第百二話「茜色の手紙」
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俺は彼女たちのライブの一部始終を逃すことなく、舞台袖から見届けた。
以前、彼女たちの学祭ライブで披露した『スノウドロップ』は相変わらず魂が震えるような曲だ。
しかし、それに対する客席側の反応は重い。
お客さんたちは前情報として、“紅きギター少女”の一連の騒動が頭に入っているのだろう。
以前、ジョニーはお客さんはバンドに対してもブランドのようなものを大事にするという話をしていた。
炎上した人の歌だから、毛嫌いする。
または、そんな人たちの曲にノッていいのだろうかという、客席の主な反応からはそんな戸惑いのようなものを感じた。
そして、客席から上方にある2階部分の審査員席の反応も同様だった。
音楽雑誌編集長やイベント会社のお偉いさんは腕を組んで顔を伏せるようにしている。
ただ1人、KENYAだけは身を乗り出してステージを凝視していた。
一曲目が終わり、短い合間の後、言葉数も少なく二曲目が始まる。
二曲目、『がらくたのうた』は、俺は初めて聴く楽曲だった。
静かに打ち鳴らされるギターのクリーントーンから、独白のようなアリサの歌が始まる。
いつだって世間は残酷で、容赦のかけらもない。
人の気持ちには勝手に脚注がつけられ、喋ってもいないことが一人歩きしている。
人の触れられたくないところばかりが注目され、大衆の娯楽として消費される。
気がつけば、ゴミのように捨てられる。
だけど、そんなゴミの掃き溜めの中で出会う。
宝石のような宝物に。
ある人にとってはゴミクズかもしれない。
だけどある人にとっては、宝物かもしれない。
人の立場が変われば、視点が変われば、気持ちが変われば。
どんなものにだって意味はあり、美しさを秘めている。
そう、信じている。
アリサの飾らないまっすぐな気持ちが、やがて柊木のベースと多村のドラムと交錯し、グルーヴを生み出す。
曲はシンプルなコード進行で、ドライブの効いたサウンドは清々しさを纏う冬の夜空のように爽快に突き抜けていた。
俺は確信する。
この音楽が好きだ。
そして、同じく音楽を大切にしていて、真剣に向き合っている人ならば、細かい事情は気にならないほどに、俺と同じ気持ちになるだろう。
俺は、演奏が終わった後の静けさの中で一人、拍手を打ち鳴らす。
乾いたライブハウスの空気中に、1人分の拍手だけが鳴り響いた。
すると、少し間を置いて拍手が一つ、二つと後を追ってくる。
音の出所を探すまもなく、波が押し寄せるかのように万雷の拍手が会場を包んだ。
彼女たち三人は、そんな客席に向かって深々と頭を下げていた。
*
ライブを終えた三人は、とても満ち足りた表情をして舞台袖に帰ってきた。
俺は三人と、言葉を交わすこともなくハイタッチで応じる。
次は、俺たちの番だ。
こんな最高のライブを見せられて、魂に火がつかないわけがない。
客席は先ほどの『Yellow Freesia』のライブで得た感情をどうしていいかわからないまま、どよめいている。
「いくぞ」
「ああァ、待ちくたびれたなァ、いよいよ暴れるぜェ」
「ワイらの覇権をとってやろうぜ」
俺たち三人は拳を合わせ、野太い掛け声で気合いを入れる。
そして、眩しすぎるほどの照明に照らされた、ステージに歩を進めた。
スタンバイの後、PA卓の方に合図をする。
それを確認した司会のDJ・カズが俺たちのバンド名を呼ぶ。
客席の中には、サラを始めとして、ジョニーや長岡さんや相川さん。それに留利や川上、そして舞台袖には柊木、多村、アリサがいる。
あとは、この中に母の姿もあるのだろう。
思えば、俺のバンド生活は人の出会いと共に歩んできた。
それぞれと出会い、交わることで俺たちの中にインスピレーションが生まれ、楽曲となった。
これ以上の舞台は無いだろう。
そう噛み締めた瞬間に、スパコンのドラムによるカウントが始まった。
今回のライブで披露するのは、二曲。
まずは『白昼夢中への疾走』だ。
いきなりダンスナンバーで、俺たちの全力でぶつかる。
クセになるスパコンの手数が多いビートは、正直言うとこの審査の参加者の中で一番ドラムが上手いのではないかと俺は思う。
特に最近は長岡さんと特練を密かに積んでいるようで、ドラマーとしての意見や指導をもらえる相手と出会えたところから技術面が急成長していた。
そこから、ランボーの歌唱が入る。
以前はギターを歌いながら上手に弾けなかったランボーだったが、こちらも練習の積み重ねの成果からか、今ではもうそんな様子は微塵もない。
元々、熱血タイプで練習の虫である性格のおかげだろう。粗さはジョニーの鬼指導により矯正され、着実にレベルアップしていた。
そして、ランボーの一番の持ち味は歌唱力の枠に収まらない天性のボーカルであろう。
彼にしか出せない声で紡ぐリリックは、普段であればアホみたいな言葉でもサウンドにのせると洒落ていてカッコイイ。
俺はそんな2人に負けないように、間に立ちベースを打ち鳴らす。
オクターブ奏法は無限に弾きたくなるほど気持ちがいい。
客席も釣られるように徐々に脈動し始めてくるのがわかる。
リズムにより、場を掌握する。
起爆剤とも言えるこの楽曲は、本当にライブ映えするいい曲だ。
