第3話「抗戦」⑨
3話は次回でどうにか終われるかなと…多分?
ミライら救出部隊の首脳陣が別室で今後の方針について話し合っている間、彼ら以外の冒険者たちはステラ麾下の部隊員たちが立て籠っていた事務所を利用して小休止をとっていた。
とはいえ、毒ガスの充満する施設の中を無数に仕掛けられた罠や断続的に起こる逃亡犯らの襲撃に対処しつつ強引に突破してきた彼らの多くは負傷や疲労を抱えており、事務所内は心身を休める負傷者たちとそんな彼らの回復に追われる魔術師たちという野戦病院さながらの様相を呈していた。
そんな環境であるため、例え札付きであろうと治癒魔術が使えるのであればその役目を全うすることを迫られていた。
「は〜い、どうもお疲れ様です冒険者様。どこか痛むところはおありですか〜? あるようでしたらどうぞこの私めに治癒魔術を施させていただきたく〜」
「…おいおい死ぬほどやる気ねぇじゃねぇかよお前。治癒かける本人のテンションが一番死んでるってのはどうなんだよ」
シーリンと共に部屋の隅で壁にもたれながら座り込んでいたエイリークは、頭上から降ってきた、聞いただけで声の主が心底うんざりしていることを察せられるほどの無気力な問いに顔を顰めながら応じる。
見上げたエイリークの視界に入ったのは、古木で作られた愛用の杖に両手でしがみつくようにして体を支えながら案の定の疲れ切った顔でこちらを見下ろすクリスの姿だった。
「知らないわよ…別にっ」
エイリークらの前にしゃがみ込んだクリスはわずかに杖を傾けて治癒魔術を行使し始める。
「好きで着いてきたわけでもないのに勝手に喋るな動くなって言われながらずっと監視されて、かと思ったら人手がないからって戦闘だの治癒だの。てかほんとに治してあげたのに舌打ちしながら追い払うのは何様のつもりなわけ?」
ここ数時間の強行軍の間に相当のストレスを溜め込んでいたのか、クリスは背後の冒険者たちに聞こえないくらいの声でブツブツと文句を垂れ流し始めた。
エイリークも可能であればそれに応じてやりたかったのだが、周囲の視線もあるため不用意な受け答えはできない。だからせめて話を聞くくらいは、と耳を傾けていたのだが、そんな彼女が不意に黙り込んだ。どうしたのか、と視線を上げたエイリークの耳に、先ほどまでとは打って変わった静かな調子のクリスの声が届いた。
「そういえば、結構今更なんだけど…メルのこと、悪かったと思ってる…一応」
「お前…」
「……」
「私たちはユリウスの危険性をなんとなく察知していたのに、それを伝えることを怠ってしまった。もしちゃんと話していれば…こんな事態にはならなかったのかもしれないのにーーー」
まさかクリスの口から謝罪の言葉が出ると思っておらず、エイリークと、そして隣で聞き耳を立てていたらしいシーリンは虚をつかれてしまう。
それから、エイリークは他の冒険者たちの意識がこちらに向いていないことを確認してから慎重に口を開いた。
「まあ、気にするな、とは簡単には言えねえよ。まだ俺たちは、あいつの安否すらも掴めていない。正直こうしてる間も焦ってるんだ。お前の言うとおり、もっと前に防げていたんならそうしておきたかったって思わないこともない。けどな、だからってお前らが責任を感じるのは違う、ーーーだよな?」
エイリークの目配せを受けたシーリンがその先を引き取った。
「ええ、その通りです。誘拐を未然に防げたと言うのであれば、私たちがメル様の護衛を怠ったこともまた責められるべきです。詰まるところ、過ぎたことを論じるのは今ではないということなのでしょう。それよりむしろ、私たちの死角を皆さんが埋めてくださっていたことに感謝の言葉を送らせてください」
「そんな…。ダメよ、その言葉は受け取れない。どんなに取り繕ったって、事件の根本には私たちの存在があるのは変えられないもの」
シーリンの言葉に、クリスは身を固くして拒絶の意思を示す。それはまるで、小さな子供が自分を害するものから身を守るような、普段の彼女からは想像できない弱々しい姿だった。
その様子に、エイリークとシーリンは彼らが時折見せる、恐らくは彼らの根本に関わる何かに由来する年相応の不安定さを感じ取った。
しかし、生憎と今のエイリークたちにはそこへ踏み込めるほどの準備も余裕もない。それが正しくないとわかっていつつも、今は気持ちの矛先をすり替えてあげることくらいしかできなかった。
「細かいこと気にすんなって。そもそもメルの無事を確かめるまでは、感謝も罵倒もどうしたってお預けなんだ。今は目の前の出来ること、やらなきゃならないことに集中のが俺たちにとっての最善だろうよ」
「…そう、ね」
「ああ」
クリスからどうにか前向きな答えを引き出すことができ、密かに息を吐くエイリーク。
しかし、目の前の懸念がひとまず片付いてしまったことで、かえってそれまで目がいっていなかった現状へと意識が向いてしまい、思わず声を漏らしてしまう。
