第五十二話「Yellow Freesia」
俺たちは特設ステージ脇の楽屋に移動した。
地元でも密かに有名になりつつあるこのライブイベントは、初めに学生の部として俺たち「Noke monaural」と柊木達のバンドが演奏をする。
その後に、地元のバーで活動している大人達のバンドや音楽サークルの人たちが演奏をすることとなっていた。
高校生の持ち時間は一組15分。
演奏する曲は、2曲。今回は、前回の春藤祭ライブで披露した某有名アニソンのパンクカバーバージョンと、新曲『ASAYAKE』を披露することにした。
「ウォー! ワクワクの武者震い実篤が止まんねェぜ」
「もっと焼きそばくっときゃよかったぜ」
「なんか前より緊張しないな」
俺たち三人は、楽屋で楽器を構え、出番を待つ。
実際、初めてのライブであった春藤祭や、ジョニーを迎えた同窓会ライブよりも緊張していなかった。
これは、それなりに場数を経験したからということだと思っていた。
司会の声に誘われ、俺達三人はステージの上に登壇する。
ステージの上から見下ろす会場には、浴衣を身に纏った老若男女が数十人集まっていた。
しかし当然というか、俺たちのことを認識している客はせいぜいサラと柊木達なもんで、他のお客たちからは「誰これ? 地元で有名なの?」「知らなーい」という声まで聞こえる。
いいさ。
アウェイなくらいが俺たちらしい。
俺は、スパコンとランボーに向けて合図をし、演奏を開始する。
思えば、野外での演奏はこれが始めてだな。
夏の夕暮れの空は曇天模様であり、一雨降りそうな気配もある。
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすかのように、スパコンのカウントが始まりランボーがギターをかき鳴らす。
春藤祭で披露した某有名アニソンのパンクカバーバージョンは、お客さんにもそれなりに伝わったようで、ボチボチの手拍子が巻き起こる。
それをさらに盛り上げるかのように、ランボーが声を張り上げる。
ワンコーラスを終えた後、俺は改めて客席を見渡す。
だが、そこにはこれまでのライブのような熱狂は感じなかった。
俺も、スパコンもランボーもここまで大きなミスはしていない。
演奏しなれた曲であるからこそ、アレンジを加えるような余裕まである。
なのに、客はまばらな手拍子をくれるぐらいで、盛り上りには欠けていた。
そうか。
本来はこんなもんだよな。
俺は演奏に集中する半面、内心では実感する。
これまでのライブは、いわば身内の中だけで成立していたものだ。
学祭ライブはそもそもがハイテンションの高校生の中、しかも同級生が出ているからこそ、盛り上がる。
この間の同窓会ライブだって、二次会の席であることに加えジョニーという心強い味方がいたからこそ、あそこまでの演奏が出来たんだ。
純粋に俺たちのことを何も知らない人たちの、心を動かす。
それは本当に難しい事なのだと、今更ながらに実感した。
一曲目が終わると、会場からは拍手が巻き起こる。
しかし、それは一生懸命に演奏をした高校生に向けられたものであり、俺たちを「Noke monaural」として称賛する拍手とは違っていた。
だからこそ、俺は息巻いていた。
「2曲目、ブチかますぞ」
「ああァ! 任せとけェ」
ランボーと短く言葉を交わす。
今回は2曲しか披露しないので、曲間のMCは無しだ。
いきなり、二曲目『ASAYAKE』に突入する。
この曲は、カウントは無い。
ランボーの歌と、ブリッジミュートでリズムを刻んだギターから入る。
ランボーにしか書けない、ストレート直球勝負な熱い曲。
そこに、あの地下室で感じた思いを込めた歌詞。
疾走感あふれるサウンドは、まさに夏を駆け抜ける俺たちの曲だ。
スパコンと合わせて俺も入り、演奏は一気に熱を帯びる。
