第百四話「心に秘めていた想い」
◇
今回の、アタシの後日譚。
あの日、二次審査を終えた後、アタシは開放感にも似た虚脱感を抱いて帰路についた。
サキとカズキとは、その道中で沢山会話をしたことは覚えているが、その内容は全く頭に入っていなかった。
ただ一つ、アタシたちのバンド人生はこれからも続いていく。それを確信できたから、アタシはもう今回の大会の結果にはこだわりがなくなったのだ。
次はどんな舞台を目指そう、そう思うだけで、明日が楽しみになる。
そして、アイツが歌った、2人で作り出した曲。
その歌詞を聴いて、やらなければならない事が一つ出来た。
アタシはまだ、お父さんに向かって正面から言葉を交わすことは、やっぱりまだできそうにない。
過去の事を水に流せるほど、アタシは大人でもないし、そう簡単に無かったことには、やっぱりできない。
けれど、お父さんを責めることも違うのだということはわかっている。
物事の原因はとっくにどこかに吹き飛んでいて、残った問題だけがアタシたちの関係を拗らせている。
すぐには、アタシの中の結論は出ないかもしれない。
だから、一通の手紙を書いた。
飾りのない、まっすぐな思いを文字にした。
それをその日の晩、食卓の上に置いておいた。
『お父さん、おつかれさま。
今まで色々なこと、大変だったよね。あれから上手く話せなくなってしまったけれど、それでもずっと一緒に暮らしてくれて、ありがとうございます。
勝手に家を出る日もあって、きっとたくさん心配していたんだろうって、アタシも心の何処かでは気づいていたんだと思います。
遅くなってしまいましたが、ごめんなさい。
そして、これからは、色々な困難を2人で頑張っていきたいです。1人じゃ辛いことは、2人で分け合っていきたいです。
アタシもまだ、どうすればいいのか気持ちの整理はつかないけれど、家族には切れない繋がりを期待してもいいんだって、思うようになったから。
これからも、よろしくお願いします。 有紗』
翌日、食卓の上で開かれたまま置かれたその手紙には、薄汚れた指の跡と、雫がこぼれ落ちた跡が残されていた。
*
激動のネクスト・サンライズ二次審査が終わってから数日。
すでに学校は終業式も終え、世間はクリスマスと年末を控え今年一年のエンディングを迎えようという時頃。
長期休み中の俺は何となく夜更かしをしがちで、この日も夜十時を過ぎたが眠る気は一切なく、ベースの弦を気ままに弾いていた。
部屋の暖房は弱く、何もしていないと少し冷えるが、ベースを弾いていると体が活性化するのか、あまり寒さを感じない。
そんな時、スマホが通知を受け取り震えて知らせて来た。
また、ランボーがくだらない発見をしたのか、はたまたアリサが作り出した曲の感想を求めているのかと、のろのろと手を伸ばして画面を確認する。
差出人はサラである。
すっかり見慣れた夕日をバックにした後ろ姿の彼女のアイコンの横に並ぶメッセージを読み取る。
『あした予定空いてる?』
彼女とのやり取りも半年以上になり、もうさすがに特別感は感じなくなった。
俺には別にバンドの練習も誰かとの約束もなかったので、素直にそう返す。
『よかった。明日一緒に出かけない? 駅前のイルミネーションを見に行こうよ』
*
これまで、神宮寺サラと2人で何かをしたり、外出することは数えきれない程の回数である。
お互いを認識し始めた当初のきっかけである春藤祭実行委員をはじめ、俺たちのバンド活動に彼女が興味を持ち始めてからも、特に意識することなく2人で行動してきた。
そして、そこには異性としての特別な感情は無いというのが、まあ主観的にしろ客観的にしろ、周知の厳然たる事実であったといえよう。
それが今更、外出の目的が駅前のイルミネーションになったところで、揺らいだりはしないはずだ。
しかし、カレンダーを眺める俺の脳は高速回転を始め、心臓は不規則な脈動を始めてしまっている。
なぜなら、明日は十二月二十四日。
クリスマスイブである。
クリスマスの起源はどうあれ昨今の現代日本では、この日、しかもイルミネーションを見るとなれば夕刻以降であることは間違いない、男女が2人で街中を練り歩くというのは、いわゆる恋人同士か、はたまたそれに近い関係性の人たちが行うことが常識的に知られているといえよう。
ああもう、周りくどいな。
素直に言おう。
俺はサラの誘いに浮かれ、ドキドキしていた。
彼女への返信は、浮かれたそぶりも見せずに至極冷静にOKの旨を連絡し、そのままうすら笑いを浮かべたままベッドに潜り込み就寝準備に至った。
しかし、当然眠れるはずも無く、翌日を迎える。
修学旅行での一コマが思い出される。
『神宮寺とつきあってんの?』
そう聞かれ、俺は事実としてそういうことはないと答えた。
だが、希望はどうなのだろうか。
俺は、サラとどんな関係になりたいのだろう。
今は少なくとも、ネクスト・サンライズ最終審査に向けて、わき目を振っている状況ではないことはお互いに理解しているはずだ。
だが、その先は?
