第五十五話「夏の浜辺」
青い空。
白い雲。
押し寄せるさざ波。
強い夏の日差しを浴びて、俺たちは夏の浜辺に降り立った。
「海だー!」
むさ苦しい男子学生三人が、すね毛混じりの素足を真夏の日差しの下に大胆に晒し、ぴょんと跳ねて真っ白な砂浜を走り抜ける。
アハハッと野太い笑い声が響く。
野郎どもの腹筋、脂肪で緩んだ腹を眺めて、波打ち際で海の水をパシャパシャかけ合う。
「うひャあ、つめたい!」
「ちょ、おま、よせやい」
「あはは、あはは」
夏休み三日目。
俺たちは機材を片手に電車に揺られること約二時間。
海の見える避暑地で有名な地区に来ていた。
そして、この日からの三日間。この場所にあるサラのお父様が所有する別荘を借りることができる。
そこで俺たちは合宿をすることになっている。
別荘は、ログハウス調の二階建ての建物で、大きな三角屋根が特徴的だ。
地下室も完備されており、遊戯室とフィットネス用のスタジオ、それからシャワールームがある。
一階のリビングからはそのまま外に繋がるテラスデッキとなっており、白い砂浜の海が一望できる。
俺たち、『Noke monaural』の三人は、そのほぼプライベートビーチと言える海辺で水遊びをしていた。
「ほらほら~沖まで泳いじゃうぞ~」
「オウ、誰が一番遠くまで泳げるか競争しようぜェ!」
「ワイは離岸流が怖いから砂浜でお城作るんゴよ~」
キャッキャと男子達は戯れる。
夏の一幕。
ちょっぴり嬉し☆恥ずかしなドラマが始まっちゃうような予感……!
「ってちがああう!?」
俺は柄にも無く思わず叫んでいた。
「どうしたァ? タイムアタックの方がよかったかァ?」
「ちげえよ!? 合宿だろ合宿。バンドだよ!? 海で遊んでる場合じゃねえ!」
本来の目的を、俺は叫んでいた。
「い、今更かよっ」
というスパコンのツッコミが聞こえる。
*
「あれ? もう戻ってきたんだ」
今回の合宿のスポンサーでもあるサラは、別荘の一階にある巨大なリビングから続くデッキに、パラソルとローチェアを出して、サングラスを鼻に乗せ、寝そべりながら雑誌を眺めていた。
白いワンピースに麦わら帽子を乗せ、文字通り夏のお嬢様スタイルである。
「そりゃそうだろ。今回の目的はバンドのレベルアップなんだからな。遊んでる場合じゃない」
「そういう割りにはクチナシも水着持ってきてんじゃん。てか一番はしゃいでなかった?」
くっ……。
そう言われてしまうと、返す言葉もないが。
だって久しぶりの海だったんだもん。
「……お戻りかい。昼食はいかがですかな?」
そんなやり取りをサラとしていると、一人の老紳士が建物の中から出てきた。
真夏の別荘によく似合う、白いワイシャツに皮のベストを羽織った白髪の男性は、名を細野さんという。
人のよさそうな笑みを皴のある目尻に浮かべている彼は、サラの父親の会社に勤めていた方らしい。
定年退職をした後は会社に残るわけではなく、道楽で雑貨屋兼喫茶店のような店を開いた。
けれども、サラの父親を何かと手伝ってくれるそうだ。彼自身は毎度断るらしいが気持ちばかりの謝礼を渡すという関係にあるという。
今回も、仕事で多忙なサラの父親に代わり、サラの保護者としてこの別荘に滞在してくれる。
食事の準備や買い出しなども協力してくれ、俺としても頭が下がる思いだ。
「ありがとうございます、でも先に練習を少ししようと思います」
「そうかい。精が出ますな。まあ、軽食を冷蔵庫に入れておくから、いつでも好きに食べてくれ」
俺が返事をすると、彼は渋みのある声で告げた。
細野さんはそういうと、俺たちに背を向けリビングの奥にある書斎に向かう。
基本的には俺たちに干渉するつもりが無いところも好感が持てた。
まあ、というわけで。
俺たち『Noke monaural』の三人は地下にあるスタジオに集合した。
今の時刻は昼の十一時頃。
これから半日と二日。
つまり約六十時間の間に可能な限りの練習を積み重ね、バンドのレベルアップを目指す。
