第三十七話「電話に、いい思い出はない」
◇
電話が鳴った。
ポケットの中で、バイブレーションがぐぐもった音を鳴らし、俺の膝辺りを震わす。
俺は抱えたギターをスタンドに戻し、ヘッドフォンを乱暴に外してスマホを取り出した。
画面に表示される番号は、未登録のものだ。11個の数字が羅列している。
「もしもし」
俺の声は少し、緊張していた。
いったい何の電話だ。
電話に、いい思い出はない。
「あ、藤木さんの電話でよろしいでしょうか?」
「はい」
事務的な男性の声に、通信会社かウォーターサーバーか何かの営業の電話だったかと合点し少し安心した。ただ断れば済む話だ。
「……いやー久しぶりだな。ユージン」
「その声……長岡?」
「そうだ。ずいぶんと久しぶりだな」
長岡は電話口で少し笑った。
当時から口調が変わっていて一瞬気が付かなかった。
俺のことをユージンというあだ名で呼ぶのは、こいつしかいない。
「どうした、急に」
「お前、いま地元にいるんだろ? こんど藤山の卒業生をあつめて同窓会的なのやろうって話になっててさ。お前も来るかなって」
「……いや、俺は」
俺は否定的な声を出す。
なにせ、卒業後はそういう集まりに一切顔を出していない。
「そういうなよ。一次会はまあ、ちょっとしたホテルで会食形式にするけどさ。二次会は先輩にライブハウスやってる人がいてさ、ほら、相川さん。その日は特別に貸し切りにしてもらえるんだよ。だからカラオケ大会でもやろうかって話になっててさ。楽器できるやつ集めてライブやってもいいなぁって話になってんだよ」
「そんなこといわれても、知らん」
どうせ、俺がギターを持って行ったところで、好奇の目にさらされるだけだ。
三十代前半といえば、普通の会社員ならバリバリ働きだす頃だろう。
大学院まで進学していたとしても、この年になればとっくに就職しているはずだ。
それに、結婚して子供がいたっておかしくない年代である。
そんな人々の中に、いまだに地元でバイトして実家暮らしの男が入ろうものなら、みじめな気持ちにしかならないだろう。
そんな現状を知ってか知らずか、長岡は話を続ける。
「まー考えておいてくれよ。もしあれだったら二次会からだけでもいいからさ」
食い下がる長岡をよそに、俺は淡々と挨拶を交わして電話を切った。
長岡は俺のバンド『WANDER GHOST』の初代ドラマーだ。
遼と俺、そして長岡に加え、のちに楽器屋の張り紙を見てやってきた他校の生徒、星野というヤツがベースで参加し、高校時代にバンドは活動を開始した。
高校在学中に地元のライブハウスをめぐり、オーディション企画などにも数々参加し、実力と知名度を稼いだ。
一応、ミサキはサポートスタッフということで、ライブ情報の収集やネットアカウントの広報を担当してくれていた。
その頃には、地元ではワンマンライブも成功させ、人気も確実なものとなりつつあった。
ほどなくして高校を卒業した後の俺たちは、遼を除くメンバーは大学に進学した。
全員が同じ大学という訳ではなかったが、地元から電車で通える範囲のところに行き、本格的に活動を開始した。
当初、俺は進学するつもりはなく、遼と同じくアルバイトで生計を立てるつもりだったが、親父がそれを許さなかった。
学歴はあるだけで十分だと母親も加勢してしまい、俺は折れることとなった。
渋々、俺は進学し卒業はするという約束でバンド活動を行うことを認めてもらった。
そこからは、知名度や実力の向上に伴い、いろいろ問題も発生した。
星野も学業かバンドかという問題に直面し、やむなく学業を優先する形で脱退した。
長岡も実力的にこれ以上は厳しいと自己申告してきて、俺たちはそれを受け入れる形で脱退となった。
しかし、その後もバンド活動には協力してくれ、学業を行う傍ら、サポートで入ってくれたり、ミサキと協力して広報やグッズ物販を手伝ってくれたりしていた。
バンド名はこの界隈でそれなりに有名となっており、脱退するメンバーが居ても、他バンドの実力者と話しがまとまることも多く、メンバーは流動的ながらも活動は続いていった。
そして俺たち『WANDER GHOST』の人気はインディーズバンド界隈では凄まじい規模となっていた。
中でも、俺のギターテクと遼の歌が高く評価されていた。
そしてついに、俺たちは上京する決断をした。そこで、俺は大学を中退する。
もともと、単位は足りるはずもなく留年は確定していたのだが、今のバンドの状況を見れば、実力的にメジャーデビューも間違いない。
実際にレコード会社の人達からいくつか声をかけてもらっている。
東京で活動を始め、地方でも遠征ライブも数々成功させた後、俺たちの元にあるオファーが来る。
それは、東京の老舗ライブハウス『クリムゾン・キング』での企画ライブだった。
当時東京で一番の人気があったバンドとの対バン企画。
そこで成功すれば、メジャーデビューも確実だと、業界関係の人からも言われた。
そのライブを控え、俺たちは緊迫の日々を過ごしていた。
その頃、俺と遼、そしてミサキの三人は、高校時代のようにいつも一緒にいることも無くなっていた。
俺は楽曲制作のため、スタジオや自室に籠ることが多くなり、遼は空いた時間はバイトに明け暮れていた。
ミサキは地元の大学で経済の勉強をしているらしく、俺たちが上京するタイミングでバンドの手伝いも終わりとなった。
彼女自身も、講義以外にもたくさん勉強をしているようで、以降は連絡も日に日に少なくなり、疎遠となって行った。
その中でも俺たちに、充足感と達成感を感じさせ、日々の苦労を吹き飛ばしてくれるのはライブの興奮だった。
ステージの上、スポットライトの光こそが、俺を生きていると感じさせてくれた。
ライブこそが、俺の命の炎だった。




