第五十三話「雨上がりの夏空に」
気が付くと、俺は走り出していた。
今は誰かと話す気力が湧かない。
お祭りにやってきた人々は俺に奇異の視線を向けるが、俺は気にせず走り抜けた。
ずっと進むと、屋台の列も終わり人はまばらになる。
そこはもう自然公園の奥地になり、木々も生い茂っていた。
俺は額の汗を拭うが、水分は無くならない。
気が付くと、雨が降り出していた。
夏の生ぬるい雨は、やがて勢いを強める。
土砂降りの雨の中、俺は傘も無く立ち尽くすのみだった。
俺たちの演奏は、彼女達に完全に負けていた。
ステージに立った者だからこそ、肌でわかる。
俺たちは完全に彼女達の前座となり、会場に居た人たちの記憶には残っていないだろう。
だが、それがなんだというのだ、という反論も頭の中で湧きおこる。
だってアキラさんが言っていたじゃないか。
俺たちの演奏をいいと思ってくれる人は、どこかに必ず居るのだと。
伝えたいことが、あるなら。
伝えたい事……。
果たして、今の俺に伝えたい事があったのだろうか。
……わからない。
どうすればいいのだろう。
この悔しさと、どう向き合えばいいのだろう。
音楽に勝敗はない。
だから、会場を沸かせたとか、多くの人が見に来たとか、そういうのは本来関係ないはずだ。
俺たちが、演奏したい曲を演奏するだけだ。
チケットを販売しているプロのミュージシャンではないのだから、お客を沢山集められるとかそういうのとは関係ないはずだ。
けれども、心の中にむくむくと湧き上がる感情を、目を背けられないぐらいに感じてしまうのだ。
俺も、あの大歓声を浴びたかった、と。
俺も彼女達のように、ステージの上で輝きたかったと。
でも、その渇望の中に、俺の伝えたい事はあるのだろうか。
ただの自己顕示欲とか、チヤホヤされたいとか、そんな思いで良い演奏ができるのだろうか。
わからない。
でも、悔しい。
今まで、感じたことのない悔しさだった。
どれくらいの時間、俺は考え込んでいたのだろう。
全身がずぶぬれになるのを感じる。
答えの出ない自問自答は、俺の瞳から雫をあふれさせる。
悔しさをかみしめ、俺は顔を上げる。
今は、雨が降っているのが好都合だ。
正体不明の感情を、濁流の中に紛れさせてくれる。
そう思っていた時、俺の顔に降り注ぐ雨は無くなり、俺の頬を水滴が流れ落ちた。
「ごめん、傘買ってたから遅くなった」
俺の頭上には、無骨な骨組みと、安っぽいビニールの傘が差し出されていた。
振り向くと、背後には自分の分と俺の分のビニール傘を持った、狐の面を付けた浴衣姿の少女が立っていた。
そして、おもむろに面を外す。
神宮寺サラのその表情は、僅かな笑みをたたえていて、俺はどうしようもないぐらいにホッとしてしまうのだった。
「あ、すまん。ありがとう」
そんなことしか言えず、差し出された傘を受け取ることもできなかった。
「今日の演奏、納得がいかなかったの?」
その表情のまま、サラは俺に問いかける。
「いや、そうじゃ、ないはずだ」
俺も、スパコンもランボーも、ミスらしいミスはなかった。
むしろ演奏の中身で言えばこれまでで一番良かったはずだ。
「じゃあどうして、そんな顔をしているの?」
サラは、まっすぐ俺の瞳を見ている。
そのおかげで、俺は涙を押しとどめることが出来た。
「それは……」
彼女達に、負けたと思ったからだ。
それは、会場の空気で間違いないと感じている。
「……私は、あんたたちの演奏がよかったと思うよ」
俺の答えは、言葉が無くても伝わったようだ。
サラは、彼女自身の感想をくれた。
きっとその言葉は、俺を慰めようとしてくれているのだろう。
けれど、俺のこの胸の苦しさはなくならない。
「どうすれば、いいんだろうな。俺たちは、何を伝えればいいんだろう。俺がライブをする、理由はなんだろう」
答えを探し求める俺は、独り言のように呟いていた。
「……私は、素直に思うんだ」
サラは、降り注ぐ雨の源を探すように、空を見上げる。
「あんたが、大きなステージで演奏したり、歌を歌う姿が見たいって」
その視線は、まるで遥か未来に思いを馳せるかのようだ。
「最高の演奏が出来たって、満足げな表情で戻ってくる姿が見たい。またワクワクさせてくれる演奏をしてくれる時を、待ってる日々が過ごしたい。ふとした日常であんたのライブを思い出して、元気をもらいたい」
「どうして、そこまで……」
今日の演奏を聴いて、どうしてサラはそんな感想をくれるのだろう。
素直に、疑問に思ってしまった。