その勢いのまま、サビに突入する。
今回の俺は、コーラス側だ。
ランボーの熱い歌唱と合わせて、俺もベースを打ち鳴らしながら声を重ねる。
だが、客たちの冷めた反応が目に入る。
それもそうだ。
訳の分からない高校生たちのオリジナル曲を聞かされ、頭にハテナを浮かべている人が大勢居た。
曲のクオリティが悪いわけではない……と思う。
単純に、どう受けいれたらいいのかわからないというのが、お客たちの率直な感想だろう。
わずかに、声が喉に詰まる感覚がある。
俺たちに興味がない人たちの前で歌うことに、やっぱり気圧されてしまう。
喉が思うように開かない。
しかし、ちらりと覗き見る会場では、サラが楽しそうに跳ねている様子が視界に映った。
周りのお客の冷めた反応など気にせず、俺たちの曲に乗って楽しんでいる。
ただそれだけの事なのに、それを見た俺は少し安心し、そこからはすんなりと声が出るようになった。
そのまま俺たちは、がむしゃらに演奏を完走するのだった。
*
「いやー、きつかった」
スパコンは相変わらず滝のように汗をかいている。
俺たちは演奏を終え、楽屋に再び戻ってきた。
「結構苦戦したけどよォ。全力は出せたぜェ」
ランボーも汗を拭う手が緊張からか、僅かに震えている。
「ああ、そうだな。まずは、これが第一歩かもな」
完全な成功には程遠いかもしれない。
けど、得られるものは沢山あったはずだ。
「よっ、おつかれ~」
多村がドラムスティック片手に、俺の肩をポンと叩く。
「お、おう。次、がんばれよ」
俺はさりげなくボディタッチをされたことを気にしながらも、ステージまでの道を開ける。
「あー緊張するねー」
柊木もベースを構え、ステージに向かう。
柊木のベースはフェンダーのジャズベースで白のボディに赤茶のピックガードが付いていて見た目もカッコよかった。
……なんかうらやましいな。
「ま、アタシらなら大丈夫だよ! 会場ドッカンドッカン言わせてやるわ」
その横に、髪色と同じく真っ赤なボディのフライングVを構えたアリサが居る。
フライングVとはその名の通り、V字型をしたいわゆる変形ギターで、ステージ上ではかなりの存在感があることだろう。
「……それ、お笑いライブの表現だよね」
ライブの本番前でも、冷静に柊木はツッコミをこなしている。
なんだか俺と似たような立場に同情するね。
「ワイたちは客席から見てようぜ」
スパコンに促され、俺たちは楽屋を後にした。
背後からは、女子三人達の「いくぞー!」「おー!」という掛け声か聞こえた。
俺は内心で、頑張れよ、と思うだけだ。
*
ステージの上に立つアリサは、紺色の生地に桃色の桜吹雪が彩られた浴衣を着ていた。
そして、彼女の真っ赤な髪の毛が合わさり、なんとも鮮やかな花のように見える。
その横に、同じく浴衣姿の柊木が居る。
普段とは違い、髪をアップでくくった彼女と、女子の体には大きく感じるベースの姿が相まってより一層カッコよく見える。
その後ろには、多村がドラムに座っている。
しかも、彼女はあろうことか両肩が浴衣からはだけていて、浴衣の上半身は腰辺りに垂れ下がっている。
インナーとしてタンクトップを身に着けており、ドラム演奏の都合上足を開くので、下にはスパッツを履いている。
ボーイッシュなキャップということもあり腕白な印象もあるが、女子らしい四肢になんだか、こう、ね。
目のやり場に困る。
「どうも皆さま、初めまして。『|Yellow Freesia』です!」
アリサの声と共に、演奏が始まる。
カウントはなく、アリサが思いっきりギターをかき鳴らす。
それは、激しい感情の濁流のような音だった。
丁寧に弾いていない、むしろ、適当に搔きむしっているのではないかと思うほど、思いのままに右手を振りぬく。
左手の細い指先は指板の上を縦横無尽に駆け巡る。