そして、ネクスト・サンライズに応募する音源の再制作を行う。
ネクスト・サンライズの募集締め切りは八月末日。
つまり、夏休みが終われば必然的に期日がやってくる。
この夏休みの前半に合宿を行い、後半にはレコーディングのリベンジを行うという計画だ。
スタジオには、サラの言いつけによりドラムセット、ギターとベースのアンプ、マイクセットとミキサー卓がひとしきり並べられていた。
父が伝手などを使ったというが、一体どこから取りそろえたのかというほど本格的な機材がそろっている。
「うわ、このアンプ、マーシャルじゃん……」
金色のアンプを前に佇み、本格的な機材に圧倒される俺であった。
「この鏡は良いなァ。オレ達がよく見えるぜェ」
元々フィットネス用と言っていたので、壁一面は鏡張りになっている。
十五畳くらいの、講堂のような場所だ。
俺たちが普段練習しているスタジオ「しろっぷ」では、狭い物置のような場所なので三人が向かい合っていたが、ここは広いので全員が壁の方向、つまりライブのように一方向を見て演奏できる。
「よし、さっそくやろうぜ」
スパコンがバスドラをドムドム叩くのを合図に、俺たちは夏合宿の練習を開始した。
*
そしてこの合宿で、いろんな意味で事件が起きる。
俺たちは昼食もほどほどに、バンド練習に打ち込んだ。
仕上げる曲は2曲、「river side moon」と「ASAYAKE」であるため、通し練習だけでなくお互いソロで演奏しあい、意見を交わすなど普段とは違うやり方も試したり出来た。
俺が楽器を始めたのがメンバーの中でも一番早かったこともあり、これまでも一応、音楽的には俺が主導となる場面が多かったのだが、近頃はスパコンとランボーもそれぞれの音楽観を持っているようで、議論も盛んになる。
「ワイは、こう、ド頭から一気に盛り上がる方がいいな。とにかく観客を躍らせようぜ」
「オレもそうだなァ、いっそ全員で一緒に入るか?」
「いや……俺のイメージ的には地下室で一人弾き語るランボーの姿から入りたいんだよな……」
それもこれも、これまでのライブを通して二人も思うところ、感じることがあったようだ。
個人的には、とてもいい傾向だと思っている。
そんなこんなで、初日の合宿はとても充実した時を過ごしていた。
「なあ、そろそろ腹減ったンゴ……」
そんなスパコンの一声に、時計を見ると既に夜の八時となっていた。
練習に打ち込むあまり、時間の感覚がまったく無くなっていた。
「そろそろメシ休憩にするか」
俺たちはスタジオに機材を広げたまま、食事の為に上階に上がる。
普段はスタジオから出るとなると、いそいそと機材を片付けなければならないのだが、貸し切りスタジオではその手間もない。
……最高すぎる。
改めて内心でサラに感謝をしながら上階に上がり、巨大なリビングに向かうと、何やら口論をするような声が聞こえてきた。
この別荘に居るのは俺たち三人の他にサラと、あとサラのお父様の知り合いの細野さんしかいない。
しかし、リビングからはサラの声で何やら抗議するような声が聞こえてくる。
「なんだァ?」
「誰か来たのか?」
俺とランボーは顔を見合わせ、スパコンは「いいから……飯食おうぜ」とゾンビのような声を出す。
「もう、お父さん。来なくていいって言ったでしょ!」
「はっはっは、そんなことを言うなよ。ほら、サラの好きなチーズケーキも買ってきたぞ」
「チーズケーキ……! じゃなくて……。って、ハァ」
サラは一瞬お土産に目を輝かせながら、高級そうなスーツに身を包んだ男性と話し込んでいたが、地下から上がってきた俺たちの姿を認めると、諦めたように肩の力を抜いた。
というか、お父さんって……。
「おや、君たちがサラの友人たちだね? ……なかなか個性的だな」
高級なスーツに身を包み、髪をポマードでオールバックにした長身の男性は、俺たちを見回してそういった。
