第百六話「日常に戻っただけ」
冬休みに突入して間もなく、世間は年の瀬ムードに包まれる。
師も走るほど忙しいこの季節でも、この年末年始だけは妙にもったりとした独特な雰囲気で、俺はなんだか苦手だった。
なぜだか、普段の何気ない怠惰な休日が恋しくなる。
大人たちが休みになるからなのだろうかと俺は部屋でぼんやりと考えいていた大晦日、スマホに着信があった。
メッセージの通知を開くと、ランボーからである。
『夜の神社にぶっかけに行こうぜェ!』
なにをだよ。
「願掛け……というか初詣だろそれ」
俺は暇だったからか、ランボーのボケに律儀に返す。
ただ、神社に初詣に行くというのはいい考えだと思った。
例年ならば、寒いし混むしで面倒なので日付が変わった頃になど行かないが、来年はネクスト・サンライズの最終審査、つまり本番が控えている。
ここらで心を引き締めるのも悪くはない。
「よし、いこうか。みんなも誘おう」
こうして、俺は初詣に向かった。
日付が変わるような時間帯に、普段は外出をしない。
けれどもこの日だけは特別で、夜の神社には家族連れや学生グループなどもちらほら見られる。
「おう、クチナシこっちだァ」
このクソ寒い中でも、ランボーはいつものように皮パンにジャケット一枚だった。
その隣には、紺のダッフルコートに包まれた受験生みたいなスパコンがスマホ片手に立っている。
「ワイは年末イベント周回しねーといけねぇから用事済ませたらさっさとかえるぜ」
「まあ、寒いしな。人も混んでるし、お詣りぐらい済ませたらさっさと帰ろう」
俺もスパコンに同意する。
「おっ、ベビーカステラの屋台があるぜェ! しかし、ベビーカステラは大人が食べてもいいんだってなァ、知ってたかァ?」
ランボーを半分シカトしながらも、俺は待ち合わせ場所で周囲を見回す。
一応、誘いの連絡はしたのだが……。
「こんばんは。……てか、ランボー寒くないの?」
その時、俺が探していた人物から俺たち三人に声がかけられた。
サラは上質な質感のマフラーに顔を半分うずめニットの帽子をかぶり、膝丈まである黒いダウンコートを着ていた。
その姿は、まさに海外のファッションモデルのようで、俺は少し胸が締められるような気がした。
「おう、ランニングがてらここまで走ってきたからむしろ暑いぜェ」
「……相変わらず元気そうでなにより。さ、いきましょ。帰るのが遅くなったら流石に両親も心配するから」
サラがそういうと、男子達はゾロゾロとついていく。
俺が誘った際には、両親の許可が出るか聞いてみるとのことだったが、どうやらOKをもらえたようだ。
*
俺たちは人で賑わう地元の神社で日付を跨いだ頃、賽銭を投げ入れそれぞれ願いを唱える。
少し前に、修学旅行でも似たようなことをした気もするが、改めて今年の抱負を心中で宣言する。
「ねえ、クチナシ以外の2人にも話しておきたいことがあるんだ」
その後、参拝の列から離れたところでサラは俺以外の2人に向かって話を打ち明ける。
それはまさしく、半年後の九月にイギリスへ留学するという内容だった。
俺は事前に聞いていたこともあり、特に相槌も無くその様子を見守る。
ランボーとスパコンも驚いてはいるものの、2人とも口調はヘンテコでも、素直にサラを応援する言葉を返していた。
その様子を、やはり俺は茫然と眺めてしまう。
俺の中で、RISE・ALIVEとサラとの別れが重なってしまう。
けれど、どうしようもない。
ライブの結果がどうあれ、事実は変わらないということに、俺は無力感を感じていた。
*
冬休みが明けると、学校は三学期に突入する。
しかし、身も凍るような外気の寒さに加え学校行事も皆無となったこの三学期は、どこか白々しくもあった。
刺すような冷気から身を守るようにマフラーやコートに埋もれながら登校し、上の空で授業を聞く日々が続いていた。
あの日から、特にサラと会話を交わしていない。
もちろん、初詣で顔を合わせたし、同じクラスなので会えば挨拶もする。
用があれば話し掛けもする。
だが、中身のある会話らしい会話をしていないのは事実だった。
まるで、この一年弱の期間における関係性が異常だっただけで、これが本来の姿であり日常に戻っただけという錯覚まである。
