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ノケモノロック  作者: やしろ久真
第三章「白昼夢中への疾走」

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第五十七話「基本だよ、ワトソン君」

 その夜、俺は地下のシャワールームへタオルと着替えを片手にブラブラ歩いていた。

 バーベキューパーティーはお開きとなり、大人組はリビングルームで晩酌となっている。さすがに大人組は日帰りするとのことで、長岡さんだけが運転手としてノンアルコールとなっているようだ。……でも、何時に帰るつもりなんだろう。


 というわけで、練習とバーベキューのせいで汗と炭火の香ばしい匂いが入り混じった男子共はひとしきりメシを平らげた後、シャワーを浴びることが命じられた。

 順番に入るため、俺がまずは最初だ。

 地下のシャワールームにはわずかに蒸気が籠っており、ふわりとシャンプーのようないい匂いがする。


 ん……いい匂いがするということは、直前まで誰かが使用していたのか?

 そう思いいたった瞬間、シャワールームに誰かいることに気が付いた。


「あ、クチナシ。今上がったから入っていいよ」


 濡れ髪のサラが、パジャマ姿でバスタオルで髪を拭いながら脱衣所の鏡の前に立っていた。

 ……おうふ。

 べ、別に、うっかりシャワーシーンを覗いちゃったーっていうラッキースケベな展開なんて全然期待してないんだからねっ!

 全然がっかりじゃないんだから!


「……なに?」

「いいえ、なにでもありません」

 

 まあ、パジャマ姿のサラを拝めただけでも良しとしようか。



 しかし、事態は俺の知らないところで、刻一刻と進行していたのだった。

 

 俺はシャワーを浴び終わり、寝間着のTシャツにジャージを履き、リビングへ移動した。


 ちなみにこの合宿での宿泊部屋は、別荘の二階にある四つの客室のうちサラと細野さんがそれぞれ一つ利用している。

 客室はもう二つあるのだが、残る男子は三人いるため、部屋が一つ足りなくなる。ならばいっそ全員が一部屋にという話になり、結局は男子三人はリビングに布団を敷いて川の字で寝ることとなった。

 

 合宿の特別講師だったジョニー達は今は地下の遊戯室に移動し、飲み会を行いながら麻雀大会でもやっているはずだ。

 マジで何時に帰るつもりなのだろう。まあ、予定が無いなら明日まで宿泊してもいいんだが。


 今はランボーがシャワーを浴びている最中であり、スパコンはリビングでスマホゲームをしていた。

 サラは既に自室に行っており、就寝前に顔を出すかもしれない。

 細野さんは台所でグラスを磨いていた。


 俺はリビングのソファに腰かけ、埋もれる。

 練習に打ち込んでいるせいか、体も脳も疲れている感じがする。

 スパコンと同じ空間に居るが、四六時中顔を合わせているため殊更会話をする気にもならず、俺はうとうと舟をこぎ始めた。

 遠く、窓の外からは波の心地よい音がする。



 それから、気が付くと俺は寝ていた。

 ソファに横倒しになっており、ハラの上にはタオルケットがかけられていた。

 部屋の電気は消えており、辺りを見回すと誰もいない。


「……んっ、ああ」

 体の節々が凝っている。


 俺は伸びをして、タオルケットを除けた。

 おそらく、細野さんが風邪をひかない様にかけてくれたのだろう。

 リビングの電気が消えていることを見れば、おそらく彼は地下の麻雀大会に呼ばれたか、はたまた二階の自室で休んでいることだろう。

 

 俺はスマホを取り出し、時間を確認する。

 俺が寝ていたのは、およそ一時間程度だ。


 今はスパコン辺りがシャワーを浴びているのだろう。

 俺は喉の渇きを感じ、水を飲むために台所へ向かった。

 台所はリビングルームから廊下に出た脇にある。学校の給湯室みたいな感じで、奥まった空間にシンクと冷蔵庫があり、ちょっとした厨房ぐらいの広さがある。

 

