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ノケモノロック  作者: やしろ久真
第三章「白昼夢中への疾走」

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第七十七話「川の向こうまで、橋を架けて」


 その日の昼、私の元から走り去った蘭越君を探して、私は市内を駆けていた。

 資源回収は市街地をゆっくりと軽トラックで回り、ひとしきり回収を終えると市外の環境センターへと搬入するはずだ。

 

 いくら蘭越君と言えど、郊外を走る自動車に追いつけるわけがなく、時間的に考えて市街地での回収を終える直前の軽トラックに追いつけるかどうかというタイミングだろう。


 私は息を切らしながら、郊外へ続く国道を進んだ。

 おそらく、環境センターへ行くならこの通りを通るはずだ。

 

 その時、私の傍らを一台の白い軽トラックが通過するのを見つけた。

「あっ」

 声が漏れたのは、軽トラックの側面に貼られた資源回収車というプリントを目にした時だった。

 そして、その荷台には額に入った私の絵が見える。


 まだ、蘭越君は回収できていなかった。

 その事実確認に、少しホッとする自分にさらに嫌気がさす。


 走り去る軽トラックが、前方の大きなカーブを曲がってゆく。

 この曲がり角を行けば、そこからはもう市街地が無く環境センターがある工場や雑木林が続くエリアであり、私にとっては遠い異国のような地だ。

 これで正真正銘、おしまいだ。


 そう思った時だった。

 道路沿いの街路樹の上から、何か大きな動物が飛び出してきた。

 いいや、動物ではない。

 蘭越君だ。

 

 彼はカーブでスピードを落とした軽トラックの荷台目掛けて、街路樹の上から飛び降りた。

 空中で手を広げてバランスを取り、荷台に降り立つ。

 ズシンという衝撃が加わり、軽トラックの運転手は驚いて急ブレーキを踏んだ。

 キィィ! という耳に突き刺さるようなブレーキ音の後、慣性の影響を受けて荷台の蘭越君がバランスを崩し、軽トラックから放り出された。

 

 腕から肩から、地面に投げつけられ、数回転した後、ようやく止まる。

 私は呆然として、悲鳴を上げることすらできず、その場に固まった。


 やがて蘭越君がよろよろと起き上がろうとするのを見て、私は我に返り弾かれたように駆けだして彼の元へ行く。

 軽トラックの運転手は、「あ、あっ、悪戯はやめろよ!」と動揺しながらも叫び、どうやら生きている蘭越君を見てその場から逃げるように走り去った。


「大丈夫!?」

 私は、地面でうめく蘭越君を何とか街路樹の根元、安全な場所に移動させて様子を確認する。

 腕には大きな擦り傷があり、血が赤黒くにじんでいる。頭も切ったのか、額から流血があった。

 私はとりあえずハンカチを取り出し、その傷口に当てる。


「ああ、無事、回収したぜェ……」

 その腕の中には、紛れもなく私の絵があった。

 額も割れていない。きっと、その全身を呈して絵を守ってくれたのだろう。


「どうして……どうしてそこまでするの……私、望んでないよ。もう、捨てるって決めたんだよ……」

 しかし私は、怪我人相手にも関わらず、そんなことを言ってしまう。

 私も気持ちがいっぱいいっぱいになっており、それまでの全力疾走や蘭越君の暴挙を目撃し、気持ちを落ち着けることが出来なくなっていた。

 どうしてみんな、私の言うことを聞いてくれないんだろう。

 いったい私にどうしてほしいのだろう。


「……わりィ。気を悪くしたなら、謝るぜェ。でもよ、この絵はオレにとってはとても大事なものだったんだ。オレが大事にしたいと思ったから、身を投げ捨ててでも守りきったんだ」

 蘭越君は、私の絵を抱きかかえている。


「なんで、なんで蘭越君はその絵がそんなに大事なの?」

 私は素直に尋ねた。

 特別な賞をもらったわけでもない。

 私の技術が優れているわけでもない。

 両親ですら、興味を持ってくれない。

 そんな絵に。

 どうして蘭越君はここまで気持ちを動かされたのだろう。


「……オレは今まで、とある『魂込めた一瞬』を超えることが出来ずにいたんだ。そのことを、才能がないのかもって思っちまってた」

 そういうと、彼はいとおしそうに私の絵を眺めて、語り始めた。


「オレは昔、野球一筋で生きてきた。でも壁にぶち当たって、一緒に乗り越えようって言ってくれる仲間もいなくて、逃げ出しちまった」


「そんなオレをバンドに誘ってくれたヤツが居て。それからオレは歌って、ギターを弾くことしかできねぇけど全力で打ち込んだ。すげえ楽しかった。今度こそ、バンドならオレはどこまでも突き進んで行けるってわかったんだ。オレの将来の夢は、このバンドがずっと続くことだ」


