第百十五話「なんのためにライブをするんですか?」
◇
「もういよいよ来週っすね、春藤祭」
スズは緊張した面持ちでそう言った。
「今から緊張してたら体が持たないよ」
あたしはスズの背中を撫でながらそう返す。
「まったくもう、緊張を知らないエミリが羨ましいっすね」
「こいつは変人だから普通の感情がないのよきっと」
「市来はひどいことをいうなぁ」
今日のあたしたちは、放課後に視聴覚室に集められていた。
と言うのも、一週間後に迫った春藤祭の有志部門出場者に対して、日程などの最終確認を行うためだ。
今年から着任したメガネをかけた女子生徒会長は、真面目そうな顔で出場者たちへの注意事項を説明している。
「……以上です。他に質問等がなければ今日は解散してください」
説明が終わると、出場者たち数十名は騒がしく解散を始める。
「ねえ、市来は練習順調?」
あたしは、先ほどの説明の時から硬い顔をしている市来に声をかける。
「え? うん。まあ順調かな。一応あの二曲は通して弾けるようになったし」
市来は一瞬戸惑うような顔をしたものの、前髪をいじりながらそう答えた。
「まあ、初めてのライブなんで、とにかく出し切るだけっすね」
スズもそういい、市来はコクコク頷いた。
その時、すでに解散し人が減った視聴覚室に見知った顔の先輩が入ってきた。
霧島先輩が、生徒会長に片手で挨拶をすると、そのまま打合せのような話を始める。
「あれ、霧島先輩。どうしたんですか?」
霧島先輩はあたしのことを見やると、少しめんどくさそうにしながらもこちらに向き直した。
元々、霧島先輩もクチナシ先輩同様、この有志ライブには出場しないはずだ。
「よお、橘。今年の生徒会はメンバーも変わってあんまり音楽に詳しい人がいないらしくてさ。俺がアドバイザーとして設営や機材準備の段取りやらを面倒見てあげてるわけ」
霧島先輩がそういうと、生徒会長は恭しく頭を下げた。
「だからよ、お前たちもしっかりいいライブしろよ。去年よりも盛り上がらなかったとかいわれんじゃねーぞ」
「はい、善処します。今年はあたしたちが霧島先輩たちの曲とクチナシ先輩たちの曲をやるんで」
あたしはそう答えると、霧島先輩は少し眉を吊り上げた。
「そうなのか。……今日もこのあと練習すんのか? 少しみてやろうか」
「いいんですか? もちろんお願いします」
霧島先輩は自分たちの曲が下手なクオリティで演奏されて欲しくないのか、そう提案してくれた。
あたしたちは、素直にその提案に乗ることにする。
◇
場所をスタジオに移し、一通りの練習風景を霧島先輩に見てもらった。
あたしたちの演奏はまだまだ初心者で、スズのドラムがあるからなんとか曲として通せているレベルだった。
霧島先輩は各パートに対してアドバイスをくれた。
あたしには、「お前は見た目よりも歌が上手いな。もう少し見た目にも気を使え」というアドバイスをもらった。
こうして、この日の練習はお開きになる。
スタジオの外は夕暮れ時を迎え、各自の帰路に着いた時だった。
「おい、橘。ちょっといいか。大したことじゃないが、話がある」
霧島先輩はそういうと、2人だけで話すように手招きする。
みんなには先に行くようにジェスチャーで伝え、霧島先輩の方に歩み寄る。
「はい、なんでしょうか。霧島先輩」
「俺が後輩の女子のバンドを面倒見ているというウワサが意外と学内に流れてるんだ。さっきも言ったが、あんまり適当に演奏をして欲しくない。まあ、俺も自分のバンドが今は結構大事な時期なんでね。レコード会社からの話もある手前、変なウワサは御免なんだ」
霧島先輩は、いつものめんどくさそうな目ではなく、存外真剣な表情をしていた。
「お前、そもそも何のためにライブをするんだ」
霧島先輩は、真剣な眼差しであたしの方を見てきた。
単なる春藤祭への意気込みというよりも、音楽に対する気持ちのようなものを問われている気がした。
「あたしは……」
最初に音楽に興味を持ったのは、あの日、クチナシ先輩たちの演奏が沈んでいた気持ちを掬い上げてくれたからで、ライブがしたいと思うことに特別な理由のようなものはなかった。