「だって私は、あんたたちのファン第一号なんだから」
視線を下ろしたサラは、俺の事を見据えて言った。
「私、クチナシたちが『RISE・ALIVE』のステージに立ってる姿、見たいよ。ファンのためにライブをするのは理由にはならない?」
そのサラの言葉を聞いたとき、俺はようやく気が付いたのだった。
今日の俺は、自分のためだけに演奏をしていたのだと。
自分が伝えたい事、自分が表現したい事、自分が満足できる演奏を。
けれどそれだけでは、多くの人の心は動かない。
伝えたい事があるなら、その誰かには伝わるかもしれないけれど。
会場に訪れた人々には理解されない。
しかし、多くの人を喜ばせようとする心理の裏には、そうすることで自分を認めてほしいというエゴが存在する。
それを決して否定はしないけれど。
それだけでは、音楽を、音を楽しむということは出来ないのではないか。
まして良い演奏もできず、結局は多くの人の心を動かすことが出来ない。
だからこそ、俺が導き出した答え。
それは、誰かの為に演奏をすること。
きっとそれが多くの人の心を動かすのだろう。
これまでの偉大なミュージシャンたちは、そうやって人の心を動かしてきたんだろう。
誰かに聞いてほしいと願い、また、誰かが演奏を聞きたがっている。
そして今の俺の目の前には、俺の演奏を望んでくれる人が居る。
それだけで十分じゃないか。
いつの日か、もっと沢山の人たちが、俺たちの演奏を待ち望んでくれるように。
その沢山の人たちの、思いを、夢を、伝えたい事を奏でられるように。
「技術を身に着けよう、練習しよう……か」
初めから、答えは出てたんだ。
アキラさんは、全部教えてくれてた。
「サラ。俺、もっと上手くなるよ。すごい演奏ができるようになる。デカいライブステージで、沢山の人たちが感動するような、そんなすごい演奏ができるようになる」
俺は乱暴に目元を腕で拭った。
もう水滴は、邪魔なだけだ。
「だから、俺たちのライブを楽しみにしてくれ」
「うん。もちろん」
サラは、笑顔で頷いた。
気が付くと、雨は止んでいた。
雲間の隙間から、光が降り注ぐ。
雨上がりの夏空に。
俺は決意を新たにするのだった。
「音源、作り直す。もっと、もっと本気の演奏を込めるんだ」
俺はどこかで慢心していたのだろう。
たった数回のライブが成功したくらいで、上手になったと思い込んでいた。
あんな仮の音源で、満足しきっていたのだ。
「そっか。じゃあ特別に、私がファン兼スポンサーになってあげる」
「スポンサー?」
雨粒を払い落としながら傘を畳んで、サラは言う。
「そう。私のお父さんの別荘がね。海の近くにあるんだけど。そこにはスタジオが付いているの」
本当は、フィットネス用の場所なんだけど、とサラは付け足す。
「スピーカーとかもあるから、夏休みの間はそこで合宿もできるはずよ」
俺たちは軽音楽部でもないから、自由に練習ができる場所がない。
スタジオ『しろっぷ』も格安で利用させてもらっているが、それもやはり限りがある。
サラの申し出は、俺たちにとっては申し分ない事だった。
「ありがとう。絶対、『RISE・ALIVE』に出てやる」
「うん、今から楽しみにしてる」
そういうと、俺たちは歩き出した。
遠くから、スパコンとランボーがこちらに向かってくるのが見える。
俺とサラは顔を見合わせ、そして彼らの方に進みだすのだった。
*
今回の後日譚。
俺はジョニーと一緒に楽器店を巡っていた。
というのも、ネクスト・サンライズに応募する音源の再制作に向けて、新しい相棒を見つけることを急務としているからだ。
この日は、ジョニーが昔からよく利用していたという楽器店に訪れた。
市内のとある商業ビルの地下にあり、この頃はよく音楽がらみで地下に潜るなあと思った。
「中古でもここのやつは品質がいいのが多いし、とりあえず見てみろよ」
ジョニーに促され、並んだ楽器を見渡す。
広い倉庫の様なフロアには、鉄骨の棚が並び、そこにギターやベースが無数に並んでいる。
以前、サラと行ったところよりも無骨な印象だが、並ぶ商品は確かに綺麗で手入れが行き届いていた。
……その分、お値段も張るけど。
俺たちの他には、一人の男性客が居るのみで、のんびり見て回ることが出来た。
ちょうど、男性客が見ている棚のベースが気になり、俺が近づくとその人はこちらに気が付いて目線をよこした。
「……山下、さん?」
驚いた声を出したのは、俺の背後に居たジョニーだった。
