第4話「対峙と決着」④
「ジルさん、少しの間時間を稼いでくれる?」
「ハ、い…。ーー敵をやキッ! 焼き尽くセッ!!」
ユリウスの命令を受けた魔術師の女が大量の火球を作り出し、攻撃を仕掛けようとしていたミライの元へ絶え間なく浴びせ始めた。
「これで少し稼げるか。次はーー」
「おいっ!ユリウス!!」
「ーー?」
ミライという脅威が一時的に取り除かれたタイミングで、それまで各所に散らばっていた札付きたちがユリウスに詰め寄ろうとのそばに集まってくる。
「なんなんだあいつのあの強さは! 聞いてないぞ!?」
「こいつの言う通りだ! 本当に倒せるんだろうな!?」
しかし、それに対するユリウスは焦燥に駆られている彼らをなだめるようにあくまで穏やかな調子で答える。
「ああ、それは大丈夫。まだ手はあるから」
「手?」
「うん、…まあ君たちのことなんだけどね」
そう言って、隠し持っていた小筒を札付きたちの足元に向け、躊躇なくその引き金を弾いた。
「お前、何してっーー!?」
「ーーゴホッゴホッ、おぉ…? ゴホッゴホッ…あぁ、何っ…これ、がぁ!?!」
発射された弾は集まった札付き隊の中心で炸裂し、一帯に黄色がかったガスがかかる。
それを吸い込んだ札付きたちは次々と苦しげに喉元を押さえ咳込みはじめる。そしてそう時間を置かずに口から泡を吹き、あるいは白目を向くなどして意識を失っていった。
やがて、
「おおオオおオオオ…」
「はぁ…はぁ…ああぁぁ」
一目で正気を失っていると分かる状態の札付きたちが、一人、また一人と緩慢な動きで立ち上がりだしたのだ。その数およそ20。全ての札付きに効果が行き渡ったと判じたユリウスは満足げに頷いた。
「よし、行こうか」
その言葉を合図に、ユリウスの手駒と化した札付きたちはミライの元へと殺到した。
「があああっ!!!」
「グゥーーー!!」
「っ…」
降り注ぐ火球の勢いが弱まり視界が戻ったミライの目に映ったのは、咆哮を轟かせながら飛びかかってくる札付きたちの変わり果てた姿だった。
「ーーー!」
蛮刀、ナイフ、手斧。札付きらしくくたびれた得物を各々振りかざしながら襲いかかってくる札付きたちの攻撃を最小限の動きで躱し、刀の反りを使って受け流し、がら空きになった後頭部に鋭く肘を打ち込んでいく。
それら全ての動きを同時に、かつ無傷のまま成立させるミライ。しかし札付きたちの勢いもまたその程度の反撃では収まらない。
薬品の過剰投与によって強化された札付きたちの攻撃一つ一つは、振り下ろされた斧が容易に床を砕き、拳が頬を掠めただけでも肌を切り裂くほどの威力を持っていた。
彼らは元々冒険者という立場でこそあるが、実際はその多くが犯罪者崩れの非戦闘員であり本格的な戦闘の経験など無いに等しい。そんな彼らが歴戦の冒険者顔負けの戦闘能力を発揮するのは、ひとえに今回の件の首謀者であり、札付きたちに投薬を施したユリウスの実力に寄るところが大きい。
けれどーー
「彼らは、仲間じゃなかったんですか!!」
「っと…やあ、良く気付いたね」
自身を取り巻き、今も絶えず攻撃を仕掛けてきている札付きたちの狂気に紛れ、背後に迫っていた極めて鋭利な殺意。それを敏感に感じ取ったミライが自身の首筋を狙って放たれていたナイフを振り返りざまの一閃で弾いた。
その衝撃でナイフの先から弧を描くようにして迸った薄緑色の液体を避けたミライは、目前でいたずらっぽく嗤うユリウスと視線を交わす。
「仲間だよ。だからこうして彼らの力を借りてる」
「力を…? 傀儡にしてるだけにしか見えないけど」
「…まあ、間違ってはいないけどね」
そう言ったユリウスは、小さく息を吐いてから軽く手を上げた。するとそれに反応してミライを囲っていた札付きたちの動きが止まる。
「これは…、ここまで……」
「そう、なかなかのものだと思うでしょ?」
目の前の光景に驚きを隠せないミライの様子にユリウスは満足げな笑みを浮かべながら一番近い札付きへと歩み寄り、その虚な顔に触れる。
「こんなにしっかり触っても、見ての通りピクリとも動かない。でもそれも当然なんだ。実のところ、ボクの仲間の中でも最も長く、念入りに魔薬の調整をされたのが彼らだからね」
ま、一度こうなってしまうともう元の人格を取り戻すのは難しいんだけど、と札付きの顔を覗き込みながら楽しげにそう語るユリウス。
しかし黙したまま敵対的な態度を崩さないミライの様子を見ていまいち今日考えられていないと考えたのか、どこか釈明するような調子で改めて彼に向き直る。
