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ノケモノロック  作者: やしろ久真
第二章「ASAYAKE」

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第三十三話「明日なき暴走」


 遼の家は、単刀直入にいって、汚部屋というのが最も適切な表現であろう。


 築年数がかなり経っていそうな平屋の、六畳そこらの部屋。そのど真ん中には初夏になろうかという時頃にもかかわらずコタツが鎮座しており、足の踏み場がないほどに、脱いだシャツやら漫画雑誌やらペットボトルなどが転がっている。


 一度も畳んだことが無いだろうという布団が、ぐしゃっと落ちていた。


 親は現在家には居ないようで、「構わず入れよ」と遼は言う。


「うわぁ……個性的な部屋だね」

 ミサキは引いている。

 もちろん俺も引いている。


「ま、すきなとこ座っちゃって」

 部屋の主は、意に介せずコタツの正面にどかっと座る。


 ミサキは遠慮しながらも、ドアの可動範囲に(ここには物が置かれても、ドアの開閉に合わせて除けられるため、スペースがあいていた)座り、俺は仕方なく汚らしい布団の上に胡坐をかく。


「んで、『みょーあん』ってなんだよ」

 俺が問うと、遼はボサボサの前髪を揺らしながら、コタツの中からアコースティックギターを取り出す。


「これよ」

 ふふん。とドヤ顔をするが、全く何のことかわからない。


「おれと幽人で一曲作るのよ。それをネットで公開して、メンバーを募集する」

「わあ! いいと思う!」

 遼は満足げに顎を上げ、ミサキはぱちぱち拍手をしている。

 俺は嘆息して、「いや、お前の歌の再生数は2回なんだろ……」と突っ込んだ。


「まあまあ、実際に聞いてもらえるかわからんけどさ。音源があった方が勧誘はしやすくね?」

 まあ、遼の言うことに一理はある。


 俺たちがやろうとしている音楽や技術を言葉で説明するよりも、実際に聞かせる方が手っ取り早い。


「そういえば、おまえ。どんな音楽聴くんだ? どんな曲をやってくつもりだ」

 俺はここにきて、大事なことを確認するのを忘れていた。


 遼とバンドを組むのはいいが、こいつと音楽的嗜好がかけ離れていると活動に支障が出かねない。


「ん? おれ、音楽は全部すき」

「は?」

「だから、全部だよ。とくにジャンルとか国とか関係ねぇ。全部やりてぇんだ。だから、幽人がやりたいジャンルがあったらそれを勉強するよ」


 確かに、言われてから部屋を見回すと、いたる所にCDがジェンガの様に積まれている。

 そして、それは本当にジャンルフリーだった。

 ロック、パンク、ジャズ、メタル、レゲェ、R&B、フォーク……。新旧問わず、名盤といわれるものがゴロゴロしている。


「それは、すげぇけど……。そもそも、音楽やりたいって思ったきっかけはなんだ?」

「おれ、愛されたいんだよね」

 ぽつりと、遼は言う。


 それは、今までのふざけた口調ではなく、零れ落ちたまっさらな本音の様で、俺は返す言葉を失った。


「ま、それはいいじゃん。とにかく、一曲作ろうぜ」

 遼が、ジャカジャンとアコギを鳴らす。


 そこから、遼が適当なコードを鳴らし始めた。

 俺はギターを持ってきていないし、遼の家にはどうやらこいつが持っているアコギ一本しかないようで、俺とミサキはそれを眺めているだけだった。


「まあ、本格的に音源を作るには後日だな。俺も少しは録音機材があるから、それを使えよ」

 俺はそう言うと、もう帰ってもいいかなと思い始めていた。


 音源を作ることに異存はない。しかし、俺のギターがこの場にない以上、ここに居座る必要もない。


 ミサキも居心地が悪そうに足を組み替えるのが見え、俺は帰るという一声を出そうとした。


 その時だった。

 遼が歌い始めた。


 それを聞いたとき、俺とミサキはぴたりと、動きを止めた。

 何だコイツの歌。


 驚愕する俺たち二人をよそに、当の本人は気持ちよく歌っている。

 おそらく、即興なのだろう。歌詞はまとまりが無く、「これから俺たち伝説の幕あけぇ~」とかしょうもない事を歌っている。


 しかし、その歌声、特にメロディが秀逸だった。

 キャッチーで、それでいてコアだ。

 俺は直感的に、こいつの才能を認めざるを得なかった。


「あれ、どしたの?」

 遼はびっくり顔でミサキを見る。

 ミサキは、なんと瞳に涙を貯め、今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「あ、ゴメン。なんでだろ、ちょっと……」