向こうも同じように、目を丸くしてこちらを見る。
「藤木さん、こんなところで……」
ぎこちない挨拶を交わす二人は、そこまで親密な様子はなくむしろ気まずそうだった。
ジョニーはそれきり、何もし喋ろうとしなかった。
後から聞いた話だが、山下さんはジョニーのバイト先の上司にあたるのだという。
俺はどうしようか迷ったとき、山下と呼ばれた人は意を決した様子で言った。
「あ、あの……藤木さんって、『WANDER GHOST』の藤木さんですよね!?」
「ああ?」
その山下という人の言い方が、片思いの女子高生の告白みたいな言い方で、俺は吹き出しそうになった。
一方のジョニーは鳩が豆鉄砲を食ったような声を出した。
「実は……ずっと思ってたんですよね、そうなんじゃないかって。でも、もうずいぶんと昔に解散したし、違ったらどうしようって」
「ちょっと待て、どういう話だ」
「私、昔はバンドマンだったんです。そのきっかけが、地元のライブハウスで見た、「WANDER GHOST」だったんです。私は未だにWANDER GHOSTのファンですよ」
その言葉に、俺もジョニーも茫然とするしかなかった。
「でも、この楽器屋に来るってことはそう言うことですよね。だって……」
そういいながら、見上げる山下さんの視線を俺も追う。
レジカウンターの上には、無数のサインが並んでいる。既にメジャーデビューした有名バンドの物もあれば、名前も聞いたことが無いマイナーバンドの物もある。
その中に、かつてのジョニーが書いたであろうサインも飾られていた。
伝説的バンドであったころの、彼のサインが。
「もう解散したバンドですけど、私は未だに大切に聴いています。今でも藤木さん達を応援する気持ちは変わりませんよ」
山下さんは、素直な気持ちをジョニーに伝えた。
「……まったく、バカかお前は。あと、日ごろの態度が悪いんだよ」
「……あはは、すみません」
照れたように笑いあう大人達の姿は、なんだか愉快で。
その時のジョニーの表情は、なんだか今までの重くのしかかっていた物がスッキリとしたような顔をしていた。
バンドでメジャーデビューを目指して駆け上がる経験も、人気が出てファンが沢山出来る気持ちも、俺はまだ知らない。
まして、夢破れて地元に帰り、バイト暮らしを続ける心境も計り知れない。
けれども、人生の新しい章を始めたような気持ちなら、なんとなくわかる。
楽器を持つ資格の無い人なんて居ないと、あの日のアキラさんは言った。
ジョニーにも、山下さんにも。
大人になったすべての人にも。
楽器を手にして、自分の心臓の鼓動を鳴り響かせることが出来るはずだ。
「あの、そこのベース」
そんなことを考えていると、俺は山下さんの目の前にあるベースが急に気になり、前を避けてもらいベースを手にした。
「ミュージックマン・スティングレイか。なかなか攻めたところを行くな」
ジョニーは言う。
「スラップ奏者のイメージがありますけど、結構色んなジャンルでも生きますよね。見た目もカッコいいですし」
山下さんも顎に手を当て、考察してくれる。
「そうなんだ……なんか、良いなって直感的に思った」
「その直感は、大事にしろよ」
ジョニーのその言葉通り、俺の心の中ではもう相棒はこいつしかいないと思うほど、惚れ込んでいた。
試奏をしても、その考えに変わりはなかった。
……さすがに、即決できる値段ではなかったので、ジョニーの計らいでとりあえず取り置きしてもらえることとなった。
『誰か』の心の中に、永遠に残り続ける演奏ができるように。
ファンと言ってくれる人達の為に。
こいつを手にしたとき、俺の音楽史の新たな章が始まる。
そんな予感を胸に秘めて。
第二章 END
ノケモノロック、第二章にお付き合いいただきありがとうございます。
例によって、この後書きも第二章の投稿前に記入させてもらっています。
そして、話の展開からもそうですが、まだまだ第二章では終わりではありません。
こんな後書きを書く暇があれば、早く第三章を書いた方がよさそうです。
第一章からもそうですが、回想ばっかりだしいきなりサブキャラのオッサンがメインの話だったりと、相変わらず自分が楽しければいいかという具合で突き進んでしまっていますが、少しでも楽しんで頂けたのであれば幸いです。
そして、物語のゴール地点もわずかに、見え始めた気がします。
この先もぼちぼちと続けられるように頑張りますので、引き続きよろしくお願いいたします。
それでは。また。




