第4話「対峙と決着」②
「メル、武器は…」
「取り上げられちゃったみたい。…って言っても、元々予備の武器しか無かったんだけど。ーーーだから、」
目前に迫る二つの狂人の影を前に、隠し持っていたナイフを構えながら声をかけてくるレイ。その彼に、メルは許しを得るような調子で答えながら足元のブーメランに手を伸ばした。
「少しだけ、力を貸してね、サウレ君」
メルはグローブ越しに鋼鉄製の持ち手が伝えてくる冷ややかな感触のそれを、掻き抱くようにしながら持ち上げた。
そんな彼女の姿を静かな眼差しで見つめていたレイだったが、やがてゆっくり敵の方に視線を戻しながら再びメルへと語りかけた。
「ーーー来る。構えて」
「うん、大丈夫」
頷き返し、武器を構えるメル。
そんな彼女らに呼応するように、立ちはだかった狂人たちがこちらに向かって踊りかかった。
「…殺、す…ユリウス様のため、殺すウゥ!!」
「ーーアアアアアア!!」
叫び声を上ながら突っ込んでくるのは軽装に短剣を携えた斥候らしき女と、白い神官装束を身に纏い、先端に槌のついた錫杖を持った体格のいい僧侶の二人。どちらもミライを襲っていた敵たち同様正気を失った様子でただひたすら殺意を振りまいている。
「ーー殺ッ…あァ!?」
「ーーー」
まず接触した斥候の女は、放たれた刃がレイに届く前にその懐に潜り込んだ彼の蹴りを胸部に食らい後方へと吹き飛ばされた。
一方ーー
「ーーくっ…!」
僧侶によって振り切られた錫杖をブーメランで受けたメルは予想よりも強かった衝撃に僅かに顔を歪める。
と、僧侶はそのまま次の攻撃を加えることはせず、なぜかメルの襟首に空いていた方の手を伸ばしてきたのだ。
「ガアッ!!」
「ちょ、何々なに!? ーーうっ…!?」
両手でブーメランを支えていたメルはその手に抗うことができずに襟元を掴まれ、そのまま凄まじい力で引き寄せられそうになる。予想だにしない動きにその場で踏ん張ることもままならないまま引きずられ、目の前に結界と毒ガスの境界が迫った。
「その手を放せ」
「グゥッ…!?」
しかしそれは、レイがナイフをメルを掴む僧侶の腕へと繰り出し、それを嫌った僧侶が手を離したことでメルは膝をつきながらもぎりぎり結界内に踏み止まれた。
「…メル」
「大丈夫…ちょっと、びっくりしただけ…」
乱れた襟を直しながら答えたメルの息は荒く、一度矛を交わしただけでも相当の体力を要したことがわかる。
一方相手方はレイに蹴り飛ばされた斥候の女が口の端から血を垂らしながらも既に立ち上がっており、左腕に装着された小型の連弩に矢をつがえて戦闘準備を再開していた。
「ね、今のあの人たちの動きって」
「ああ、結界の外に引きずり出そうとするくらいの頭は残ってるらしい」
立ち直りつつある敵に目を向けながら声をかけてきたメルにレイも頷き返す。
実のところ、メルとレイを取り巻く今の状況は札付き側に大きく有利になっている。結界魔術を自力で使えないメルたちが立っているは、数メートル四方の半球状の結界で、さらに背後を壁で塞がれている。そんな中で、周囲に渦巻く毒ガスから身を守るために結界から出ないようにしながら防戦しなければならない反面、札付き側は結界の外に引っ張り出しさえすれば勝ちなのだ。
実際、先の僧侶はメルにそれを仕掛けてきていた。
最悪の事態を避けるのであれば、早期に目の前の敵を制圧するのが最も有効なのだが…。
「メル、俺の後ろに!」
「う、うんっ!」
そんな思考を巡らせていたメルの耳に、レイの鋭い声が届く。頷き、ほとんど条件反射でレイの背後に駆け込むのとほぼ同時に斥候の女によって複数の矢が発射され、レイに殺到した。
それに対して難なく矢を切り払っていくレイだが、そんな彼の隙をついて再び僧侶が特出してきたのだ。
「ガアァ!!」
矢の軌道に錫杖を割り込ませ、諸共にレイへ打ち付けようと振るったそれは、
「ーー今度は、負け、ないっ!!」
飛び出したメルが打ち上げた全霊の斬撃と衝突し、レイの鼻先で互いに弾け飛んだ。
「ーーシッ」
僧侶が大きく体勢を崩したこの機をレイは見逃さず、そのナイフが僧侶の喉笛へと襲いかかる。しかし、狂気に染まってもなお残った僧侶の熟練の技術はこの危機に対して適切に錫杖を振るった。
「…『光ヲ、我ニ』」
レイに向けられた錫杖の先端から強烈な閃光が放たれ、一帯の視界を塞ぐ。
反射的に攻撃を止め、防御のために一歩退いたレイとメルは、案の定接近してきた身軽な気配に身構える。
「上だ!」
「はい!」
先に斥候の女に居場所を突き止めたレイの言葉に従い、まだ回復していない視覚を捨て、レイの声のみを頼りに照準を真上に合わせて手をかざしたメルが叫ぶ。
「ーー『大地よ、天を穿つ柱となれ』!!」
詠唱に呼応してメルの立つ床から大小さまざまな石柱が飛び出し、直上を跳んでいた女を弾き飛ばさんと次々伸びていく、その時だった。
「これは…、ーーーメル!」
「へ?」
