第四十六話「それ以来、俺は。」
*
タクシーを見送った後、俺はそそくさとライブハウスに帰ろうとする。
だがその行為もむなしく、がっと肩に腕を回され捕獲されてしまう。
「お前ら、朝まで付き合えよ。打ち上げだ」
ジョニーは、落ち込んでいるのか、キレているのか、はたまた楽しんでいるのかよくわからない表情で言った。
それでも、何かが吹っ切れたような清々しい顔をしていた。
俺はこうなってしまった経緯にも責任を感じ、そしてジョニーにつられる様に頷くしかできなかった。
そこからのジョニーは、息を吸うように酒をあおった。
高校生の俺たちに酒の強さや酔う感覚はわからないが、おそらく普通ではないだろう。
相川さんは「あちゃ~。これは相当だね」と笑うあたりで、そう察した。
「いいよ。今日は朝まで開けてあげるから好きなだけ飲みなさい」
相川さんは閉店の準備をしていたが、ジョニーの様子を見てそういった。
ライブハウス内には、もう同窓会に訪れた人たちは居なくなっており、三次会なり各自の帰路についていた。
俺たちバンドメンバーとジョニー、そして長岡さんと相川さんがこの場に居るだけだった。
「おい、歌うぞ。朝までカラオケバトルだ」
ジョニーが酒瓶を片手に、ランボーに絡む。
「ヨッシャァ! オレも負けねぇぜェ」
珍しいほどのハイテンションのジョニーに、俺たち高校生組も対抗して盛り上がる。
そこからは、暗い地下室で世代も性格もバラバラなノケモノたちが集う、どんちゃん騒ぎ。
しかし、朝までとなれば一応、親には各自メッセージで連絡を入れることにする。
母に対しては言い訳にはなるが、打ち上げの流れで友人の家に泊まることになったと俺は入力する。
まもなく、返事が返ってくる。
『いいよ(グッドの絵文字)。男になって来い(天狗の絵文字)。でも、装備は身につけないと意味がないよ(剣と盾の絵文字)』
……なんだか、母は勘違いをしていそうだ。
*
「それにしても、いい演奏だったぜ」
ひとしきり落ち着いた後、一同はソファ席でくつろいでいた。
ライブハウスに残っていた長岡さんも、ジョニーと同様に酒を飲みながら語りかける。
「ああ? そりゃそうだ。俺が教えたんだからな」
顔を赤くしたジョニーは言う。
「お前、まだTETSUYAでバイトしてんのかよ。もったいねぇー」
「そうよ。藤木君なら、ギター講師とかできるんじゃないかしら」
長岡さんに続いて、相川さんもジョニーの近況に苦言を呈する。
「ギター講師か……、まあ、俺にそんな需要なんざねえよ」
そんな二人に対し、ジョニーはふてくされたように言う。
「そんなことない! 少なくとも、俺たちはジョニーのおかげでここまでこれたんだ。もし、その気があるのなら、教えてほしい人は沢山いると思う」
俺はそんな様子に、つい声を上げてしまった。
その様子を、ジョニーは少し驚いた様子で見ながらも、再び視線を落とし酒を口に含みながら呟いた。
「けっ。そうかよ。じゃあ、お前らがネクスト・サンライズに出場して、RISE・ALIVEのステージ立ったら考えてやるよ」
「オウ! 任せておけェ!」
「発言の撤回は認めないぜ?」
ランボーとスパコンも、ジョニーの言葉に応えた。
俺はより一層、ネクスト・サンライズに対する気持ちが高まっていた。
そこから暫く雑談が続き、ジョニーは酒が回ったのかぐったりしだした。
その様子なところ申し訳ないのだが、逆に今なら何でも喋ってくれるんじゃないかと期待し、俺はある質問をした。
「なあ、聞かせてくれないか。ジョニーの、バンドの結末を」
その言葉に、ジョニーは目をそらしながらも、酒を一口また含み、静かに喋り出した。
「……ちっ。別に楽しい話でもねぇぞ。でも、聞きたいならきかせてやる」
そこから、呂律もあいまいだが、かなりはっきりとした道筋で話を始める。
何度も何度も、頭の中を巡っていたであろう、ジョニーの過去を。
◇
「もしもし」
「ユージン! おい、今どこだ!? 遼がヤベェ!? とにかく早く来てくれ」
電話越しの長岡の声は、明らかに動揺していて、とてもまともな状況ではないことが伝わってきた。
その日。
「クリムゾン・キング」での、対バンライブの前日。
俺の元に、一本の電話が鳴った。
当時、重要なライブということで長岡も地元から準備の手伝いに駆けつけてくれていた。
地元で応援してくれていたファンや当時の友人たちも、観に来てくれる話になっていた。
ミサキも、おそらく来てくれるはずだった。
その日の夜の十時。
