第十七話「絶対見に行ってやらないんだから」
その週の土日は一日中練習に明け暮れた。
本番まであと数日。俺たちのバンドは仕上げに向かっている。
そんな日曜日の夜、俺のスマホに通知があった。
ちなみに俺は家にいる時間の、食事と風呂、トイレ以外の時間は常にベースを抱えている。
今日も部屋のベッドの上に胡坐をかき、オリジナル曲のベースラインを熟考していた。
ずっと弾き続けるのは指先の限界があるが、仮にぼーっとテレビを見ている間でもベースを抱え、無意識のうちに運指をしている。
ジョニーから教わった教訓として、日常的に楽器を触り続けろというのがあった。
ある程度の経験がある演奏者は、ステージに立った人が楽器を持つ姿で、すぐに上手いか下手かわかるのだそうだ。
上手い人の特徴として、楽器が体の一部になるくらい馴染んでいる。だから楽器に触れ続けろ、と。
俺はその教えを律儀に守っている。
俺はスマホを拾い上げる。
ランボーからだった。
画面には「なぁ、『サムネイル』ってエッチな言葉だと思うんだが、どう思う?」とある。
俺は一息、嘆息するとスマホを置いた。
返す気力もなく放置していると、また通知。
「なぁ、『さすまた』ってエッチな言葉だと思うんだが、どう思う?」ときた。
確かに……。
いやいや、ちょっと言葉が似ているだけだろ、それ。
放置していると、また通知が来た。
そろそろちゃんと叱った方がいいかなと思い、スマホを取り、内容を見る。
「今からこれる? 大事な用」とメッセージ。
差出人は、神宮寺サラだった。
*
「んで、大事な用って……」
学校の最寄り駅近くの公園。
夜、二十二時を過ぎたこの時間帯には、飲み歩きのおじさんがタバコをふかしていたり、飲食店のアルバイトに行くのか、はたまた帰りなのか大学生ぐらいの若者がまばらにいる程度である。
街灯の下に背をもたれて立つサラは、ランニングシューズを履いて、デニムのパンツにパーカーを羽織り、金色の頭髪を隠すようにフードをかぶったラフな格好で立っていた。
俺は、日曜日にもかかわらず母親が仕事でまだ帰っていないことをいいことに、家を飛び出してきていた。サラは、夜のランニングにでも来たような恰好だったが、さすがに女子一人でこの時間にブラブラと外出を許す親でもないだろう。
「忘れ物。明日までに企画書を清書して提出しないといけないのに、資料の書類を教室に忘れちゃったの。親にはナツミの家に忘れ物取りに行くって言ってる」
ケロリとサラは言った。
実行委員は、生徒会に対して企画書を提出する決まりとなっていた。どれくらいの予算を使い、どのような出し物をするのか。事故の危険や金銭トラブルが起きないかを判断する、重要な書類だ。
「学校か……。明日じゃダメなのか」
俺はやや、ガッカリ気味に言う。
そのニュアンスが漏れ伝わったのか、サラは少し咎めるように眉を上げる。
「だめでしょ。ふつーに。まだ進捗半分くらいだし」
「そうか……って、こんな時間から企画書つくるのか?」
そろそろ日付も変わろうかという時頃。
俺ならあきらめて寝るだろう。
「仕方ないでしょ。私は忙しいのよ」
そういうと、サラは背を向けて歩き出した。
「連帯責任よ。さ、いくよ」
「行くって、マジかよ……」
確かに、書類の作成はサラに一任していた分、俺も全くの無責任というわけにもいかないが。
夜の学校に侵入なんて、不良かリア充がやるイベントだと思っていた。
俺とか見つかった暁には、誰にも気づかれない間に退学になったりとかするんじゃないか……?
