第四十二話「このナンパ野郎! 変質者!」
俺は、本番まで、もう少し時間があるので、いったん外に出た。
地下のライブハウスは、タバコとお酒の匂いが充満し、少し慣れない空気に緊張してしまう。
おまけに、そこにいる人たちはジョニーの同窓生たちなので、大人ばかりの空間に居るのに疲れてしまった。
夜9時半を過ぎた繁華街は、多くの人で賑わっている。夜の空気の他に、居酒屋が稼働し始めると香しい匂いが満ち始めている。
しかし、学生の俺としては少し用心しながら歩かなければいけない。
とりあえずコンビニで水を買い、足早に通りを抜ける。
その時、繁華街の街角で、四人の男に囲まれている女子の姿が目に入った。
女子は電柱に背を持たれ、スマホをのぞき込んでいる。
男共は大学生か、せいぜい新人社会人ぐらいの若い感じである。
セットアップの整った服装はしているが、しかし、ガヤガヤ煩い笑い声で女子に執拗に話しかけていた。
ナンパか……。
と俺は思い、話しかけられている女子の方をうかがう。
そこには、深紅の髪が見えた。
リンキンパーク。
とっさに脳裏に浮かんだのは、とあるバンドの名前だ。
あの楽器屋で弾きまくり叫びまくってた子だ。
名前は……アリサとか呼ばれてたっけ。
「ねぇ。お嬢ちゃん可愛いねぇ。誰か待ってるの?」
「綺麗な赤い髪だねぇ~。もしかして地下アイドルとか? その楽器はギターかい?」
アリサは話しかけてくる男たちをガン無視し、スマホを触り続けている。
その横にはギターのハードケースが立てかけられていた。
「俺も昔バンドやってたんだよね。よかったら教えてあげようか。いろいろ」
「てかさ。ここで立ってるってことは、そういうことでしょ? お小遣い、いくらがいいの?」
「ねぇ、ってば。聞こえてる?」
男の一人、ツーブロックの髪をワックスでテカテカに仕上げたセットアップの男が、アリサの顔をのぞき込む。
それまで一切男共を視界に入れず、スマホを凝視していたアリサは、いい加減うっとうしくなったのか眉間にシワを寄せる。
「……うっぜ。酒くさ」
アリサの声がする。
その嫌そうな声音を受け、男共は苛立ち始める。
「お嬢ちゃん、クチのきき方、気をつけなよ?」
「つか、調子乗ってんの?」
酒に酔っているのか、男たちは絡み方が陰険になる。
まずいな。女の子一人に大の大人が四人も囲っては、恐怖で動けないだろう。
特に知り合いという訳でもないが、女の子が困っているところを放っておけるほど俺もドライな人間ではない。
……かといって、堂々と男たちを追っ払う勇気もないんだよなぁ。
どうしようか、逡巡ののち俺は作戦を思いついた。
俺の脳内で、作戦をシミュレーションする……。
まずは自然な感じでこの場に登場し、「ゴメン、待たせたな」と声をかける。
急な知り合いの登場に、驚き振り向く男共をよそに、サッとアリサの手を握る。
「さあ行こうか」困惑し声を出せないアリサをよそに、素早くその手を引きその場を立ち去る。
男共が追ってくる場合は、そのままライブハウスの方まで向かい、中に入ってしまおう。
中には彼らよりも年上な大人が多くいるし、さすがに店内までナンパをしに来ることはないだろう。いざとなれば警察を呼べばいい。
……よし、完璧だ。
俺は僅かに緊張しながらも、女の子を助けるためだと奮起する。
「ゴメン、待せたた」
俺は、震える声で一団に声をかける。
予想通り、男共は「なんだこいつ」という顔でポカンとしながら俺の方を見る。
その隙に、俺は素早く移動しアリサの方へ歩み寄る。
そのまま手を引き、おっと、ギターも忘れずに持って行かないとな、その場を……。
俺が手を、アリサの腕へ伸ばした瞬間だった。
赤い髪の向こう、アリサの瞳がキラリと不気味に光った気がした。
その直後、俺の視界がぐるりと回転する。
「ウォォォォオラァァ!」
少女の雄たけびが聞こえる。