 真っ暗で目が慣れないが、手探りで冷蔵庫を探す。

 その時、俺は何かを踏んだ。

 生ぬるい、どろりとした液体で、俺は密かにキャッと悲鳴を上げる。


 そして、左手を壁に這わせた。

 手がスイッチに触れ、灯りが点く。


「……うそ、だろ……」


 俺の視界に飛び込んできたのは、台所にうつぶせに倒れるランボーの姿だ。

 彼は頭から赤い液体を滴らせ、その真赤な水たまりに沈んでいる。

 ピクリとも動かない姿に、俺は思わず悲鳴を上げた。



「で、いったいこれはどういうことかしら……」

 リビングルームには、今この別荘に滞在している全員が顔をそろえている。

 俺、スパコン、サラ、細野さん、ジョニー、相川さん、長岡さん。

 七人は神妙な顔で状況を整理する。


「わ、分からん。俺が見つけた時には既に……」

 俺は動揺を押し殺しながら、状況を説明した。


「そう……状況から見て、誰かがランボーを撲殺したとしか思えないわね」

 サラが、至極冷静な口調で告げる。

 その瞬間、場の空気が凍り付くのを感じた。

「だ、誰かって誰だよ……」

 スパコンが周囲を見回す。


「まあ、この屋敷にはテラスなどから部外者が入ろうと思えば入れなくもない。しかし、金品を取られた形跡も部屋を荒らされた形跡もないようだね」

 細野さんが腕を組みながら呟く。

 そうだ。仮に強盗が押し入ったとしても、目的が金品であるならこっそり盗んでいけばいいんだ。そして、ただ暴力を振りまくだけの狂人ならば、リビングルームで寝ていた俺が真っ先にやられなくてはおかしい。

「ということは、この犯人はこの中に居ると考えるのが自然ね。誰かが突発的にランボーに殺意を抱いたのよ。つまりは単独犯ということかしら」

 サラが、そう結論付ける。


「おいおいマジかよ……俺は殺人犯なんかと一緒の部屋には居られねぇぞ!」

 そういいながら、長岡さんはリビングルームを飛び出し、地下へと向かった。

 残された一同は、言葉を失いながらもその場から動く者はいなかった。


「ふん、で、どうなんだ。ここに人を集めたということは、各自のアリバイでも確認していくか?」

 ジョニーが長岡の様子に嘆息しながらも提案する。


 犯行は、少なくとも俺が寝ていた一時間の間に起ったはずだ。

 その時の各自の動きを確認していこう。


「いいわよ。とはいっても、私と藤木君と長岡君はずっと地下に居たわ。途中で、お風呂上りの須原君が混ざって、四人で麻雀大会をしていたのよ」

 相川さんがそう説明する。なるほど、それなら、少なくとも大人三人とスパコンのアリバイはありそうだ。


「ワイはランボーが風呂から上がってきてリビングに来たから地下に降りたぜ。その時、遊戯室から騒がしい声が聞こえたから、三人は中に居たはずだ。シャワーを浴びている最中も話し声はずっと聞こえたぜ」

 スパコンも自分の行動を説明する。

 俺が寝ている感に、ランボーは一度リビングにやってきたのか。


「私はずっと二階の部屋に居たわ。けど、途中で細野さんが上がってくるのが見えたわ」

 サラが腕を組みながら、自分の行動を思い返すように喋り、細野さんを見やる。

「そうだ。私は彼……蘭越さんがリビングに戻ってきた後、二階の自室に向かったね。そこで、彼女が自室に居るのを見かけたよ」


「部屋の中まで覗いたんですか?」

 俺は素直に気になったことを尋ねる。


「その時私はベッドのシーツを替えていたのよ。埃が舞うから窓とドアを開けていたわ」

 サラが説明をする。前を通りがかった際に見かけたということか。

「それ以降はドアを閉めたけれど、細野さんが一階に降りた様子はなかった。下の階に向かったのなら足音には気が付くはずよ」

 サラがそう締めくくる。


「ということは、ランボーは風呂から上がって、スパコンと入れ違いになりリビングへ。その後細野さんが二階に上がり、リビングには寝ている俺だけ……」

 いったい誰が犯人なのか、見当も……。


「あれれ~おかしいよぉ~?」


 その時、スパコンがやけにムカつく、したっ足らずな声で言った。

 見た目はまあまあ大人! 味覚は子供! 好きな食べ物、チーズ牛丼! とでもいうかのようなスパコンもといスパコナン君が眼鏡を輝かせながら語る。


「……だって、クチナシは目が覚めた時、辺りは真っ暗だったんだよねぇ? ランボーがリビングに居たのなら、細野さんは電気を消さないよね?」

 その言葉に、僅かに動揺した細野さんが言葉を返す。


「……私がリビングに戻った時、部屋には彼が寝ているだけだった。だからタオルをかけ、電気を消して自室に戻ったのだ。大方、テラスで夜風にでもあたっていたのではないか?」