彼女がどう思っているのかは、わからない。
以前、霧島からサラにそのような申し出があった時には、キッパリ断っていた。
しかしそれは、その時点の彼女が抱えていた事情もあり、そういう関係を望んでいなかったことが大きいだろう。
でも今は。
自分自身の輝きを信じ始めた彼女は、果たして誰かとそういう関係を望んでいるのだろうか。
もしそうならば、一年の中で最も特別な意味を持つこの日に、俺に誘いをくれたという意味について、深く考えてもいいのだろうか。
*
待ち合わせ場所の、最寄り駅の前に俺は立っていた。
時刻は午後四時を過ぎたところ。
徐々に人の波も増え始め、街は街灯に彩られ賑わいを始める。
町中にクリスマスソングが溢れ、なんだかこうしてただ突っ立っているだけでも幸せを享受しているような、そんな気持ちにすらなる。
今日は朝にうっすら雪も降った。
俺の街は雪が降ることも珍しくはないが、雰囲気はとても良い。
かじかむ指先をポケットに突っ込み、俺はまだ待ち合わせには30分もあることを再認識するも、別に辛くはなかった。
「ハァ? はやっ、時間間違えてない?」
そんな時、声をかけられ振り向くと、そこには同じく待ち合わせよりも随分早い時刻に到着したサラが立っていた。
彼女は、白いダッフルコートに身を包み、足元からは黒いスカートとタイツを履いた脚が覗いている。
髪はサイドにまとめられ、綺麗な形の耳からは大きな青い結晶のついたイヤリングが下がっていた。
普段は化粧が無くても映える顔立ちなので、ほぼノーメイクだが、今日は普段よりも大人びて見えるようなメイクがされていた。
「おう、まあ寒い中待たせるわけにもいかないからな……」
「ふうん、そう。ありがと。……流石に今日は学生服じゃないわね」
そういうと、俺の服装をまじまじと観察する。
やめて、ドン神宮寺によるファッションチェックのコーナを開催しないで……。
俺は一応、一張羅とも言える襟付きの白シャツにジャケットを羽織り、その上からダウンコートを着ていた。
流石に髪型まではいじっていないが、まあそれなりに整えてきたはずだ。
「ま、じゃあいきましょ」
サラと並び歩き、街中へ向かう電車に乗った。
*
イルミネーションが催されている中心市街地の駅前は、人でごった返していた。
普段であれば人混みは鬱陶しいとしか感じないが、今日は家族連れやカップル、友人同士などで楽しく歩く人々で溢れており、なんだか幸福感に満ち溢れていた。
「さて、どうする。まだ点灯までには時間があるが」
俺は時計から視線を上げ、まだ明かりが灯る前のイルミネーションが並ぶ駅前広場を見やる。
「そうね、先に何か食べる?」
サラは、特に普段と変わらない様子で、コンビニに寄る?くらいの感覚で言う。
まあ、夕方から夜にかけて外出するのだから、夕食を共にするのは当然だよな。
「とはいえ……この様子じゃどこも人が多いだろうな」
「あ、じゃあいい場所があるわ。カフェなんだけど食事も出してるし、けっこう穴場だから」
そういうサラの背中に俺は着いていく。
行き交う人々は、やはり街を歩けば目を引くサラをチラ見し、その後俺のこともついでに見ていく。
果たして、傍から見れば俺たちはどのような関係に映るのか、想像してしまうあたり俺は本当に浮かれている。
サラに導かれて訪れたのは、街中の百貨店の四階フロアの片隅にある喫茶店だった。
ブランド物の衣類やアクセサリーが並ぶフロアの奥であり、確かに何も知らなければここで食事をしようとは思えない。
店内も落ち着いた照明に、いくつかのテーブルが並んでおり、空席もあった。
俺たちは2人掛けの席に向かい合い座る。
メニューはドリンク類の他に、パスタやピラフ、カレーなどもあり、変にお洒落でもなくどこか懐かしさすらあった。
「あんたたちが最初にカフェに行った時は笑ったわ。原始人かよって」
「ああ、そういえばそんなこともあったな……」
言われて、思い出す。
あれはまだ春藤祭の準備中だった。
サラも髪が長く、眩しいほどの金髪であった。
今は切った頃からも少し変わり、肩にかかるくらいの長さが標準となっているが、もうあの頃のように長く伸ばすつもりもないようだ。
「そんなあんたたちも、いよいよ来年のRISE ALIVEに出るのよね」