俺の背中は地面に打ち付けられ、腕を締め上げられる。
その直後、俺の肩と胸の間辺りに強い衝撃が走る。
足。
少女のつややかな生足が視界にそびえたつ。
「かかって来いやぁ!」
「いいい、痛い痛い痛い!?」
一瞬のことで、俺は理解するのに時間を要した。
俺は、アリサに一本背負いを食らい、地面に打ち付けられていた。
そのまま、腕をホールドされ、俺の胸辺りを踏みつけられている。
「「う、うおお……」」
それを見た、ナンパ男共は一様にビビる。
なぜなら、急に現れた男子高校生が目の前で一回転し、地面にひれ伏せたのだから。
そりゃ恐ろしいだろう。いろんな意味で。
「な、なんかゴメンねェ~……」
男共は、「やべぇヤツに会っちまった」という顔をしながら、その場をそそくさと立ち去った。
……まあ、形は全然違うが、目的は果たせただろう。
ほっとするのも束の間、俺の腕に激痛が走る。
いかんせん、俺の腕はアリサにがっちりと締め上げられている。
「よくもアタシに触れようとしたわね!? このナンパ野郎! 変質者!」
「ち、ちがう! 俺は助けようと……」
「ああん? てかアンタ誰よ」
そういわれると、返す言葉もない。『たまたま、楽器屋で見かけたんだようえへへ』なんて言おうものなら、マジもんの変質者だ。
その間も、アリサは腕の力を緩めようとせず、俺の胸をギリギリと踏みつける。
「うぐ……ギブギブ」
「何が目的か、いいなさいよ」
目的なんてあるわけねぇだろ!と内心で叫び、どうしようか悩んでいると「アリサ!? 何してるの!?」という女の子の声が聞こえた。
「あ、カズキ。この変質者がアタシにチカンしようとしてきたから」
「変質者……って、ええ? 朽林?」
急に俺の名前を呼ばれたので、何事かと目線を巡らすと、俺を心配そうにのぞき込む瞳にぶつかった。
肩ぐらいのセミロングの髪に、さっぱりとした涼しげな瞳。クラスでは永久中立の立場で、俺はそのスタンスを気に入っている女の子。
柊木和希がそこに立っていた。
「なんだ、カズキの知り合い?」
パッとアリサが手を放す。
そこでようやく、俺の腕はダラリと垂れ、自由に解放された。
「うん、知り合いというか、クラスメイト?」
「そうなんだ。……あ、でも、変質者には変わりないか」
ギリィと歯をむき出しにして、アリサは俺をにらみつけてくる。
「いや……多分、違うと思うけど。……ちがうよね?」
柊木和希は困惑気味にこちらを見てくる。
「当たり前だろ……まあ、なんでもいいさ」
一応、危機は去ったみたいだしな。しかし、あんな芸当ができるなら俺が出しゃばる必要もなかった気がするが。
俺は立ち上がり、そろそろライブハウスに戻らないとなと思い出した。
「まあ、そういうことだから、俺はこの辺で」
どういう関係か知らないが、柊木和希とアリサは知り合いのようだ。
あの様子じゃ待ち合わせみたいだったし、二人組の女の子なら無理やりナンパされても上手くやり過ごせるだろう。
そう思い、俺はその場から去ろうとしたところで、柊木和希の荷物に目が行く。
その背には、俺が使っているのと同じような、ソフトケースが背負われていた。
「あれ、それ。もしかして、柊木も」
「ええ、あ、まあ……」
柊木はなぜかバツが悪そうな顔で、あいまいな肯定をする。
まあ、それもそうか。アリサと知り合いということは、音楽がらみである可能性は高い。
「あったり前じゃん、カズキはうちのバンドのベーシストなんだから」
アリサが、自身満々に誇らしげに言う。
当の柊木は「恥ずかしいよ、それにカズキって呼ぶのやめてよ」という。
「さ、行こ。アタシ達も練習しなきゃいけないし。サキがスタジオで待ってるし」
そういうと、アリサは柊木を連れてその場を立ち去る。
柊木は、俺にペコっと頭を下げると、その赤い頭に続いた。
「……俺も、ライブがあるしな」
俺は、なぜか寂しい気持ちで一人、ライブハウスへ向かった。