まるで、映画俳優が演じるダンディな紳士そのままと言わんばかりの中年男性こそが、神宮寺サラのお父様だった。
その風格から年齢的には四十代だろうと想像できるが、外観は若々しい。
鋭い眼光が、サラとそっくりだった。
あとでサラに聞いたところ、貿易関係の会社で社長をしているらしい。
そりゃ、そうだと色々なことに納得した。
「あ、ど、どうも。お世話になります」
クラスメイトの女子の父親、しかもあの神宮寺サラの、ということで萎縮しまくりの男子共だが、何とか俺はその言葉を絞り出すことが出来た。
うん、バンドリーダーとしてのメンツは保てただろう。
ちなみにランボーとスパコンは俺の後ろでコチコチに固まっている。
「いやいや、気を使わなくてもいいよ。この別荘もなかなか来れていなくてね。建物も人が使わないとすぐに廃れてしまうから、いい機会なんだ。細野さんにもお礼を言わないとね……。おっと、自己紹介が遅れたね。私は神宮寺晴一。サラの父親です」
「あ、ぼ、僕は朽林です、で、こっちが蘭越と須原」
俺がたどたどしい挨拶をすると、背後の二人もコクコクと首を縦に振る。
「うむ、よろしくね。まあ私はこれから少しクライアントとやり取りをしなくてはいけなくて……もう行かなければならないんだが、君たちは気兼ねなくくつろいでくれていいからね」
そういうと、サラのお父さんはいそいそと身支度を始める。
「ハァ。忙しいんだから無理して様子見に来なくてもいいじゃない」
サラは腕を組み、嘆息しながら呟いた。
まあ、同級生たちとの場に親がいるという気恥ずかしさは十分にわかるが、親としては子供たちだけで外泊することに対する心配とかもあるよな。
……細野さんが居ると言えど、女子はサラ一人なわけだし。
「はっはっは。せっかくの顔を合わせる機会だからね」
そんなこっちの考えを知ってか知らずか、サラの父親は終始ニコニコとしながらコートを羽織り始めた。
「そうですよ。お父さんももう少しゆとりを持って行動してほしいものね」
その時、女性の声と共に、一人の人物がリビングにやってきた。
その人は、かつてのサラを思わせる長く美しい金色の髪をなびかせる女性だった。
一目で、サラの母親だとわかる。
俺たちは、呆気にとられたような間抜けな顔で、その女性を見つめるのみだった。
そんな高校生男子達を前に微笑し、その人は俺に歩み寄ってくる。
「私はオリビアです。サラの母親です」
サラの母親は、グリーンのタイトなドレスに身を包み、文字通り貴婦人とはっきりわかるような上品な笑みを浮かべていた。
まさに夫人という風貌に、俺は素直にサラって本物のお嬢様だったんだなぁと今更ながらに実感する。
「ああ、どうも」
俺は上手く言葉も出せずに、へどもどしながら会釈することしかできなかった。
日本語お上手ですねとでも言った方がいいんだろうか……。
現状では言葉が不自由なのは俺の方だが。
「あなた方は、音楽の演奏を練習されているんですよね?」
サラの母親は俺に尋ねる。
「はい、この場所も機材も提供していただいて……ありがとうございます」
「いえいえ。サラの頼みとあらば、ね?」
サラのお母さんは、茶目っ気にサラの父親にウインクすると、彼は照れたように笑った。
「サラからそんな頼み事をされるのは初めてだからね。張り切ってしまったよ」
十分すぎる手厚い対応は、やっぱりそのせいですよね。
親ばかもほどほどに……。
一方のサラは、もうこの状況に諦めたのか、腕を組んで目を瞑ったまま、貧乏ゆすりのように右足で床を叩いている。
うん、そうだよね。同級生の前で親がはしゃぐとそうなるよね。
しかし、この状況をどうすればよいのか、俺も少しテンパっていた。
別荘を貸してくれたお礼についても、口先だけでありがとうございますというのもなんだか気安い感じがして、手土産の一つでも持ってくればよかったという後悔も生まれる。
そして、グルグル巡る思考の果てに俺はこんなことを口走っていた。
「……せっかくですし、演奏を聴いていきます?」