一抹の不安を抱えつつ、毅然と先を歩くサラの後を追った。
*
夜の学校はまるで、まったくの別世界であるかのようだった。
白く、四角い校舎はそびえたつ城壁のようで、校門はそこへ続く扉のようだ。
郊外に立つ学校は街の明かりから遠く、真っ暗な窓が連なり周囲から一層闇が濃くなったようだった。
普段の明るい状態に見慣れているからか、暗闇の学校は不気味に見える。
「校門でも飛び越えるのか?」
締め切った校門には、当然のように鍵がかかっているだろう。
「まさか。体育館側の方にね、ちょうどいい高さの街路樹があるの。そこを踏み台にすれば校舎に入れるって聞いたことがある。行ってみましょ」
そういうと、サラは弾む足取りでずんずん進んでいく。
さてはこいつ、楽しんでやがるな。
俺はもう諦めの境地で、フード頭のサラについていく。
サラが言うように、体育館の裏手側の街路樹を使い、すんなりと敷地内に侵入することができた。
そこから、特別教室がある棟の外周に向かう。
こちら側の女子トイレの窓の鍵は壊されているらしく、外見では錠がかかっているように見えるが、フックが歪んでいて窓が開いてしまうのだという。
まったく、どいつもこいつも悪いことをするもんだ。
学校の一部の生徒には口伝でいろいろな噂や裏技が伝わっているのだろう。
俺みたいな交友関係に乏しい奴は、知る由もないのだ。
「さて、無事侵入できた」
サラと俺は外履きの靴を片手に、ペタペタと足音を響かせながら、夜の校舎を歩く。
おそらくはどこかに宿直の警備員などがいるのだろうが、今は全く人の気配がない。
非常灯の薄らぼんやりの明かりを頼りに、俺たちは歩を進めた。
特に会話はない。
俺はただ、前を歩くサラの後ろを事務的についていくだけだ。
やがて、俺たちはいつもの教室にたどり着く。
「じゃあ、俺は廊下を見張ってるから、書類とってこいよ」
俺は何となくサラと距離を置きたくて、そんなことを言った。
「大丈夫だって。誰もいないから。ちょっと来なよ」
そんな俺をよそに、はにかみ顔のサラが手招きをする。
無人の教室に並ぶ無機質な机。見慣れた空間のはずなのに、初めて来た場所のようだ。なぜだか、心が高揚する。
カーテンが束ねられ、ひらけた教室の窓から、遠くに街の明かりが見える。
その上に、綺麗な三日月が浮かんでいた。
サラは窓際の席の椅子を引き、その上にちょこんと座った。
両手で頬杖を突き、どこか楽し気な声音で聞いてくる。
「ねぇ、クチナシ……ふふっ」
お前まで、そのあだ名で呼ぶのかよ。
呼んだ本人は、何がおかしいのかクスリと笑う。
メンバー以外に呼ばれると、なんだかそれはそれで恥ずかしいな。
「あんたってさ。本気でミュージシャンになろうとか思ってるの?」
どうやら、すぐに書類をとって帰る気はないらしい。
俺はその脇に立ち、窓の外の景色を眺めながら答える。
「どうだろうな、正直そこまで考えたことはない。俺はただ、ちょっとした目標があって、そこにたどり着くまで音楽を鳴らしたいと思ってる」
「ふうん?」
サラは、分かったのかわからないのか、よくわからない返事をした。
「翔斗があんたのこと、よくバカにしてるのもそれが原因?」
いつも霧島と行動をするサラは、おそらくヤツから色々聞いていたのだろう。
最初の頃、俺の印象がすこぶる悪かったのもそれが原因に違いない。
「まあな。実際、アイツと初めて会ったとき俺は本当にクソみたいなやつだったよ」
それを聞くと、サラは「へーぇ?」と声を漏らした。
「ねぇ、またこないだのやつ聞かせてよ」
サラはニコッと笑って提案する。
こないだのやつといえば……俺のロックスター偉人伝のことかしら。
「……ローリングストーンズのボーカリスト、ミックジャガーは友人であるミュージシャンのデビッドボウイから、クリスマスプレゼントとして当時は高価だったビデオをもらったらしい。そのお返しにミックが送ったのは、ネクタイの様なものだけだったとか。いや、値段が違いすぎるだろってな」
それを聞いても、サラは特に笑いもしない。
あれ、スパコンやランボーのアホなやり取りの時はケッケラ笑ってませんでした……?
だが俺は続ける。
「オアシスというバンドはギャラガー兄弟が中心メンバーとなって結成されているんだが、その仲は悪かったらしい。あるライブで、破天荒な弟のリアムが演奏中に薬物を使ったことに切れた兄のノエルは、タンバリンで頭を殴ったらしい。どんな音が鳴ったんだろうな」
「うん、もういいわ」
なんだよ、そっちから言えといったんじゃないか。
俺は偉人伝の披露をやめ、サラに向きなおす。
「なあ、俺からも一つ聞いてもいいか」
「なによ」
俺は、出し抜けに一つ問うた。
普段の教室では、到底聞く機会などないのだろう。
この日常と非日常の境界のような状況で、初めてサラに聞いてみようと思い至った。
「お前。心の底から信頼できる友達っているか?」
「ハァ?」
サラは拍子抜けた様な声を出す。
「いや、普通はこういうことって、仲のいい親友とかとやるもんだろ。俺なんか、ただの事務的手伝いのもんで……」
夜の学校への侵入なんて、実際にはそうそう実行できるものではない。一歩間違えれば停学や、警察のお世話になりかねん。
本来、この場にいるべき人間は俺じゃない気がしていた。
大体いつも一緒に行動している美野とか、あるいは同じくカーストトップの霧島なんかがふさわしいのかもしれない。
それをきっかけに、俺はサラに抱いていたある印象について迫る。
「あんたみたいなおかしな交友関係しかないやつに言われたくないっての」