「一応言っておくけど、彼らからの同意は得ているよ? 自由になるためならなんでもするっていうね。だから自由になれる最善手を打ったんだ。彼らに魔薬に頼らずギルドと渡り合える力があれば、こうなることもなかった。要は自己責任だよ。…まあ、でもーー」
緩やかにトーンを落としたユリウスの瞳が、彼の内心に微かに触れたことを示すように妖しく光った。
「…もともと何らかの形で責任は取ってもらうつもりだったんだ。彼らさえいなければメルが襲われることも、それで札付き側の均衡が崩れることもなかった。だから最低限、ボクらの日常を台無しにしてくれた分は保証してもらったっていうのはあるよ」
それまでにはなかった底冷えするような感情は引っ掛かった。ただ、今はそれよりも聞き逃せない名前がユリウスの口から出てきたことにミライは眉をひそめた。
「ちょっと待ってください。今、君ーー」
「さて、なんのことだか…」
問い詰めようと口を開いたミライをユリウスは意味ありげに遮ると、続け様に大きく指を鳴らす。それを合図に札付きたちが一斉に意識を取り戻し、その場で身じろぎをしはじめた。
「雑談はここまで。それじゃあ、また彼らの相手を頼むよ」
「待っーーーくっ…!!」
遠ざかるユリウスを追いかけようと前に踏み出したミライだったが、すぐに自身を取り囲んでいた札付きたちに阻まれる。再び開始された札付きたちの攻撃に対応しているうちにユリウスの姿も見えなくなってしまった。
「聞いてはいたが…なかなか底が知れない、なっ」
「ゴッ!? 」
襲いかかってくる札付きの中にユリウスのブロンドが紛れていないかと目を凝らしながらも、頭上からの斧の一撃は避けてその持ち主の頭蓋に鋭い峰打ちを加える。が、
「…っグゥぅ……」
「今の打ち込みでも倒れないのか」
額から血を流しながらもそのダメージを感じさせない様子でまた立ち上がる札付きの姿に、ミライはユリウスを探すことを一旦脇に置いて距離を取り、改めて目の前の敵たちと相対する。
先のユリウスとの短いやり取りでも、彼がこちらが想定しているよりも多くのことを知り、関わっていることが伺えた。それを踏まえるならば、まずなにを持っても彼の捕縛は成功させ、彼の知りえる事実の全てを明らかにしなければならない。
それをするためには、
「まず、目の前の彼らをどうにかしなければならないな」
一度開けた距離も、後を追ってきた札付きたちはもう半分以上も詰めてきている。
ここまでの戦闘で通常であればまず昏倒するはずの一撃を何度も見舞っている感触はあるのだが、どうやらユリウスの行った過剰投与の効果はこちらの常識を大きく逸脱しているらしい。
だが、最終目標が見えた以上、ミライももう迷うことはない。致命の一撃を食らっても倒れない敵なら、倒れるまでそれを続ければいいだけの話だ。速やかに彼らを無力化し、今度こそユリウスの身柄を確保すればいい。
ただ、唯一懸念があるとすれば、
「…刀身、持てばいいんですが」
酷使されすぎた愛用の得物が折れることくらいだろうか。
☆
「ーーーまずったかな。メルの名前は少し余計だったかもだ」
薬物の投与によって肥大化した肉体を得た無数の札付きたちがミライ一人に切り崩されていく。その様子を少し離れたところから眺めていたユリウスがポツリと呟いた。
実力者だということは知っていたが、まさかとっておきの中毒者たちを投入しても全く形勢に変化が見られないとは、と、内心の微かな焦燥を感じ取りながらも、あくまで冷静にこの事態への対処方法を考え、速やかに決断する。
「アルバート君、こっちに」
「………」
自身の護衛に唯一残していたギルド直轄の冒険者を調整した中毒者に声をかけ、無言のままこちらを向いた男の首筋に取り出した注射器を躊躇なく突き刺した。
「ーーグッ…アアぁ…アアああアあアアア!!!」
注入された薬品は即座に狂戦士の体内へと浸透し、男はその劇薬がもたらす壮絶な効果によって全身の筋肉を膨張し、血管が毒々しく浮き上がる。
焦点の定まらない瞳は天を仰ぎ、その口からは人とは思えない野生的な咆哮が轟いた。
ユリウスの打った薬品が、もとより身体、魔力共に過剰な強化が施されていた能力を強制的に極限まで吊り上げたのだ。
狙い通りの変化が認められたことにユリウスは満足げに頷くと、さらに別の注射器を取り出す。
「彼らが時間稼いでくれている間に、完成させないとね」
どこか楽しげにそんな言葉を口にしつつも、ユリウスはその新たな注射器の針を男の首筋に狙いを定めた。