「でも、だとしたら、時間的に犯行が行えるのは細野さんだけですよね」

 俺は事実を脳内で整理し、冷静に問いかける。

 スパコンが犯行をする場合、シャワーを浴びる前には現場となる台所には細野さんが居り、シャワー後は遊戯室でのアリバイがある。

 サラも同様、細野さんが証人となり自室に居たことが証明される。

 大人三人組はスパコンが証人となり、これまたアリバイが証明される。


 となると……。

「シャワーから帰ったランボーが台所に来た時点で、撲殺。その後リビングに眠る俺にタオルをかけ電気を消し、自室へ向かった、としか説明できない」


「……くっくっく、実に面白い推理だ。小説家にでもなった気分かね」

 細野さんが、それまでとは豹変した態度で朗々としゃべり出す。


「だが証拠はあるのかね? 私が犯人であるという証拠は!」

 その一言に、俺は押し黙るしかなかった。


 その時、ジッと腕をくみ、目を瞑って何かを考えていたサラが口を開く。


「たしかに、事実だけを並べれば、細野さんは犯行を行えるかもしれない。でも、決定的なある一点で彼は犯人ではないといえるわ」


「一点?」

 俺はオウム返しに問いかける。


「灰色の脳細胞に問いかけてみればすぐにわかるわ。彼には動機がないのよ。出会ってまだ二日目の、しかも年の離れたランボーよ。多少彼の言動がアホアホで無礼だったとしても、撲殺するきっかけにはならないわ」

 サラは饒舌に推理を披露する。


「でも、じゃあ一体犯人は」

 俺はたまらなく、答えを聞き出そうとする。


「明白な事実ほど、誤られやすいものはないよ。基本だよ、ワトソン君」

 誰がワトソン君だ。

 しかも、意外とノリノリじゃねえか、サラさん。


「叙述トリック、つまり、ストーリーテラーが真実を語っていない場合を想像してみましょう」

 ピッと、指を俺に突き立てて言う。


「私たちはすべて、クチナシの情報をもとに推理を行ってきた。でも、もしあなたが本当は眠っていなかったとしたら……?」

「な、なんだと……?」


「そう仮定してみましょう。長岡さんら三人はずっと遊戯室に居た。ここでのアリバイは成立ね。そして同じくスパコン、私のアリバイも成立する。残る細野さんの僅かな空白時間が疑われているのだけれど、しかし、彼には動悸が無い」


「しかし、あなたが寝たふりをしていたのだとしたら、事態は全く違う様相を呈するの。ランボーは実際にテラスに涼みに行った。その間、細野さんがリビングに訪れ、眠るあなたにタオルをかけ電気を消した。やがて戻ったランボーは、けれど眠るあなたに気が付き、電気を付けずに台所へ水でも飲みに向かった。そして、そのチャンスをつかんだあなたは背後からランボーに忍び寄り、凶行に及んだ。動機はさしずめ、日ごろのラーメンの喰いすぎに腹を立てていたんじゃないかしら」


「そうだそうだ! 真実はいつも一つ!」

 スパコンも加勢する。

 俺は返す言葉もなく、口ごもった時、奴はこの場に訪れた。


 ヒタ、ヒタ、と湿った足音は、ぬっとしたシルエットを現し、サラの背後に立った。

 

「サラ、後ろ後ろ……!」

 俺たちはその背後に立つ姿に指をさす。

 しかし、彼女は背後に迫りくる恐怖の存在に気づいていない。


「ハァ? 後ろってそんな……ってギャー!? ゾンビ!?」

「ヴァー……」

 半眼で彷徨い歩くその姿は、まさに現世によみがえったゾンビとなったランボーの姿だった。


「って、茶番もいい加減にしなさいよ!」

 サラのツッコミを乗せたビンタがランボーの頬をはたく。


「……ヴァ? って、オレ、寝てたのかァ……?」

 その衝撃で、頭から赤い液体もといトマトケチャップを滴らせたランボーが目を覚ます。

 というか、こいつは眠りながら闊歩していたのかよ……。


 とまあ、要は風呂上りに薄暗がりで冷蔵庫を漁ろうとしたランボーが、間違えて棚に頭をぶつけ、その拍子に上のケチャップを頭上に落とし、本人は疲労もあり気絶して眠っていただけなのだけれど。

 俺の即興の茶番のつもりが、なんだかみんなが悪ノリするものだから止め時を見失ってしまった。


 場の空気は、なぜか深いため息に包まれた。

 

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