そのまま、電話越しの長岡に言われる住所に俺は向かった。
そこは……。
ガラス越し、パイプ椅子に座る遼。
俺は、そいつに向かい合って座る。
留置場。
遼は、逮捕されていた。
「……ごめんな、幽人」
口を開いて、最初に言った言葉はそれだった。
「どうして、こんな事になったんだ」
俺は震える声で、聞くことしかできなかった。
「おれも、なんとかしたかったんだ……でも、どうしようもなかった。全部ぶっ壊れちまった」
遼は、項垂れたまま、うわごとのように呟いた。
そこから、遼は俺にすべてを話した。
「おれ、高校を卒業すると同時に家をでたんだ」
俺の知らない、遼の話。
これが最後だから、全部聞いてくれと、遼は言った。
「家にはもう居たくなかったんだ。つうのも、おれは生まれた時から母ちゃんから必要とされていなかったらしい。高校生なのに母ちゃんは妊娠して、おれを産んだ。父親の顔は知らねぇ。親や親戚連中からも、一家の恥だと罵られたらしい」
何度も遼の家を出入りしていた俺だったが、親の顔を見たことが無かった。
遼は、昼も夜も働いていると言っていた。
「それから母ちゃんは一人で俺を育てるために、昼のパートと掛け持ちで夜の商売を始めたそうだ。おれがチビッコのうちはよくかわいがってくれたよ。でも、体力的にも、精神的にも。だんだん母ちゃんも限界が来たんだな。お金を家において、何日も帰ってこない日が多くなった」
遼は、愛されたいと、いつか言っていた。
その言葉の意味を、今なら理解できるかもしれない。
「でも、それは仕方ないことなんだ。おれのこと、よくコブって言ってた。瘤。体にできる血の塊。母ちゃんにとって、おれはそういうものだったらしい」
「でも、幽人とミサキと会ってから、おれの人生は変わったよ。おれは本当にミュージシャンになれたんだからな」
そこでようやく、遼は顔を上げた。
昔から変わらない、頭をクシャクシャ掻きむしって。
「東京に来て、人気が出てファンができてから。とあるライブの後、土砂降りの雨の中、一人の女の子が出待ちに来てたんだ。サインしてやったけど、帰ろうとしないんだ。それで聞いてみたら、帰る金がないんだと」
東京で活躍するようになったころから、そういえば遼とはライブや練習で顔を合わせるぐらいで、昔のようにいつも一緒に居るということはなかった。
だから、お互いの生活ぶりはあまり知らなかった。
「その子、ココアっていう名前だって。愛する心と書いて、心愛。いい名前だろ? 本人は心底嫌がってたけどね。目が真ん丸で、可愛らしい子だった」
「おれは、電車賃ぐらい貸そうかって言った。返さなくていいから、またライブ見に来てねって。そしたらよ、帰れない、帰りたくないって言うんだ」
「だから、おれは言ったよ。うちくるかって。帰りたくなるまで、居ていいぞって言った」
「2,3日泊めてやって、しばらくしたら、居なくなって。実家に帰ったんだなって思った。けど、また次のライブの終わりにやってきて、やっぱり帰りたくないって言うんだ。だから、いつまでも居ていいぞって言った」
俺は、遼が少女と同棲していることを知らなかった。
俺の知らない、心愛という少女の話。
「それから、おれと心愛は一緒に暮らすようになった。一緒にテレビ見て、メシ喰って、歌って。しょーもないけど、楽しかった」
「心愛は、よくおれと寝るのをせがんだ。しかも、撮影されるのが好きなんだと。自分の携帯で、カメラを回して部屋の角に置いてた」
甘くて、危険な香り。
遼は遠い昔を見るように、その話しを続ける。
「心愛は、時々、ふらりと居なくなった。実家に帰ってるのかと思ったけど、違ってた。どうやら別の男の家を転々としているらしかった。おれは別に咎める気はなかった。おれと付き合ってるとか、そういうハッキリしたものもなかったしな」
「けど、心愛の金については、ちょっと問題があった。というか手癖が悪かった」
「時々、おれが寝ているのを確かめては、財布から金を抜いてた。でもおれは気づかないふりをした。大金はそもそも持ち歩いてないし、メシぐらいは奢ってやるつもりでもいた。けど、おれが奢ろうとすると断るんだ。けど、その夜には財布から金を抜いてた。そういう子なんだな」
「おれはそれでいいけど、他の男の家でも似たようなことをしているらしかった。しかも財布から金を抜くだけじゃなくて、金目の物をくすねては、質屋で金にしていた。少し、危うい感じがしてきて、どうにかしないとって思ってた。でも、バンドの方も忙しい、おれは地方遠征で家を空けることが多くなった」
