第四十九話「今日はみんなと勉強会」
「それで、曲は出来たの?」
ある日の昼休み。
相変わらず学食がカツカレーの日には、スパコンは食堂にドヒュンと消えるため、俺は一人で昼食を食べる。
この頃は、その日だけはサラが空席となったスパコンの席にやってきて、俺と一緒に弁当を広げるのだった。
ちなみに、スパコンが居る日、サラは自席で早々に食事を終えると教室を出て行き、どこかで何かをしているようである。
もはや俺やサラのことは、クラスメイト達も触れることをやめ、完全に空気のような扱いである。
目標がある俺たちにとって、その扱いはむしろ好都合であった。
「ああ。聴いてみるか」
少し照れながらも、俺はスマホを差し出す。
サラがイヤホンを耳にはめ、俺たちの曲を聴く。
そっと目を閉じて、曲に集中するサラの顔を、俺はジッと眺める。
「うん、いいと思う」
そのひと声に、俺は気持ちが高揚する。
自分たちの曲を、いいと思ってくれる人が居る。
それだけで、こんなにうれしいんだ。
「それはそうとして」
サラは、イヤホンをそっと外して俺に向き合う。
「テスト勉強は進んでるの?」
ああー、今からちょうど勉強しようと思ってたのに言われちゃったからやる気なくなっちゃったー。
なんて、言い訳をしていてもどうしようもない。
そうである。学生の本分は勉強である。
この一年間、俺はバンドに夢中になるあまり、中学生時代には中の上と言い張っていた成績もみるみる内に急転直下し、今ではギリギリ赤点を回避できるかどうかの瀬戸際に立たされている。
7月の夏休み前には、期末テストが控えている。
俺は、新曲のフレーズ作成やレコーディングのための練習に没頭し、勉強などまったくしていなかった。
「……いえ、まったく」
「ハァ。バンドに打ち込むのは良いけど、間違っても進級できないとか言い出さないでよね」
なんだか、オカンみたいなサラに俺は口をとがらせながら反論する。
「そういうそっちはどうなんだ。勉強」
「え? 私はとりあえず英語と世界史は学年一位だし。現国と数学はまあ平均並みとしても、あんたほど悲惨じゃないわ」
言い切られてしまった。
そりゃそうだ、女王様ですしね。
原書を訳無しで読めるほどの英語力に、海外出身のお母さまが居れば、自然と視野も広がりますよね。
「……まあ、あんたが困ってるっていうなら、手伝ってやってもいいけど」
サラは、指先でイヤホンをくるくる弄びながら、目をそっぽ向けて言うのだった。
「……助かる」
その申し出を、俺は素直に受けるしかなかった。
かくして、期末テストに向けてサラの援助を得ることが決まった。
*
「んで、あんたら全員テストヤバイのね……」
サラはもう、あきれた口調でつぶやいた。
「てへぺろ」
「オレバカだからよくわかんねぇけどよォ……」
スパコンとランボーは、そろって手を後頭部に当て、お茶目な顔をする。
「まあ、そんなんで、よろしく頼む」
俺はサラに素直に頭を下げる。
テスト対策の勉強会を開催することとなった。
場所は俺の家。今日は母は仕事で遅くなるはずだから自由に出来る。
場所なら、いつものアジトのようなスタジオ『しろっぷ』の喫茶スペースでもいいのだが、さすがに教科書類を広げて学生たちがワイワイ勉強するのは店に申し訳ない。
そこで、俺の家が会場となったわけだ。
俺の部屋にちゃぶ台を置き、男子三人はノートを広げて勉強に取り組む。
その様子を、俺のベッドの上に腰かけたサラが参考書を片手に指導をする。
……当然、女子が俺の部屋に立ち入ることなんて、これが初めてである。
しかし、俺はそんなことをおくびにも出さないぜ。
「アア? 作者の気持ち? ハラでも減ってんじゃねェ?」
「ワイは過去を振り返らない主義でな。歴史は無理ンゴ」
「……」
三者三様、勉強には苦手意識を持っている。
「ハァ。こいつらの赤点回避に成功したら、私の成績も特別アップしてくれないかしら」
サラは頭を抱える。
ちなみに、ランボーは国語と数学が苦手だそうだ。暗記モノは意外と得意らしい。
「サインプレーを当てはめれば結構覚えられるぜェ。これが本能寺の変のサインだ」
そういい、腕をぺしぺし叩いている。
そんな焼き討ちのサインを出す機会は永遠に来ないだろうが、実はいい暗記法かもな。
スパコンはその反面、国語と数学は得意なようだ。
「最高効率とかダメージ計算とかいろいろ数字は扱ってるしな。ワイの趣味は読書だし」
どうせそんなことだろうと思ってはいたが。
その一方、暗記教科に近い、化学とか地歴とかは苦手なようだ。
「……俺は、まあ、これと言って苦手なものはないな」
「それ、全部だめってことでしょ」
サラの冷静なツッコミに、俺は静かに頷く。
「ハァ。いいわ。あんたたち二人は、得意と苦手をお互いにカバーし合えばよさそうね。クチナシには私ができる限りのことは教えるわ」