「まあ、コンテスト枠だけどな。それに、会場も小さい方だし、オープニングアクトだしな」
詳細な要項は後日連絡があると聞いているが、俺たちの舞台となるのは、RISE ALIVEの四つあるステージの中でも一番小さい場所だった。
「それでも十分凄いことでしょ。二次審査も勝ち抜いてきたんだし」
そう言われ、先日の二次審査の様子を改めて思い返す。
審査で敗れた参加者たちも、みな上手だった。
きっと沢山練習し、今回に掛ける思いもそれぞれあったことだろう。
彼らとの交流は殆ど無いかもしれないが、恥のない演奏をしなければと思い直す。
「それもこれも、私がスポンサーになったおかげよね。もうちょっと感謝してもいいのよ」
冗談めかして言う彼女に対して、俺は冗談抜きで感謝している。
夏の合宿では、時間を気にせず思いっきり練習できた。
それに、夏まつりで俺が挫折した時も、掬い上げてくれたのは彼女の存在だった。
「そうだな。もはやメンバーみたいなもんだよ。本当に」
「うえー、あんたらと一緒にされるのはほとほと嫌だわ」
わざとらしく口を曲げて言う彼女と目が合い、お互いに笑い合った。
心地良くも楽しい、この時間を一緒に過ごせていることに、俺は本当に幸せを感じていた。
食事もほどほどに終えて、食後のコーヒーを啜った後、俺たちは改めてイルミネーションの会場へ向かった。
ゆっくりしていたものだから、既に点灯している頃だろう。
暗闇から灯りがつく瞬間も風情があるが、そこには拘らないというのが2人の感覚として一致していたようだ。
人の波が厚みを増す中、俺たち2人は寒さに身を縮めながらもはぐれない様に並んで歩く。
時折、人に押されてお互いの肩と肩が触れ合う。
今までは1人で歩くことが多かったから、こんなに誰かと近い距離で歩くことも無かったんだと、何故かふと考えた。
「あ、みて。綺麗!」
サラが指差す先に、まばゆい光が瞬いていた。
「おお……確かに立派だな」
俺はその光景に、圧倒される。
普段は通行人が行き交うだけの駅前広場には、巨大なツリーを模したイルミネーションが立っていた。
さらに、その周辺には芝桜をイメージしたかのようなイルミネーションの絨毯や、アーチ状になった光のトンネルなどがある。
白、赤、青、黄色……沢山の光の粒でできたイルミネーションと、それを眺める人々の多さはまさに圧巻だった。
「ねえ、もっと見て回ろうよ」
サラはそういうと、俺の手を引き光の世界へ駆け出した。
色とりどりの電飾に囲まれ、眩しいくらいの道を歩く。
サラは俺の手首を掴み、ズンズンと前へ進んでいく。
俺はそれに置いていかれないように、けれども彼女の後ろに続いて歩みを進める。
「普段はあんなに地味なのに、ここぞという舞台ではキラキラ輝いて。まるであんたたちみたい」
サラは振り返り、面白そうに顔を綻ばせて言った。
俺は「確かに」みたいな返事を返したような気がする。
ひとしきり、駅前広場のイルミネーションを見て回った。
もう一回りするか聞こうと横を向いた時、サラも俺の顔を横目で見て言った。
「ねえ、上からならもっと綺麗に見えるんじゃない? 駅ビルに展望フロアがあったから登ってみよ」
展望フロアには、やはり人が多かった。
それも、若い男女2人組が特に多い気がする。
俺たちは全周ガラス張りになった展望フロアの、ある一面のガラスを前に並び立ち、下界を見下ろした。
そこには、豆粒ほどの人の姿や、先ほどまで巨大に見えていたツリーの電飾がミニチュアのように見える。
さらに視線を遠くへ移すと、均等に並んだ街灯の灯りやビルやマンションの光、それに忙しなく動く車のライトがチカチカとしていた。
「私たちが住む街も、こうして上から見ると美しく見えるから不思議ね」
隣で、サラも同じように遠くを見つめながら呟いた。
「育ってきた街には、良い思い出もあれば、嫌な思い出もある。だけど、こうして美しいって思えるってことは、多分良い方の数が多いからだと思う」
彼女は、まるでその景色を目に焼き付けるかのように見つめていた。
「この景色を、クチナシと一緒に見れてよかった」
「ああ、俺もだ」
そんなことくらいしか、言葉が出てこない。
俺の喉はカラカラに乾いていて、唇は言語を失ったかのように故障していた。
「実はね、ずっと前からあんたには伝えたいことがあったんだけど……聞いてもらえるかしら」