からかうように笑うサラに、俺は続ける。
「まぁ、そうなんだが。なんつーか、こう、馬鹿話を延々とできたり、大人に知られたら怒られるようなことでも協力してくれるようなやつって、お前にいるのかなって」
俺の言葉に、癇に障ったのかサラの声音は低くなる。
「そんなことあんたに関係ないじゃない」
楽しげだったサラは、遊びを阻害された子供の様に不服そうである。
だが、俺も一度切り出してしまった以上、後戻りはできない。
「……俺、中学の時はそれなりに友達も多かったんだ。クラスで休み時間にはテレビとかゲームの話で盛り上がって、学校祭や修学旅行も孤立することなんかなかった」
俺は過去を回想しながら、滔々と語る。
サラは腕を組んで、何も言わずに聞いていた。
「でも、放課後はどうしてか一人でいることが多かった」
ただ何となく、時間を消費するだけの生活をしていた俺は。けれど、どこか周りと一線を引いていたのかもしれない。
「そして、高校生になって、俺はいろいろ間違えて、勘違いをしてイタイやつって周りからからかわれるようになった。それからようやく、中学時代の友人に相談できる奴が一人も居なかったんだって初めて気が付いた」
サラは何も言わず、真直ぐに俺を見据え話を聞いている。
「孤独になって、初めて気が付いたよ。俺は一人なんだって。『みんな』っていう目に見えない組織に所属できない、ノケモノだったんだって」
やろうと思えば周りの空気を読んで、合わせることはできるのだろう。
しかし、周囲から爪弾きにされ、一人になったとき。
これまでの俺は周りに合わせることで自分を殺していたようなことに、気が付いた。
例えば、クラスメイトが本気で『プロのミュージシャンになりたい』って宣言したら。
周りはどう思うだろうか。
応援する言葉をくれることもあるだろうが、成れっこないとか、夢見てんじゃねぇとか、恥ずかしい奴だなとか内心では思うかもしれない。
しまいには、それをきっかけに馬鹿にされたりするかもしれない。
そういう想像をしてしまうと、自分の個性とか夢を語るのは恥ずかしくて、引っ込めてしまいたくなる。
夢見がちな奴って馬鹿だよねーと、冷めた目線で現実が見えてる風なことを言えば、周りから指を差されたり、孤立することはない。
退屈な日常を過ごしていた俺は、その実、平凡であり周りから突出しないことを自分自身に課していたのではないだろうか。
いつの間にか自分を引っ込めて、閉じ込めていたのではないだろうか。
自意識という、自らの枷を嵌め込んで。
退屈を生み出していたのは、他ならぬ俺自身だったのだろう。
「スパコンやランボーと出会えたのは本当に幸運だったと思う。俺がノケモノじゃなかったらあいつらとは仲間になれてなかった」
『みんな』には属せなくても、そこからはみ出した奴等で徒党を組めばいい。
無様でちっぽけな存在かもしれないけど、ボリュームを回せば大きなサウンドを生み出せる。
そんな仲間に、俺は出会えた。
「……それで、何が言いたいの? 私もその『除け者』とかいうイケてない奴らの仲間になれっていうの?」
サラが憤慨したように口を開く。
「バッカじゃない。あんた達みたいな連中はね。私みたいな人が努力もせずに人気者になって、友達に囲まれているみたいに言うけどね。そんなわけないじゃん」
口を開いたサラは、今度は攻勢逆転とばかりにまくしたてる。
「流行に合わせて、ノリに合わせて、そのうえで自分の個性を磨いてる。身だしなみとかファッションとか、スタイルとか、話題とか言動とか。必死に努力して今があるの」
「あんたが『みんな』からはじき出されたのは、あんたの努力が足りなくて弱いからでしょ」
サラは怒りを込めた視線で、荒っぽく言った。
彼女の視線は、窓の外に向けられていた。
うっすら反射する窓鏡に、俺は目線を向ける。
その表情は、俺自体に怒りがあるようには見えない。
そもそも、俺なんか彼女にとってはムシケラのような存在で、怒りを向ける必要すらないだろう。
むしろ、俺の言葉が彼女の中にある何かを刺激してしまい、それを守ろうとして反撃しているように思えた。
孤立して、周囲と合わせる努力をやめ自分の目標に向かって突き進む俺と、周囲に合わせる努力を続けるサラ。
しかし、俺の目にはなぜか、学校生活の中の神宮寺サラがどこか寂しげに映っていたのだ。
周りにはいつも人がいて、取り巻きを従えヒエラルキーの頂点に君臨している。
だが、その三角形の頂点は、並び立つ者が居ないということでもないだろうか。
俺はサラの反応に、次ぎの言葉を探した。
その時、廊下から足音がした。
俺たちの口論を聞き取ったのか、はたまた定例の巡回なのか。警備員が来たのだと悟る。
俺たちはとっさに近くの教壇の下に潜り込んだ。
教壇の机の下は、人が二人並ぶには少々狭い。お互いの肩がぶつかる。
呼吸が聞こえるほどの距離感。
しかし、それまでの会話の内容から、無邪気に笑いあうなんてことは到底できない。
二人の心の距離は絶望的なほどの深い溝があるかのようだった。
俺たちは何の言葉も交わさず、目線すら合わせることなく、そっと身を隠す。
そんな状況でも、間近に感じる異性の香りに俺は緊張する。
俺の鼓動はBPM二百ぐらい、普段の倍以上のスピードで高鳴る。
「あんた達のライブなんか、絶対見に行ってやらないんだから」
サラは拗ねたようにささやいた。
足音は去ってゆく。
俺たちは細心の注意を払い、目当ての書類を回収するとそのまま言葉を交わすことなく、学校を後にした。