「今日は、加藤、芝草、朽林、放課後に職員室な」
下校前のホームルームの際、担任の松本がそう言い放った。
別に呼び出しを食らったわけではない。
進路相談と称して、毎日数名ずつ職員室で担任と面談をすることになっている。
今日はついに俺の番が回ってきたという事だ。
「悪い、先練習行ってくれ」
「おうよ。あんまり松本キレさせんなよ」
スパコンはそういうと、下校のチャイムが鳴るなり教室を後にした。
近頃は、ほぼ毎日スタジオ通いである。
というのも、スタジオ『しろっぷ』のマスターは俺たちがネクスト・サンライズの最終審査まで残った事を知ると、本番までの期間をなんと無料開放してくれるというのだ。
俺たちが万に一つの確率でも優勝することがあれば、スタジオとしても箔がつくとでも思っているのだろう。
薄汚い大人の考えが透けて見えるが、何にせよありがたいことこの上ない。
俺は今すぐ練習に行きたい気持ちを抑え、渋々職員室に向かいドアをくぐった。
生ぬるい暖房の空気と、コーヒーによる濃密な職員室特有の匂いに包まれ、デスクが立ち並ぶ先の応接スペースのような衝立の奥のソファに向かった。
そこには、すでに松本が腕を組んで俺を待っていた。
「来たか、問題児め」
松本は、俺の顔を見るなりそう吐き捨てた。
それもそのはずだ。俺の成績はサラの指導のおかげで幾分か持ち直したものの、落第ギリギリの劣等生であることは間違いない。
「それで、どうなんだお前は。進路は、進学でいいんだな」
「ええ、まあ」
俺は、とりあえず進路希望調査表には進学の旨を記載していた。
これまでは適当でも許されたが、高校3年になるということは受験か、あるいは就活に向かって取り組むことになる。
文系理系のクラス分けもあり、そろそろ本当に志望校や学科を絞らなければならない。
「お前の成績なら……この大学は少し厳しいだろうな。もっと真面目に勉強しないといけないだろ」
松本は、俺が柊木から丸写しをした進路希望調査票を眺めている。
そうですよね、柊木の成績ならまだしも、俺じゃ厳しいっすよねー。
わかってますよーだ。
「んで、どうなんだ。お前、その、バンドとかやってただろ。もういい加減あきらめたのか」
「え? いえ。……次の夏に大きな大会の本番があるんで、それまではバンドに集中します」
俺は、松本が俺がバンドをやっていることを認識しているとは思わなかったので、驚き呆けた声が出た。
確かに、春藤祭で披露したので知っていてもおかしくはないが。
「ふん……何がバンドだか……。まあ、人生の先輩として、お前には忠告してやる。何があっても、進学はしておけ。家庭の事情が許すのならば大学は出て親に顔向けできるようにな。するんだぞ」
そのあまりの偉そうな言いっぷりに、俺は眉を顰めるが、松本のような大人に何を言い返しても意味はないだろう。
俺は黙り込み、グッと言葉を飲み込んだ。
すると松本は明後日の方向を見ながら、ぶつぶつとつぶやくように続けた。
「まあそのなんだ。俺も昔はな、そういうブームがあった時代を過ごしてきたんだ。夢だけ食って生きていけるのは、若いうちだけだ。この歳になるとな、やっぱり地に足をつけて生きてくればよかったと、少しは後悔するもんだ。だから、お前みたいな若者にとっては煩いだけかもしれんが、大人は勉強しろと言うんだ」
俺は、しばしその言葉の意味を咀嚼する。
そして、意外な結論に至った。
「え……もしかして、先生も学生時代にバンドを?」
思わず、こぼれた俺の言葉に、松本は鼻を擦る。
「あーうるさい、そういう時代なんだよ。男子はみんな、一度はエレキギターを握るような時代もあったんだ。まあ、俺なんか箸にも棒にも掛からなかったがな。お前は少しはいいところまで行けているのなら、もう何も言わん。だが、もう少し勉強もしとけ。以上だ」
そう言うと、松本は鼻の頭を掻きながら、俺を手で追い払うかのような仕草をした。
俺はなんだが、松本に対する印象がほんの少しだけ変わり、毒気を抜かれたような気持ちになった。
「ありがとうございます、先生」
「いいから行け。ほら、次があるんだ」
俺は含み笑いで礼を言うと、職員室を後にした。