「遠征から帰ると、心愛は家に居た。けど、おれはあることに気が付いた。ギターが無くなってた。おれの、あのアコースティックギターが」
「おれが家に居ない間の生活費は、ある程度渡してた。でも、街で偶然、金品を盗んでた例の別な男に見つかって、金を返せと脅されたらしい。結構な額で、おれが渡した金や心愛の持ち合わせじゃ払えなかったようだ」
「急に金が必要になって、心愛はおれの家から金になりそうなものを探したそうだ。でも、おれの家に金になるものなんか、そうそうない。だから、あのアコースティックギターに目を付けたんだ」
「売っても金額は大したことなくて、結局、金は後日必ず返すと約束してその場は納まったらしい。けど、おれのギターは帰ってこなかった」
「心愛は、おれが金に頓着が無くて、ボロいギターだから許してくれると思ったらしい。だけど、その時おれは激怒しちまった。我を忘れるぐらい、怒り狂った。だって、あれはおれが初めて手にしたギターで、おれと幽人とミサキの、あの夏を過ごした思い出だから」
「おれの人生で、サイコーに楽しかったあの青春のギターだから」
「物に執着するなんて、おれらしくもないと頭ではわかっていて、すぐに心愛に謝ったよ。けど、今度は心愛の番だった」
「おれの一瞬の激怒が、彼女のトラウマを刺激しちまったらしい。その直前にも、別な男に脅されてて、精神的にキてたみたいだ」
「心愛は泣いて叫んで、家から飛び出した。慌てておれは追いかけた。街中に飛び出した心愛を見つけた時、あいつは警察に囲まれていた」
「そしていうんだ、あの男に犯された、殺されるって」
「おれはそのまま、交番に連れてかれて、心愛との関係を聞かれた。でも、どう答えればいいのかわからないでいると、心愛は携帯を出した」
「その中の映像を、警察共は真剣に眺めていたよ。泣いて叫ぶようにあえぐ、心愛の姿をな」
「後から知ったけど、心愛はまだ十六歳。高校生だったらしい」
「親御さんにも連絡が行って、おれは性的暴行の容疑で、その場で逮捕された」
◇
それからの出来事、日々のことは、正直言ってよく覚えていない。
俺たちのバンドが予定していた、「クリムゾン・キング」でのライブの代理のボーカルが見つからず、仕方なく長岡が歌うという暴挙に出た。
そのせいで、ファンや関係者からはひどい罵声を浴びることとなる。
そして、これまで声をかけてもらっていたレコード会社は、すべて手のひらを返した。
当然だ。ただでさえ一般的には世間からの印象はあまりよくないバンドマンが、その悪いイメージ通りの容疑で逮捕されたのだから。
業界で、俺たちのバンドに声がかかることは無くなった。
ほどなくして、メンバーたちは脱退を表明した。
俺と遼以外のメンバーは流動的だったから、他のバンドに参加したり、スタジオミュージシャンの道を進んだり、早々に新たな地で挑戦を始めていた。
遼のことは仕方ない。お前も早く、切り替えろよ。
そう言葉をかけてもらうも、俺はそう簡単に切り替えることなんて、出来なかった。
それからは日々を、酒を浴び、前後不覚になりながら、ただ抜け殻のように時間を過ごした。
目の前が、真っ暗になるとはまさにこのことだった。
俺は働く気にもなれず、貯金も尽き始め、実家に引き上げてしまった。
その頃、親父は病気でもう既に他界していた。
意地も張り合いも、灰と化してもう何もない。
しばらくして、長岡から電話があった。
「遼は、不起訴になったらしい」
どうやら、被害者の女性……心愛とは、示談が成立したようだ。
もともと、遼は何も悪くない。
心愛の両親は、金さえ手に入ればそれ以上はいらなかったのだろう。
「だけど、遼とは連絡が一切取れないんだ」
長岡は、心配そうに言う。
「もしかしたらと思って、お前に何か連絡はなかったか?」
「……いや、なにも」
「そうか……。まあ、お前にとっちゃ災難かもしれないけどさ。お前の技術は本物なんだ。実際、いろいろ声はかけてもらえてるんだろ? 結構ネットじゃ叩かれてるみたいだけどさ。バンド名が変わっちゃえば大丈夫だって」
長岡は、俺を励まそうとしているようだが、俺にとっては一層傷口が広がるようだった。
遼とじゃなきゃ、ここまでこれなかった。
バンドを、やろうと思っていなかった。
……結局、それ以来、遼の行方は分からなかった。
生きているのか、死んでいるのか。
何も、分からなくなった。
それ以来、俺は。
ステージには立っていない。




