第三十六話「深紅の髪」
「うわー! すごい、壁一面ギターだ」
サラは、初めて楽器屋に入ったようで、驚きの喚声を上げた。
「てか、やっぱりついてくるのね……」
もはや、学校と家以外の時間はほぼ一緒にいるんじゃないかと思うほどである。
暇だというにしても、こう、ね。
少し照れちゃう。
この日、俺は初めてベースを買った駅前の楽器店ではなく、バンド向けのギター・ベース専門店に来ていた。
アーケード街の隅にある店で、そういえばこの辺りで初めてアキラさんの弾き語りを目撃した気がする。
今日訪れた楽器店は、地元のバンドマンには結構有名な老舗楽器店で、地方遠征にきたプロのミュージシャンなどもメンテナンスを頼むという話を聞く。
並んでいる楽器も、新品中古に限らずなかなかの掘り出し物があるらしい。
俺は、予算と相談しながらも一通りベースを眺める。
「いっぱい種類があるのねぇ。てっきり色が違うだけかと思ってたわ」
サラは楽器初心者らしい感想を述べる。
まあ、俺もそこまで詳しいわけではないのだけれど。
ベースの中には、ジャズベースとプレシジョンベースという大まかに分けて二種類がある。
見た目においても、いわゆるギターやベースらしい形の左肩が少し上がった特有の形をしているフェンダー社製のもの、同じメーカーでもクワガタみたいに左右対称に尖った形をしたSGタイプなど、様々だ。
動画とかで色々勉強してみたものの、やっぱり実際に触れてみたい。
「試奏もしたいところだな……まずはフィーリングでビビッとくる奴はないかな」
俺は真剣な眼差しでベースを眺め、楽器店をうろつく。
店内は、所せましと楽器が陳列されており、ちょっとした迷路のような様相である。
その角辺りには試奏スペースが設けられており、アンプが置かれていて試しに弾いてみたいギターやベースがあればそこで弾かせてもらうことができる。
今は同年代ぐらいの小柄な女の子が、ギターの試奏をしていた。
黒いパーカーを頭からすっぽりとかぶっており、背中を向けて座っているため顔はよく見えないが、足元は制服のスカートであるため学生だとわかる。
ちなみに、俺が見たことない制服なので、他校であることは間違いない。
俺は視線をベースに巡らせていたが、耳から聞こえたサウンドに一瞬で意識を持っていかれた。
「リンキンパーク、『Given up』か」
特徴的なブラッシングで始まる楽曲は俺もお気に入りの曲であり、すぐに気が付いた。
それにしても……。
目線はベースのまま、俺の耳はもう少女の試奏の方に向いている。
ドロップDの歪んだギター演奏が店内に響く。
少女はそのまま、鼻歌を歌いながらブラッシングとカッティングを織り交ぜ、気持ちよさそうに弾きまくる。
にしたって、もうちょっとギターの音色がわかる曲の方がいいんじゃ……。と心の中で思った。
試奏では音色を確かめるような弾き方をするのが一般的だと思う。
まあ、十八番の曲や手癖を弾いてみるのも良いし特に決まりはないのだが、激しく歪ませたり弾きまくったりすると音を確認しにくくありませんかね。
そんなことはお構いなく、少女の演奏は続く。
もうサラなんか、ガッツリガン見してるし。
サビ前に来て、少女の演奏は熱を帯びてくる。
そうそう、サビで一気に盛り上がるんだよなーと聴いていると、
「I've given Ahhhhhhhhhhhhhhh‼‼」
一瞬の溜めの後、絶叫した。
同時に、激しく歪んだギターをかき鳴らす。
小柄な姿に似合わない、深く泣き叫ぶような歌声は、本家の男性のボーカルにも引けを取らない衝撃があった。
そのまま、ガンガン弾きまくって歌いまくる。
もはやワンマンライブだ。
店内には俺たち以外の客は居ないようで、店員も奥の方で作業をしているものだから、観客は俺とサラだけだ。
それでも、俺はこの数秒で彼女の歌、演奏、そしてエモーショナルなシャウトに心奪われていた。
キュートな声音に、粘り気のある声量が後押しし、パワフルで煌びやかな歌声だった。それでいて、どこか無邪気なガーリーさを持っている。これまで聞いたどの女性アーティスト(アキラさんを除く)、どのシンガーよりも俺の心を奪った。
「すご……」
隣で、サラも驚嘆の声を漏らしている。
ワンコーラスを歌い切り、さらに弾きまくろうとしたところで店内の奥から別な少女が姿を現した。
「ちょっと、アリサ。うっさいんですけど」
白のタンクトップからくびれたへそが見える。デニムのホットパンツからは真っ白な健康的な太ももがのぞき、オーバーサイズのグリーンのジャケットを羽織り、キャップを目深に被ったボブカットの少女が試奏のギター少女を止める。
アリサと呼ばれたギター少女は顔を上げ、そこでようやくフードを外した。
そこには、深紅の髪が現れた。鮮やかな赤色の髪が揺れる。
少女、アリサは少し照れたように笑い、「ゴメンゴメン、でもこの子が叫びたいって言ってたから」とギターを指さし言い訳をした。
「いや……叫んでたのはあんたでしょうが」
キャップの少女はアリサの赤い頭をチョップしてツッコミ、「スティック買ったからもう行くよ。きーちゃんも待ってるし」といった。
アリサは試奏していたギターをスタンドに戻し、立ち上がった。
どうやら購入を検討していたわけではなく、暇つぶしをしていただけの様だった。
振り向き、歩み出した彼女と目が合う。
まあ、俺とサラで彼女をガン見していたものだから、出口に向かうキャップの子とアリサという少女は俺たちを見て少し面食らっていた。
「はっ……?」
「『はっ?』じゃなくて、あんたがうるさかったんでしょ……スミマセン」
キャップの子が軽く会釈して、俺たちの脇をすり抜けた。
アリサの方は、深紅の髪をちょっと撫でて俺を興味深そうに眺めた後、無言でその後の続いた。
嵐のように、二人の少女は店を後にした。
外では、キャップの子が「ね、あの女の子、モデルかな、めっちゃ可愛かったね」などと話しているのが聞こえる。
ぼけーっと、先ほどの即興ライブの余韻に浸っていると、横から小突かれた。
見ればジト目のサラが、「んで、ベースは決まったの?」と強い口調で聞いてくる。
俺はなぜか慌てふためいて、「あー、とりあえず、保留で」というしかなかった。
少なくとも、今日のこの状態でベースを選別するのは、無理がある。
俺は新たな相棒探しを後日に延期することとして、とりあえず新しいピックを数枚購入して店を後にした。