「オレたちのバンドで過去一でいいライブが出来た時があって。でも、その時の歌はオレの歌じゃなかった。だったらオレが一番カッコいい曲を書けばいいって思った。けど、曲のヤバさで言えば、もっと才能を秘めていたヤツは他のヤツだった」


「じゃあオレには何の取り柄があるんだろうなァって、考えちまった。悩んじまった。野球をやってた頃はチームの中じゃオレが一番ヤバくて、周りのみんなから褒められてたのに、ようやく見つけたオレのやりたい事であるバンドで、一番活躍できないのはオレだった」


「オレの作る歌は、川の向こうに居るアイツらにいつまでも追いつけない、そんな気がしていたんだ。オレはいつの間にか、このバンドでお荷物になっているんじゃねぇかって、いつか居場所がなくなるんじゃないかってそんな風に考えちまってた」


 普段の蘭越君は元気がよくて、いい意味で傍若無人で。

 自分の居場所とか他人と比べた才能とか、そんなものに無頓着なのかと思っていた。

 だから、勝手に理想を描いて憧れていた。

 けれど、違う。

 むしろ、一緒だ。

 私と一緒で、ずっと悩んでいるんだ。

 だからこそ、同じ問題を真剣に考えているからこそ、気持ちを分かりあうことが出来るのかもしれない。


「だけど、この絵を見た時に、分かった気がする」

 彼は私の絵を掲げて、見上げる。

「川の向こうまで、橋を架けて。一歩一歩走って、追いつくしかねぇんだ」


「泥臭くてもいい、一瞬で空を飛ぶ翼が無くたっていい、道標になるまん丸いお月様が無くたっていい、オレは暗闇の中でも地に足がついているなら、朝焼けを目指してどこまでも走り続ける。それしかねぇ、それでいいんだって、メッセージを貰った気がするんだ」


 私の絵。

 川の上に橋が架かり、その上を朝日が照らすその様子が、彼には答えとして映ったのだ。


「ライブ、行かなきゃ」

 私は、彼の腕を掴んだ。


 その時、私の携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。

 相手は、神宮寺さんだった。

 短いやり取りの後、電話を切る。

 

 彼女は、複数の知人友人を経由して、私の連絡先を突き止めたらしい。

 少し前から彼女が学校内で孤立無援状態にあることは知っていたから、おそらくかなり色々な人から怪訝な反応をされたり、酷い返しをされたかもしれない。そこまでする彼女にも申し訳ない気持ちになる。

 私は今いる場所を伝えると、迎えが来てくれる内容を伝えてくれた。


 程なくして、柊木さんたちがやってきたのであった。



「クチナシ、頼む。オレは全力で立ち向かうからよォ。オレとライブ、してくれよ」

 ランボーの真っすぐな眼差しに、俺は答えに詰まる。


「……なあ、クチナシ。ワイからも頼むぜ」

 そんなとき、口を開いたのはスパコンだった。

「ランボーはアホで、その上どうしようもないアホだけどよ。こいつの良いところはバカみたいに真っすぐなとこじゃねぇか。それを今更変えることなんて出来ないだろうぜ。それに、こいつが突き進んだ道の後始末はワイに任せておけって。クチナシは道を指示してくれればいいんだ」

 スパコンは、やれやれだぜとばかりに笑みを浮かべて言った。

 こいつは、なんだかんだ言って今までも無鉄砲な妹のしでかしたことの後始末をしてきたのかもしれない。

 そう言われると、勇んでいた今までの自分が少し恥ずかしくなり、俺は冷静さを取り戻す。

 

「……すまん、そうだな。今更、ランボーを責めても仕方ない。俺たちが今できる、最高の演奏をするだけだ」

 そうだ、始まる前から負けを決めつける必要はない。

 勝てる勝算はないけれど。

 はなっから負けるつもりもサラサラない。


 これが俺たち、バンドなんだ。

 一人一人の思いは微妙に違っていて。

 だけど何か繋がるものがあって。

 一人じゃない、だけどみんなでもない。

 俺たちだけの、演奏をするしかない。


「ああ、行こうぜ」


 

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