 といい、ハンカチを取り出して目を拭った。


「この部屋が埃まみれ過ぎんだよ。目にゴミが入ったんだろ。ちょっとは掃除しろ」

「ありゃーごめんね、ミサキ」

 俺は冗談でその場を取り持った。

 遼は立ち上がり、窓を開け始めた。


 そうでもしないと。

 何とか日常の空気で済まさないと、俺たちは立ち上がれない。


 こいつの生み出す歌メロは、常軌を逸している。一瞬で人を魅了するような、魔性の響きだ。


「なあ、ちょっといいか」

「あん?」

 窓際に立つ遼に、俺は問う。


「お前のネットにあげた音源、聞かせてくれよ」

 俺は、確かめなければならないと思った。

 これほどまでの歌を発表して、再生数2はあり得ない。


「ええ~。ちょっと恥ずかしいな」

 遼はそういいながらも、ノートパソコンを取り出しコタツの上に置いた。

 いくらか操作して、例のネットに挙げた歌を再生する。これで再生数3だ。


「おまえ、馬鹿か」

 俺は、案の定というか、ホッとした気持ちで言った。


「なんで?」

 遼の音源は、ノートパソコンの備え付けの内臓マイクで一発撮りしたものだった。

 歌もギターも一緒に演奏して録音しているものだから、音量バランスがおかしいし、そもそもマイクの性能が悪くてノイズが大きすぎる。

 おまけに、曲名も「イチネンホッキ貝」とかいうふざけた名前だ。


 そりゃ、好んで見る奴もいないだろう。

 だが、これはむしろ俺にとっては幸運だったかもしれない。


 こいつほどの才能が、まだ誰にも確保されていなかったのだから。


「いいか、録音機材は俺の持ってるものを貸してやる。オーディオインターフェースとダイナミックマイクぐらいはあるから、ギターと歌は別で撮って後でミックスしろ。ベースとドラムは打ち込みでもいい。PCソフトは俺が持っているのを分けてやる」

 俺は、心の中にすっかり火が付いた。

 こいつなら、もしかしたら。


 まだポカンとしている遼をよそに、俺は立ち上がり家に機材を取りに行った。


 その時、ちょうどドア前に居たミサキと目が合う。


「いよいよだね、藤木君」

「ああ、そうだな。しっかり見とけ。これが俺たちの『明日なき暴走』ってやつだな」





 俺は自宅に戻り、録音に必要な機材をかたっぱしからかき集めた。

 善は急げ。俺は今日にでも曲を録り始めたかった。


 完成しなくてもいい。デモといえるほどでなくても、今日の興奮における何らかの痕跡を残したかった。


 時刻は、もう夕方六時を過ぎている。

 自宅の二階、俺の部屋である和室から両手いっぱいの機材を詰め込んだバック、背中にはギターケースを背負って駆け降りる。


 玄関のドアを荒々しく開き、飛び出そうとしたところで玄関先の人影にぶつかりそうになった。


「なんだ、今から外出か」


 その、冷たく固い言葉に俺の体はピタリと止まる。


「あ、ああ」

「……また、そんなものをもって何処かへ行くのか。いい加減にしておけよ」

 父は、俺の抱えたギターや音楽機材をまるで趣味の悪いオモチャを見るかのように、軽蔑した目線で見下し、吐き捨てた。


 俺は何も言わず、その横をすり抜け、家を後にする。


 親父は何もわかっていない。

 俺の心には、先ほどまでの盛り上がる焦燥感は一切なくなり、いつもの冷めた感覚が押し寄せてくる。


 親父は、貧しい家庭の生まれだったらしい。

 かつて、親戚で集まる席で酒が入り、自分の生まれを憂い、またそこから這い上がった様子を武勇伝のように語っていた。


 親父には年下の兄弟が多く、彼にとっての父親……つまり俺にとっては祖父に当たる人は、すぐに病気で他界したらしい。そのせいで、親父は中学校を卒業するとすぐに働きに出たそうだ。


 大手の自動車メーカーの下請け工場に就職し、実家へ仕送りをしながら貧乏暮らしを続け、ひたむきに働いたという。

 その努力と根性を買われ、30代後半に差し掛かったころ、新しく建設された工場のほうで主任に抜擢されるほど、周囲からは信頼されていたようだ。

 そこで母と出会い、俺が生まれた。


 その後は中古住宅ながらも一軒家を手に入れ、ようやく人並みの生活水準を手に入れたのだった。

 だから、親父は何事も堅実にひたむきでなければいけないと言う。


 俺が通えなかったのだから、お前はいい高校へ行け。

 たくさん勉強をして、いい大学を出て、一流企業の役員を目指せ。

 人に使われる人間になるな、人を使う側の人間になれと、洗脳のような教育を受けていた。


 娯楽や嗜好品の類は人生には不要なものだ。つらい仕事であればあるほど見返りがある。人生を豊かにするのは仕事なのだと、父の信念は固い。


 俺は子供のころから漫画やゲームの類は一切許されず、テレビでバラエティ番組を見るのも一日に一時間のみだった。


 制限され続けた生活の中で、俺の唯一の娯楽はラジオだった。

 小学5年生の夏休み、自由研究で俺は自作ラジオを制作した。モノづくりについて寛容な親父は、むしろ喜んで材料などを買い与えてくれた。


 初めはただの暇つぶしで聞き始めたラジオから、聞こえてきたのは海外の音楽を紹介する番組だった。中でも、俺の人生を大きく変えたのはOASISだった。

 自由奔放にかき鳴らすギターロックに、一度聴いたら耳から離れないメロディ。


 俺の心を解き放ってくれるロックは、同時に俺に反抗の意思を芽生えさせる。


 彼らも恵まれない境遇から、ロックスターへと駆け上がっていくドラマ性にも強く惹かれた。


 絶対、ロックで食って生きてやる。


 プロのミュージシャンに、メジャーデビューを絶対してやるんだ。

 ロックに打ち込むことは、俺の親父への反抗でもあった。


 中学生になったとき、俺は母方の祖母にねだりエレキギターを買ってもらった。

 もちろん父親はいい顔をしなかったが、勉強も今まで以上に頑張るという約束をして何とか説得した。


 俺は、機材を握る手により一層強い力を入れなおし、遼の家へと急いだ。

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