サラは、視線はガラスの向こうに向けたまま、改まってそう告げた。
俺は首肯することしかできない。
そんな情けない俺に、どんな重要な話をしてくれるのだろうか。
「実は、私。ずっと前から、心に秘めていた想いがあるの」
俺の心臓は鼓動を増し、今にも破裂してしまうのではないかと思うほどだ。
耳の奥がじんわりと熱くなり、着込んだ防寒着の内側では汗が吹き出しているのがわかる。
俺の視線は、いつの間にか彼女の美しい横顔に注がれており、薄紅色の唇が紡ぎ出す言葉の続きを心待ちにしていた。
「私ね……」
サラは、そこで息を整えるかのように深く呼吸する。
揃えた両掌を胸の前に当て、決意を決めたように口を開く。
「私、イギリスに留学することにしたの。来年の秋から、向こうに行くわ。そこで、向こうの大学に進学を目指す……しばらくは、こっちには帰ってこない」
俺は、そのまま彼女の横顔を見つめることしかできなかった。
心臓が、それまで熱を帯びていたはずが急激に冷却され、冷や汗にも似た悪寒が走る。
キュッと握りつぶされたかのように、喪失感が胸を襲う。
「実はずっと前から、悩んでいたの。あの夏の合宿の時にも少し、相談したけれど。私は、一体どんな目標を目指していけばいいのかなって。あんたたちがどんどん夢に向かって疾走しているのを横で見ていたから、このままぼんやり生きるのは絶対にイヤって思った」
「それで、私のルーツについて向き合うことにしたの。イギリスに留学して、本格的に語学を習得する。文化を学ぶ。人と人のつながりについて学びたい。そうして、今度は世界中の人たちを繋ぐことができるような仕事に就けたらいいなって、考えた。でもね、その一方でずっと悩んでいた。本当にそんなこと目指せるのか、具体的にどんな勉強をすればいいのかわからない不安もあった」
「だけど、少し前に川上さんが進学の事で色々考えていることに触れて、私も考えを改めたの。将来の目標なんて、一つじゃない。それに夢くらい欲張ってもいい、実現さえしてしまえば、誰にもとやかく言われないって」
「だから、私は決めた。……本当はもっと早くに打ち明けるつもりだったんだけど、なかなかタイミングがわからなくて。多分まだ、迷いもあったんだと思う。親以外の誰にも打ち明けてなかったから、まだ引き返せるって思ってたのかも。でもね、クチナシがRISE ALIVEの舞台に立つことが決まった時に、私も決心がついた」
「だから、楽しみにしているわ。最後のライブ」
彼女は、この上ない笑みを浮かべて俺に向かってそう言った。
一方の俺は、「ああ」とか、「うん」とか情けない相槌を打つことしか出来なかった。
「夢に向かってお互い頑張ろう」とか「8月の本番、楽しみにしていてくれ」とか、あるいは「もっとずっと一緒に居たい」とか。
何か気の利いた一言か、俺も俺の本心を言葉にして伝えるべきだったのかと、後悔は数えきれない。
けれど、この日は呆然とした気持ちで、そのまま帰路に着いた。
その後どのような会話をしたのか、全く記憶に残っていない。
だけど、彼女が重圧から解放されたような晴れやかな笑顔を浮かべていたことだけは、とても印象的だった。
何度見つめても、いつも美しいと思える彼女の笑顔だけが、俺の頭の中に残っていた。
その日の晩、俺は家に帰宅するも、電気もつけず風呂にも入らずにベッドに倒れ込んだ。
頭の中で、サラの言葉だけが巡っている。
目を瞑ってみても、あの煌びやかな展望フロアからの景色が蘇る。
そして、遠くに霞むように消えていく彼女の笑顔だけが、想起される。
ふと、スマホが着信に震えた。
メッセージを受信したのだろう。
俺は起きる気力もなかったが、それでも気を紛らわせないかと、うつ伏せの姿勢のまま手探りでスマホを握る。
暗闇に慣れた目は、眩しさに目がくらみ直ぐには文字を読むことができない。
眼球がピントを合わせる筋肉ですら、億劫そうに動く。
やがて焦点があった画面には、アリサからのメッセージが表示されていた。
『この前一緒に作ったあの曲、めっちゃ良かった。アタシとセイジなら、もしかしたら凄い曲を沢山作れるかもって本気で思った』
そのメッセージを俺が既読にした時、アリサはそれを確認したのか、次のメッセージが届いた。
『だからさ、アタシと付き合ってよ』
第4章 END