そういい、サラは俺の隣に移動し、正座をして俺のノートを覗き込んだ。
「まずは英語からやりましょ。単語は意外と覚えてるみたいだし、文法からね。どうせ今回のテストで出るのは大体決まってるからコツを教えるわ」
英語は、洋楽の歌詞とかを興味本位で翻訳してみたりとかしているうちに馴染みはしていたが、教科書的文法はからっきしだった。
サラの的確なアドバイスを受け、俺は授業よりもすんなり理解することができた。
サボンのいい匂いに若干集中力をそがれながらも、ペンを走らせる。
「……なんか、先生みたいだな」
「え、そう? 意外と向いてるのかな、私。でも学校で働くとか絶対嫌だけどね」
そんな会話をしながら、勉強会は進んでいった。
*
ひとしきり、各教科のポイントを教えてもらったところで、時計を見上げる。
午後7時を過ぎており、そろそろ勉強会もお開きとなる。
各自の帰宅を始めることとなった。
「ランボー、『藤岡屋、』で飯食って帰ろうぜ」
「そうだなァ。姐御もいくか?」
男共の誘いに、サラは眉を顰める。
「ええー……私は遠慮するわ」
まあそりゃそうだろう。
あの店構えは、女子はなかなか入りずらい。
「……じゃあ、駅まで送るか」
「うん、お願い」
そうして、俺たちは家を出た。
国道で、スパコンとランボー達と別れ、俺たちは路地を歩く。
日が長い夏でも、そろそろこの時間帯は暗くなり始める。
人もまばらな住宅街を、肩が触れない程度の距離を保ち、並んで歩いた。
「あんたたちみたいな問題児と勉強するのは疲れるわ」
サラが肩を揉みながら疲れた様子で言った。
「そんな問題児でもねえよ」
「うふふ。そうね。問題児って案外先生に気に入られてたりするもんね。あんたとかは地味に成績悪いからほんとに問題外って感じ」
ひどい言われようだが、実際そうなので仕方ない。
かつてのサラの周囲の人々は、スクールカーストトップ勢であり、基本ハイスペックなので成績は良かったことだろう。仮に成績が悪い奴がいても、そういうキャラで先生方は手を焼き、一つのドラマっぽくなったりする。
俺みたいな、地味で根暗な奴は、そのどっちにもなれない。
「ま、私は面白かったからいいけどね。あんたの部屋も見れたし」
「なっ、プライバシーの侵害だ……」
「ふふっ。ほんとにベースとアンプ以外は何にもなかったけど。ちらっとリビングを通った時、貼ってあった写真とかも見れたし」
俺の家のリビングには、母が飾っている俺の幼少期の写真とかもある。
なんだか、急に俺は恥ずかしくなってきた。
ちょうどその時、駅の方向から歩いてくる人が、こちらに気が付き手を振った。
「おーい、成志。今から出かけるの?」
「あ、母さん……」
今日は仕事が順調に済んだのだろうか。いつもより帰宅が早い。
片手にビールが入ったコンビニ袋を下げた母がこちらに歩み寄る。
「ってあれ。……お邪魔だった?」
俺と並ぶサラを交互に見まわし、ハタと足を止める。
口元は平静なのに、目がニンマリしている。
……この状態の母は厄介だ。
「べ、別に」
どう言い訳したものか、俺は言葉を探した。
「どうも初めまして。神宮寺サラです。朽林君のクラスメイトで、今日はみんなと勉強会をしていました」
すらすらと、外面のいい声でサラが自己紹介をする。
派手な髪色や顔立ちのせいで、これまでも誤解されることが多かったのかもしれない。
だからこそ、お嬢様らしい育ちのよさそうな所作で、ペコリとお辞儀をする。
「あらご丁寧にどうも。成志の母の千里です。みんなとってことは、スパコン君とランボー君?」
母にメンバーの名前を呼ばれるのは恥ずかしいが、いつものあだ名で定着していた。
俺の交友関係がこの二人しかいないことは、母は承知済みである。
「あー……まあそうです」
サラは微妙な反応で肯定した。
そりゃ、あいつらの仲間ってだけで変な奴ってことだろうからな。
これはサラさんも墓穴を掘りましたね。
「そうなのね。これからも仲良くしてちょうだいね」
「はい、もちろんです」
サラは快活にうなずいた。
同級生と母親のやり取りは、いつ見ても歯がゆいというか恥ずかしいというかで、いてもたってもいられなくなるので、俺は早く行こうと目で促す。
サラもそれにうなずき、俺たちは駅のほうへ。母は家のほうへそれぞれ歩み出した。
「クチナシのお母さん。結構若いんだね」
母が見えなくなり、駅の手前まで来たときにサラは言った。
「え、そうかな」
確か、まだギリギリ三十台だと言い張っていたから、今年三十九歳か。二十代前半で結婚し俺が生まれたというのは確かに早い方だろうな。
「じゃあ、またね」
駅の改札前で振り返り、俺に手を振るサラ。
俺はポケットに手を突っ込んだまま「おう」とだけ言って見送った。




