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ノケモノロック  作者: やしろ久真
第四章「茜色の手紙」

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第百一話「最高のステージへ」

 ハロミスの圧巻の演奏は、その余波を会場にまざまざと残していった。

 直後に演奏を行ったバンドは台風一過の静けさのような会場のせいか、明らかに調子を崩し自分たちの演奏ができていなかった。

 

 ここまでの演奏を聴く限り、聴衆の耳に残るライブができたのは、ハロミスと友達異常うんぬん……ええい、めんどくさい、略して『トイジ』のみだ。

 残るは四組となり、俺たちの出番は次の次である。

 俺は舞台袖に立ち、次の演奏組を見つめる。

 次に演奏するのは、アリサたち『Yellow Freesia』だ。


 深紅の頭に真赤なギターの彼女を筆頭に少女たちがステージに上がり、スタンバイをしていると会場からはこれまでとは違う種類のざわめきが聞こえる。


「これ、ネットで話題の“あの子”のバンドだよね……」

「まじでやるつもりなの?」

「てか犯罪がらみの人ステージにあげるとか正気かよ?」

「こういう人の歌とかマジで受け付けないんだよね。もう出ようかな」


 舞台袖にいる俺の耳まで、会場の人たちの話し声が聞こえる。

 歯噛みする思いで俺はそれを振り切ると、視線を舞台上のアリサに据える。

 おそらく、彼女の耳にも入っているだろう。

 けれど、彼女はそんなノイズに表情ひとつ変えず、ギターの弦をチューニングしていた。

 その間、アリサと柊木は小声で何か言葉を交わしていた。


「よろしくおねがいします」

 準備を終えた彼女の合図に、会場は静まり返った。


 

 前の組の演奏も終わり、いよいよアタシたちの出番がやってくる。

 ライブの前はいつも気持ちが昂り、そして不安も同時に訪れる。

 目を深く瞑ってしまうと、中学を転校した初日の自己紹介の光景がフラッシュバックしそうになる。

 アタシは強く目を見開いて、その悪夢のような幻影を振り払う。


 もう、あの頃の弱いアタシは居ない。

 相棒のギターの重みを両肩で感じながら、黙々とチューニングを続ける。


「アリサ、少しだけいい? この演奏の前に、どうしても話しておきたい」

 そんなアタシの心中を知ってか知らずか、カズキが話しかけてくる。

 アタシは首肯すると、彼女はいつものようにフラットな声音で話を始める。

「あの日のこと、私は今でも鮮明に覚えているんだ。……アリサが、私をバンドに誘ってくれた日のこと」

 カズキの言葉に、アタシは強く頷き返す。

 あれは今から一年以上前。

 アタシが初めてスタジオに行ってから数日が経った日のことだ。



 アタシは、緊張していた。

 これまでも、人が多い場所に行く時や初めて訪れる場所に行く時は緊張していた。

 しかし、今日のそれは種類が違う気がする。


 胸を引き絞るようなキリキリする感じではなく、弾む心を押さえつけられないような胸の高鳴り。

 だけど、同時に不安もある。

 もしも、断られたらどうしよう。

 

 アタシは羽織ったパーカーのフードを深く被り、ギターケースを背負いながら目的の場所を目指して走っていた。

 メガネはもう、家に置いてきた。


 今日もそこで会える保証などない。

 それに、相手が自分のことを覚えているかなんて、わからない。

 だけど、そうと決めた以上はもう後戻りはできない。


 アタシは、生まれ変わるんだ。

 そして、それはあの子と一緒でなければならないのだと、なぜだか確信していた。

 