頭上とは異なる新たな殺意の気配を複数感じ取り、レイにしては珍しい大きな声でメルに警告の声を上げる。しかしその呼び掛けはわずかに遅く、充満した毒霧の中から何人もの札付きたちが現れ、結界内へと踏み込んできたのだ。
「くたばれやクソガキがぁ!!」
「くっ…うぅ…!?」
メルが放った土属性魔術によって空中にいた女を幾本もの石柱の強打で後方へと弾き飛ばすことに成功した。 しかし、迫っていた脅威を取り除けたことを確認する間もなく、目前に現れた札付きと至近距離で睨み合いながらその手に握られた斧の一撃を受け止める羽目に陥っていた。
「はっはー!! やっとお前を殺せるぜ…。死んだ兄貴のかた…ぐはっ!?」
「きもいっ!!」
唾をまき散らしながら異様に興奮した様子で喚いていた男の横面をブーメランで殴りつけ、その意識を奪う。
その男はそのまま崩れ落ちるも、背後には武器を構えながら走りこんでくる札付きたちがの姿がなおも認められた。
「どうしよう、このままじゃ…」
ちらとレイの方を見やると、持ち前の冷静な立ち回りで複数人の相手に難なく対処しているものの、やはり立ち位置の悪さによって決定打に欠けるようだった。
そしてメルが言いようのない危機感に苛まれている間にも新たな刺客が斬りこんできていた。
「ーーよそ見とはずいぶんと余裕なんだな!」
「わっ!?」
慌てて得物を振り下ろしたメルだったが、札付きは慣れた動きでそれを躱すと下を向いたブーメランの背を掴んで結界の外側へと引っ張る。
体勢を崩されたメルは容易に振り回され、咄嗟に出した片足でどうにか踏みとどまったもののふくらはぎから先が結界の外に出てしまう。
「づぅーーー!?!」
衣服越しでも伝わる、まるで熱い湯に足を突っ込んだかのような痛み。メルは反射的に結界内に足を戻せはしたものの、声にならない悲鳴を上げながら膝をついてしまった。
しかし、そうしているうちにも先の男に加え、新たに追い付いてきた札付きが前後から襲いかかってきていた。
「これで終いだァ!!」
「もらったーー!!」
「ぐっ…、『大地よ、天を穿つ柱となれ』…!」
「「ーーごっ!?」」
咄嗟に放った魔術が辛うじて札付きらの顎を打ち抜き、その意識を刈り取る。
「っつ…はぁ、はぁ、ーーは…」
倒れる男たちの体が硬い床とぶつかる音を聞きながら、メルは痛む足を体に寄せて大きく息を吐く。
どうにか目の前のピンチは乗り切ったものの、今の魔術行使で残っていた魔力も全て使い切ってしまったようだ。加えてこの足。ズボンの裾を少しめくってみると、やはり火傷のような爛れを足首にかけて負っている。重傷とまでは言わないまでも戦闘には間違いなく支障が出るだろう。
「メル、足を?」
「あ、うん…ごめん、失敗しちゃった」
怪我を負ったことに気づき、そばに来てくれたレイにメルは申し訳なさそうに応じる。どうやら敵の襲撃は一旦落ち着いたらしく、ナイフを構えながら座り込んでいるメルの方を軽く覗き込んできていた。
「動ける?」
「う…ん、ーーーいっ!? …つぅー…。ごめん、立てないことはないけど、あんまり長くは…」
「……そう、か」
立ちあがろうと両足に力を入れるも、怪我を負った方の足が鋭い痛みを発して片膝をつくメル。それを見たレイは厳しい眼差しのまま周囲の様子を窺っている。
そうこうしているうちに、また新たな札付きの姿が紫色の靄の中から姿を現し始めた。
それを見たレイが、それでも諦めずにナイフを構える姿に、メルも覚悟を決めてまた両足に力を込める。
「っつぅ…!」
「メル…」
「…大丈夫。キツいけど、まだ戦える。ここまできて諦められないから!」
「ああ。…そう、だな」
額に汗を浮かべながらもなんとか立ち上がって武器を構えるメルを見て、レイも同じように前を向く。覚悟を決めた表情で身構える二人にいよいよ札付きたちの剣先がかかろうとしたその時ーー、
「ーー二人とも、下がってください!!」
「っ…ーーー!」
「なに…、ーーわっ!?」
突然頭上から降ってきた声に真っ先に反応したレイがメルを抱えて飛び退くと、ほぼ同時に大量の矢が一帯に降り注いだ。
反応できなかった札付きたちは胴、腕、首などに矢を喰らい、ある者は下がり、またある者はその場に倒れていく。
「なにが起こってるの…?」
瞬く間に崩れていく敵たちの姿に何が起こっているのかわからず呆然とするメルだったが、その答えはそう間を置かずに矢が降ってきたのと同じ頭上から飛び降りてきた当人たちが持ってきてくれた。
「メルさん、無事で本当に良かった…!」
「あ…えと…」
身軽な所作で目の前に着地した、白を基調とした革鎧に弓を手にした見覚えのある女性の言葉には、メルはあまりの驚きから声を出すことができなかった。しかし、
「メル様…よくぞご無事でーー」
「ーーーよし、生きてたな!!」
「………エイ、リーク、シーリン…?」
立て続けに地面を揺らしながら現れたよく知る仲間たちの姿に、メルの口から声が漏れる。
「ーーーおう、助けにきたぜ」
剣を担ぎながら意気揚々とそう言い放つエイリークの姿を、メルはいまだ信じられない心持ちで呆然と見上げていた。