ただ延長線上で、音楽が好き、ライブがしてみたい、春藤祭に出る、という流れになった気がする。
「すみません、理由みたいなものは特に……」
「そうなのか。なら、まあいいさ。これから先に見つけるかもしんないからな」
霧島先輩は、案外それ以上の追求はしてこなかった。
「あの、霧島先輩は何のためにライブをするんですか?」
あたしは参考までに、質問をする。
「俺は、俺のためだ。俺がいかに凄いギタリストであるかを世の中に証明する、ただそれだけのためだ」
霧島先輩らしい理由で、あたしはふっと息を漏らす。
「結局、音楽なんてそんなもんだろ。いかに俺たちが上手いか、凄いか、カッコいいか。そしてどんだけのお客さんを集めてどんだけの再生数を叩き出して、誰よりも称賛される人気者になれるか。それだけだろ」
霧島先輩は、あたしを見ずどこか遠くを見上げて言った。
「そこまで行けば、誰からも文句は言わせねぇ」
そう呟いた後で、大きく息を吸った。
そして、独り言のように語り始めた。
「俺の親父もな、ギタリストだったんだ。スタジオミュージシャンつって、まあバンドを組んでいないソロシンガーとかのバックで演奏をしたり、レコーディングに参加したりするタイプの人だな。子供の頃は、俺の憧れは親父だった。親父にギターを習いはじめてから、プロのギタリストの親父は俺の自慢だった」
「でもな、中学に入ったくらいの時にクラスメイトにその話をしたら、『霧島君のお父さんなんて知らない』、『Mステにはいつ出るんだ』なんて言いやがる。おまけに、どんな曲を演奏しているのか調べられた。『おしゃれ魔法少女コスメディア』」
そのアニメはあたしも名前だけは知っている。
少し世代が上だから見てはいなかったけれど。
「笑えるだろ。ギタリストだっていうからどんな音楽番組か、どんなロックスターの曲を演奏しているのかと期待されるが、実際はくだらねぇガキ向けのアニメ曲が代表作だ。するとどうだ、途端に俺はバカにされた。俺自身の立ち回りのおかげでいじられ役にはならなかったが、親父の話は半分ネタのまんまだった」
「俺は親父が嫌いになったよ。もっとかっこいいすごい曲をやってくれてりゃ、そんな恥をかかなくて済んだんだからな」
「だから俺は決意したんだ。誰からもバカにされない、誰にも文句の言わせない、最強のギタリストになるんだってな。そこからは必死に練習した。地元のライブハウスにも出入りして、上手い人には片っ端から声をかけ、練習に混ぜてもらったりした。俺は本気になったんだ」
「だから、中途半端に音楽かじって、その気になってるヌルい連中は気に入らねえ」
そう言って、霧島先輩を足元の砂利を蹴飛ばした。
まるで、誰か特定の人物を思い浮かべるように。
「だがそれ以上に、『誰かのために演奏している、求めてくれるファンのために演奏する』なんて吐かす奴は1番気に入らねぇ」
「結局は自分だろ。『もしも誰かが聞いてくれたらぁ』じゃねえだろ。自分がやりたい曲やって、自分のことをどう思われるかを確認して、自分がどういう存在になるかだろ」
「マジで、そういう偽善めいた自意識過剰なナルシストは見ていて吐き気がするんだよな。あ、まさにクチ男みたいな野郎だわ」
そこまで聞いて、もはや途中からあたしのことはそっちのけで霧島先輩の溜まっていたものが吐き出されたような感じだった。
なるほど、霧島先輩とクチナシ先輩は犬猿の仲というか、完全に水と油だ。
「大丈夫ですよ、霧島先輩」
「あん?」
「霧島先輩、めっちゃうまいですし。それにクチナシ先輩も、なんだか必死に演奏しているのが伝わってきます。多分、あれはかなり自分勝手に演奏しているような気がします」
「はっ、わかったような口きいてんじゃねー。ドシロウトのくせによ」
そう言った後に噴き出すように笑って、「さ、帰るぞ」と言った。
最近は、霧島先輩のことも少しずつわかってきたような気がする。
みんなはあたしのことを、わかってきてくれているのだろうか。
春の夕暮れに、そんな思いは沈んで消えた。