 初夏の河川敷は休日の昼下がりを堪能する人々で溢れていて、和やかな空気が漂っていた。

 犬の散歩をする老人。ボール遊びをする子供。ダンスの練習をする学生。

 その中に混じって、彼女はこの日も河川敷のコンクリートに腰をかけ、べースの練習を行なっていた。


「……あのっ! ……柊木さん!」


 アタシは、その子の前に立ち、ひっくり返った声を上げる。

 彼女は驚いた様子も見せずに、あの日のように涼しげな顔でこちらを見る。

「あ、北陵高校一年の優木さん。こんにちは」

 彼女はのんびり挨拶をする。

 あの日よりも少しだけ、べースを持つのが様になっていた。

 アタシは柊木さんに向かって、挨拶も返さず本題を告げる。

「あ、あのっ! も、もし! よろしければでいいんですがっ!」

 事前に準備していた短い言葉ですら、つっかえてうまく口に出せない。

 走ってきたせいで、息も絶え絶えになる。

 それでも、アタシは止まらない。

 そう決めたんだから。

「うん、なんでしょうか」

「ええと、あ、アタシとっ……」

 完全に不審人物だ。

 怪訝な顔をするのが普通であるだろうに、彼女は平静な顔でアタシの言葉を待っている。


「アタシと、バカになってください!」


 そう言って、勢いよく頭を下げる。

 心臓がドクドク言って、うるさくてたまらない。

 もしかしたら、柊木さんの言葉を心臓の音がかき消しているのではないかと不安になる。

 しかし、耳に届いた声は、やっぱりアタシの呼吸を楽にしてくれる安静な響きを持っていた。


「うん、いいよ。……誘ってくれて、どうもありがとう」

 その言葉に、アタシは下げた時よりも倍の速度で頭をあげた。

 その拍子に、フードが外れる。


「あ……その頭」

 初めて、柊木さんが驚いた声を出した。

 アタシの髪は、その日の前の晩に、真っ赤に染められていた。

  

 これがアタシの決意の証。

 そして、バカの証。

 

 アタシはギターを持って生まれ変わる。

 もう誰にも、勝手にレッテル貼りなんてさせない。

 アタシの存在理由はアタシが決める。

 その決意が、この真赤な髪なんだ。

 


「……あの頃の私は、何の取り柄もなかった。平凡で、個性の無い自分。そんな世界に、真っ赤な閃光のような、極彩色の色をつけてくれたのは他でもないアリサだったんだよ」

 カズキは大勢の観衆が見守るステージの上で、アタシの顔をまっすぐと見据えて言った。

「私はアリサとサキとなら、どこへだって行ける。どんな旅でも受け入れる。だからさ、三人で一緒に見に行こうよ。旅の終着点、私たちが辿り着くステージを。そして、最高の景色を、そこで見ようよ」

 カズキの目は僅かに潤んでいた。

 バンドにかける思い、一つ一つのライブに込めた願いは、メンバーがそれぞれ持っている。

 アタシの勝手な判断で、それを無駄にすることはできない。

 アタシはもう何十回目かの反省を脳内で済ませると、改めてカズキとサキと視線を交わした。

「うん。一緒に行こう、最高のステージへ……よろしくおねがいします」



 今回のライブのセットリストは2曲。

 まずは、『スノウドロップ』。

 一番最近できた曲だけど、アタシの中では一番いい出来だと思っている。


 思いっきりギターを鳴らした後で、サキとカズキが入ってくる。

 三人揃った瞬間が、安心して心地よい。

 アタシたち三人なら無敵なんだと、どんなミュージシャンよりもいい演奏ができるのだと、ライブ中なら思えるほど気持ちがいい。


 この曲の歌詞の込めた、日々の一瞬ずつを大切にしたいという思い。

 どれほど幸せを噛みしていても、いつ暗闇の底に突き落とされるかわからない。

 けれど、それと同じように、何のきっかけでまた光を取り戻すかもわからない。

 その繰り返しが、人生というものなのだろうか。

 けれど、確かに変わらないものもあるはずだ。

 アタシにとって音楽というものが、ライブというものがそれであったらいいな。


 アタシは自分が思うように、自由に声を響かせる。

 客席の反応は、もう気にしない。

 アタシはバカになる。

 バカになって無茶苦茶やって、それでも着いてきてくれる人とか、また演奏を見たいって言ってくれるやつがいると嬉しい。

 そんな人との縁が、ずっと続きますように。

 

 勢いのまま、一曲目の演奏を終える。

 会場は静まり返り、どうしていいのかわからないようなまばらな拍手が起きる。

 アタシの歌が会場の客達に届いたのか、受け入れられたのかどうかはわからない。

 けれど、視線の端に映る、舞台袖に突っ立ってるアイツが両手を叩いて賞賛していたのが見えて、満足の笑みが溢れる。


「次の曲、いきます」

 今のアタシたちに、余計なお喋りはいらない。

 視線だけをカズキとサキと交換し、次の曲のために息を吸う。


 二曲目は、アタシたちの中で一番古い曲。

 あの日、あの時。

 カズキを誘い、そしてサキも合わせた三人でバンドが始まった。

 その頃に、初めて書いた曲。

 アタシとカズキとサキの、三人で書いた曲。

 そして三人で歩んで、紆余曲折を経た今日になって、本当の意味でようやく完成したこの曲。

 アタシは本当に、サキとカズキと出会ってからの日々が楽しかった。

 地面ばかりしか見ていなかった『優木有紗』から、前を向いて走っていける“アリサ”へと変えてくれたのは、このギターとそしてロックのおかげだ。

 

 アタシたちのこれまでと、そしてこれからを。

 かけがえのない平凡で、なんでもない特別な毎日を過ごしていくアタシたちの歌。


「いきます、最後の曲。『がらくたのうた』」 

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