しかし、決して下手という訳ではない。
ヘタウマという概念が定義されているのか俺にはわからないが、丁寧さとは程遠いながらも誰にもまねできず、そして聞く人がワクワクしてしまうような演奏だ。
激しいリフが終わった途端、息を合わせたリズム隊が演奏に参加し一気に楽曲が幕を上げる。
まるで、行進曲だ。
俺が思ったのは、そんな感想だった。
無敵の行進曲。
自由奔放ながらも、グルーヴ感がありまとまりが強い。
「……柊木のベース、めっちゃうめえ……」
俺は、思わず声が漏れた。
音粒がそろっていて、リズムのブレが無い。
ドラムがスコンと跳ねるように叩く打音に合わせて、ベースの強弱が寄り添いあっている。
そして、何より音が鳴っていない瞬間の、ミュートがしっかりと演奏されているのだ。
無音が意味を持っている。
だからこそ、リズムが心地よい。
だが、そんな考察も一瞬で吹き飛ばされた。
アリサがシャウトし、歌が始まる。
その歌は、歌唱でありながら文字通りの叫びだった。
ギターの演奏とは裏腹に、歌声には一本芯が通ったような、澄んだ声。
それでいて、女子ボーカル特有の甘い響きとアリサにしかないパワフルな中音が混ざり合い、唯一無二の歌唱となっている。
終始叫んでいるわけではない。だが、彼女の歌には何か訴えかける物を強く感じる。
人ごみの中、雑踏に埋もれてしまいそうな、小さな光。
けれども、その光は無視できないほどの大きな声で、叫び続けている。
『アタシは、ここにいる』
直感的なイメージが脳内を先行した際、アリサが歌う歌詞がそれだった。
自分自身の存在証明。
それがまさに、彼女達のライブだった。
会場は、浴衣のガールズバンドということもあり注目度が高いのか、先ほどまでの俺たちの演奏の時よりも多くの客がステージに釘付けとなっている。
だが、それを抜きにしても彼女達の演奏は道行く人々の注目を奪い、ステージに寄せてしまうほどのパワーがあった。
1曲目の演奏が終わると、会場は大歓声に包まれた。
アリサ、柊木、多村の三人が奏でる演奏は、それまで大して興味がなかった大多数のお客さんを一瞬で虜にしていた。
アリサと柊木は汗を拭い、極上の笑顔で笑いあっている。
生き生きと輝いていた。
圧巻のライブだった。
……完敗だ。
このままじゃ、負ける。
負ける? 勝ち負けにこだわる必要はないじゃないかと、心の中で反論する。
かつて春藤祭のライブでは、霧島率いるバンドに人気投票の数では負けていた。
しかし本人たちの、少なくとも俺の実感として、俺たちは霧島よりもいい演奏ができていたと思う。
だからこそ、俺は霧島に対して腹立たしい気持ちも無くなり、ライバルとして肩を並べることができたのだと思った。
正直なところ、演奏テクニックは依然霧島の方が上だろう。
しかし俺たちの方が、人を魅了する演奏ができていたはずだ。
俺たちの『何か』が霧島たちを上回っていたのは間違いない。
しかし、今は違う。
テクニックでも、人を魅了する『何か』でさえも、『Noke monaural』は『Yellow Freesia』に完全に負けていた。
言葉では言い表せない、鬼気迫る覚悟が、違っている気がしたのだ。
俺は、喉元に渇きを感じた。
何か大切なものを忘れてきた時のような、焦燥による喉の渇き。
それは動悸を速くさせ、俺の頭は火照ったように熱くなる。
そんな俺の焦燥をよそに、会場は熱気を帯びている。
言ってしまえば、ただの高校生の演奏なのに。
まるでビッグバンドの野外ライブか、はたまたフェスかと言わんばかりに観客達は沸いていた。
その様子をステージの上から見下ろす三人の顔は、満ち足りた様な表情で、拭う汗も輝くように眩しかった。
理由はわからないけれど、俺はこの場に居られないような気がして、一人その場を去っていた。




