママに聞き直したんだし」
「へえーそうなんだ」
私はこの時、やっぱりお父さんはすごいんだと、内心で喜ぶ。
それまでの日々が、どれほど幸せなものだったのか。
後から後悔したところで、追憶する以外にできることはないのだった。




