第二十一話「彼女の悲痛な叫び」
教室を後にし、俺は一人廊下を歩く。
彼女が消えた方向へ、歩みを進める。
サラは実行委員会室となった視聴覚室に、一人たたずんでいた。
以前、生徒会による有志バンド発表のスケジュール表が、まだホワイトボードに残っている。
今はそれぞれのクラスの準備で忙しいのか、視聴覚室には他に誰もいなかった。
俺は彼女の背を追って、そっと踏み入れる。
サラは窓の外をじっと見つめており、俺の位置からはその美しい金色の髪しか見ることができない。
俺は何も言わず、近くのパイプ椅子を手繰り寄せ、座った。
そのまま、いくばくかの時間が過ぎた。
「ねぇ、またいつものやつ。聞かせてよ」
そっと、声がする。
いつものやつ。
初めて会った人には何のことか全くわからないだろうが、俺と神宮寺サラの短い関係の中でで行われたことなど、思いつくのは一つだけだ。
「……レッドツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムはツアー中のホテルで酔っぱらって、隣の部屋のメンバーに会いに行ったらしい。その方法が、ホテルの部屋の壁をぶっ壊して部屋と部屋を貫通させたとか。……しかし、壊す壁の方向を間違えて、逆となりの部屋に行ってしまい、全く関係ない人の部屋に闖入してしまったらしい。これぞ文字通りの破天荒って奴だな」
神宮寺サラは何も言わない。開け放たれた窓から春風が飛び込み、髪がふわりと舞い、サボンのいい匂いがした。
俺は思いつく限りの話を続ける。
「オジーオズボーンはライブ中、客席から投げられたコウモリの『はく製』を、頭から食いちぎるパフォーマンスをやったんだ。だけどそのコウモリは『はく製』じゃなく、本物のコウモリで、頭にかみついたオジーオズボーンは狂犬病に感染し死にかけたらしい。犬じゃないのに狂犬病なんだなってな」
彼女は何も言わない。
「フォールアウトボーイのヴォーカルの……」
「うるさい!」
神宮寺サラは泣きそうな声で叫んだ。
俺は思わず、言葉を止めた。
そっちから言えといったんじゃないか、とは言えなかった。
「なんで……、なんであんたみたいなのしか居ないのよ……」
神宮寺サラは吐き捨てるように、一人つぶやくように言った。
俺に対して話しかけるわけでもなく、神宮寺サラはその場で一人ささやいた。
「俺は、学校じゃ何の発言力もない。裏を返せば、俺に何を言っても誰にも広まらないってことだ」
俺はサラに言うでもなく、一人呟いた。
どういう事情か、話してほしいと思ったからだ。
俺は彼女を糾弾するために来たわけでも、慰めることができるわけでもない。
今の俺は、ただ聞いていることしかできないんだ。
やがて、意を決したように、けれど消え入りそうな小さい声で、サラは話し始めた。
「私は、子供の頃、みんなとは違う髪の色や顔立ちのせいでよくいじめられていた。大体、幼稚園くらいの時。当時の私は正真正銘の金髪で、男子によくからかわれていた。それに便乗した女子たちが私を馬鹿にした。それが嫌で、私は毎日泣いていた」
彼女の話は、彼女が女王へと至る過程の話だ。
俺は静かに、聞き続ける。
「その頃の私は、ハーフである自分や、自分を生んだ親のことを恨んでいた。そうして親に泣きついたわ。どうして普通の私にしてくれなかったのって。そしたら母親は、『自信を持ちなさい。どんなにいじめられようと、自分を信じて堂々としていなさい。物事の本質は、見た目では測れないものだから』って、教えてくれた」
彼女が話す言葉の端々に、母親への感謝の念が伝わってくる。
「そこからは、私は堂々とするようにした。どんなにつらくても、恥ずかしくても、堂々と振舞った。髪も長く伸ばしてやった。そうしたらある日、ある女の子が言ってくれたの。『その髪、とっても綺麗だね』って。そこから、周りの女子たちの反応が変わった。みんなが私の髪を誉めてくれて、私は途端に人気者になった」
「そうして私は生まれ変わったの。この髪を信じて。小学生になってからも、周りが何と言おうと私を貫いた。そうしたら、最初はうるさく言ってくる連中も、次第におとなしくなって、私を誉めてくれる人のほうが多くなっていった。この髪は私のシンボル。お母さんがくれた、大事な宝物なの」
そこまで語り、彼女は一瞬息をのんだ。
「でも、それも次第に変わっていった。中学生になったころ、私の体質は少しずつ変わっていた。次第に髪色が鮮やかな金色から、くすんだ茶色が見えるようになっていった。それでも、私は堂々と振舞った。けれど、輝きを失った私の姿を、誉めてくれる人は誰もいなかった。次第に私は自信を無くし、孤立して『みんな』の中には入れなくなった」
「それでも、私はあきらめたくなかった。たとえ、何かの力を借りたとしても、私は私の輝きを取り戻したかった。日本人でも髪を染めて活躍しているモデルや女優は沢山いる。芸能人の大人だったら染めてない人のほうが少ないくらい。なのに学生が染めてはいけないのはおかしくない? それに、髪色が黒じゃないのは生まれつき。私は、美容院で染めてもらうことと、今までの私を知らない遠い場所に引っ越してもらうことを両親にお願いした。お父さんの仕事場は海外だから、日本の家の場所には拘らなかったのは本当にありがたいと思う」
「そうして、私はこの街に来た。そして、もう二度と、輝きを失わないように努力を続けた。髪を染めてもらって、ケアのために美容院に通った。お金も親に払ってもらうのは嫌だから、お父さんの伝手を紹介してもらって、翻訳のアルバイトをさせてもらってその給料で美容院代を払ってた」
春藤祭の準備が忙しくなるとアルバイトのほうは進まず、美容院に行く時間もお金も無くなりドラッグストアで染髪料を買うしかなかったのだろう。
そう考えると、髪染めやアルバイトは校則違反ではあるものの、こいつは普通に努力してこの地位を手に入れたんだなと思った。
「なのに、どうしていつもこうなってしまうの? どうして私ばかりみんなは虐めるの?」
彼女の悲痛な叫びは、かすれ声となって俺の心を震わせる。
俺は思考を巡らせる。
俺が彼女にできることは何だろうか、と。