テンションをさらに盛り上げるかのように、ランボーが客を煽りながら熱唱する。
演奏を終えると、大喝采が迎えてくれた。
「ウォラァ! ノケモノラルだぜェ!」
相変わらず、ダサいパフォーマンスをランボーがする。
だが、これがないとなんだかしっくりこないと思ってしまうあたり、継続はなんとやらである。
客席も知ってかしらずか、ノリに合わせて拍手をくれる。
「もっともっと、この場所で暴れてェところだけどよォ。今日はあんまり時間もねェ。次の曲はァ、クチナシ! 任せたぜェ」
ランボーはいつものように、MCをするが、次の曲のために俺にマイクを譲る。
俺はいつもならば、歌うとなると緊張するのだが、この日はなぜだか不思議な気持ちだった。
緊張を通り越してしまったのか、頭がクリアに冴え渡り、リラックスしているような錯覚すら覚える。
次に披露する曲は、新曲である。
そして、あの日、俺とアリサが共作した楽曲である。
ランボーとスパコンには無理を言ってお願いし、ねじ込んでもらった。
けれど、楽曲を聴いた二人は二つ返事で納得してくれた。
本来なら、練習を重ねた楽曲の方が良いのかもしれない。だが、思い返せばその時々で俺たちが演奏したい曲をやることこそが、このバンドの“いつもの”ライブだった。
楽曲の骨子は大体が完成していて、残るは歌詞だった。
この曲に、どんな歌詞を乗せるか。
どんな想いを込め、伝えるか。
約一週間前のあの日から、俺は思い描いていた。
俺は、アリサのこれまでの環境や苦悩、感じてきた思いを想像することはできるかもしれないが、全てを理解することはできない。
こっちで妄想を掻き立てて、彼女の考えを勝手に仕立てて、それでいて彼女を励まそうとか、まして救おうなんてことはおこがましい愚か者の行為だ。
俺がいくら言葉を尽くして声を枯らしたところで、大勢の大衆の意見を変えることはできない。
彼女の仲間でいることはできても、彼女を傷つけるこの社会や境遇、運命を変えることはできない。
だから、俺は俺の言葉で、俺の人生に対する想いを歌詞にすることにした。
彼女もそれを望んでいるから、俺に作詞を全面的に依頼し、この曲を託したはずだ。
俺が今まで生きて来て思うこと、感じたことの全てを、二人で創り出した曲に込めて、俺は歌う。
何か一つ、ヒトカケラでもいいから、彼女の中で重なるものがあったら嬉しい。
俺がこの曲に込めた想いは、両親への感謝だった。
俺は今この場に立って、自由に俺の想いを伝えることができる。
それはやっぱり両親が、父さんと、母さんがいなければ成立しないことだ。
父さんは、俺にたくさんの物をくれた。
一緒に過ごした記憶はないけれど、俺の顔や体や声や考えに、きっと父さんがくれた物が沢山息づいている。
そして、俺に“何かを成し遂げる志し”をくれた。
母さんは、今でもたくさんの慈愛を与えてくれる。
少しぶっきらぼうで、なかなか破天荒なところもあるけれど。
女手一つで生活を成り立たせることとか、俺が寂しがったり思い悩んだりすることを沢山心配してきたはずだ。
時に正解を指し示すのがいいか、はたまた転びながらも挑戦する姿を見守るのがいいか、親というものは正解の無い問題にずっと向き合わなければならないんだろう。
苦悩は山ほどあったはずだ。
けれど、そんなことはおくびにも出さなかった。
きっと、今回の件がなければこんな事にも俺は考えが至らなかっただろう。
そんな両親には、感謝の想いしかない。
日常生活の中でそんなことを面と向き合って言うのは照れくさい。
だけど、今の俺にはそれを伝える手段がある。
茜色に彩られた便箋を、アリサが俺にくれたんだ。
だから俺は、この曲を手紙にする。
想いを、両親に伝える。
そして、そこに込めた俺の想いに、アリサが何か一つでも重なる思いがあるように願うだけだ。
彼女の悲劇とも言える運命は、彼女自身の手に及ばないところから始まっている。
それをもたらしたのは、彼女の両親と言えるかもしれない。
彼女は、今の俺のような気持ちを親に対して抱いていないかもしれない。
人は誰しも完全ではない。
誰かの親である以前に、人は1人の人間だ。
だから、過ちが子供や周りの人たちに影響を及ぼしてしまう事だってあるだろう。
子供はその事を恨み、辛い言葉を投げつけたくなる事だってあるだろう。
だけどそれ以前に、親がいなければ子は生まれない。
生を受けなければ、喜びも悲しみも感じることすらできない。
もしも何かひどい仕打ちを受けたとしても、切っても切れない関係の家族には、俺はどうしたって手を差し伸べてしまうだろう。
俺は、自分自身が恵まれているのか、不憫なのか、正直よくわからないしどうでもいいと思う。
俺はライブをする瞬間に、喜び、興奮し、生を感じる。
俺は生きていることを実感するたびに、とても嬉しくなる。そして何度でも、両親に感謝するだろう。
それは俺にとって唯一無二の、何が起きても変わらないこと、なのだと思う。
そんなふうに、改めて考えを巡らせながら俺はネックを握り締めマイクに向かって言葉を紡いだ。
「それでは、最後の曲。聴いてください『茜色の手紙』」
だからさ、アリサ。
かけがえのない家族なんだから、生まれてこなければよかった、なんて。
悲しいこと、もう言うなよな。