「とはいえ、肝心の救出部隊の状況も相当厳しいからな。こっから先に進むのかどうか、ちょっと判断がつかないんだよな」
事務所内で休息をとっている冒険者たちのほとんどが大なり小なり負傷しており、その数は既に救出部隊の半数を超えているだろう。これが通常の戦場であれば事実上の部隊全滅であり、戦闘困難と判断され迷わず撤退が選択される状況だと言える。
「もし、撤退すると決まったら…あなたはどうしますか?」
「そうだなぁ、どうするか…」
シーリンの問いにエイリークは天井を仰ぎながら息を吐き出した。
救出部隊と共に撤退する。
これが一番現実的ではあるが、事実上メルのことは諦める選択でもある。
では逆に、救出部隊と分かれて単独で進む場合はどうなるか。
敵の本拠地の中、支援もろくにない状態で進めばすぐに見つかって袋叩きにあうか、途中で魔力が尽きて充満した毒ガスの餌食になる。どっちにしてもメルを助け出すまでもなく命を落とすのは間違いない。
ただしそれは、エイリーク独りだった場合の話だ。恐らくシーリンは仮にエイリークが上に戻ると言っても、単独での前進を続けるだろう。メルのためなら自身の命を捧げることも厭わない。シーリンとはそういう人間だと、エイリークは自信を持って言うことができる。
これでエイリークも加われば、少なくともこの施設の最深部に到達するまでであれば、かなり現実味が出てくると言っていいだろう。
そして生還するのであれば、あともう一手。この地下深くから安全圏へと脱出するのには、相応の突破力を持つ目の前の彼女の存在が必要だと、エイリークは確信していた。
「…なあ、クリスさんよ。もし俺らがミライさんらと別れて勝手に進むって言ったら、ついて来てくれるか?」
「……は?」
「いや、現実的な選択じゃないってのは理解してるんだ。でも俺とシーリンと、そしてクリス。お前がいれば、全くの不可能ってわけでもないと思うんだよ」
「ちょっと待って、いくらなんでもそれは無茶よ。古馴染みのあなたたちが組んだとしてもメルの救出どころかまず生きて帰ること自体が絶望的な場所なのよ? そこに部外者の私が入ったら間違いなく死ぬわよ」
「いやお前、逆だろ逆」
「そうです。この男と組むくらいなら私一人で潜った方がまだ勝算がある。むしろ、私たちにはあなたの存在は不可欠です」
「まあこのストーカーメイドの言うことに同意するわけじゃないが、クリスがいないといよいよ難しいってのは同感だ。それに、クリスが助けに来てくれたの見たら、メルの奴きっと喜ぶぞ」
「なに言って…、そんなことーー」
まずありえないだろうという、自分の中にごく当たり前に存在している諦観から来る乾いた感想が、自然と口を突きそうになる。
しかし同時に思い出されたメルの笑顔によって、それは半ばで押し留められた。
確かに、あの裏表のない少女なら札付きの自分が助けに行ったとしても喜んで迎えてくれるかもしれない。そんな淡い期待もまた、いつの間にか心の中に芽生えてしまっていたらしい。
「…ま、どのみち私はレイの方をどうにかしなきゃいけないしね。そのついででいいならーーー付き合ってあげないこともないわ」
そう口にしたクリスの表情は、恐らく本人が思っている以上にすっきりとしていた。
「うし…そうと決まればとっとと動かないとな」
「そうですね。ひとまず私の方で部隊の責任者たちがどういう方針を立ててるのか探ってーーーいえ、」
クリスの承諾を得、さっそく動き出そうとしたシーリンの視線がクリスの背後で止まった。
「…どうやら、私たちから動く必要はなくなったようです」
「なに? …げ」
「なんだ、話は終わってたか」
シーリンの言葉に促されてその視線の先を見たエイリークとクリスは思い思いの感情を口にする。
そんな彼らの内心など知らず、別室から戻ってきたミライたちがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「どうも、エイリークさん、シーリンさん。休憩中のところすいません。クリスさんも、負傷者の手当てに当たっていただいて、ありがとうございます。ーーーああ、座ったままで大丈夫ですから」
直前まで当人たちの話をしていた手前、少々緊張しながら立ち上がろうとしたエイリークらだったが、それは柔らかくミライに押し留められる。
それからミライ自身が軽く膝をついてエイリークたちと目線の高さを合わせると、いつになく真剣な様子で口を開いた。
「知っての通り私たちの方で今後のことを話し合っていて、いくつかの結論も出しました。その中で一つ、相談があるんです」
「相談、ですか?」
このタイミングでのミライたちからの申し出となると、やはり部隊の進退に関することだろうかと、エイリークはいよいよ緊張感を高めながら聞き返す。
しかし、対するミライは予想に反して驚いた様子で目をしばたかせる。
「あ、いえ、すいません。相談があったのはお二人の方でなく、クリスさんの方でーーー」
「……………わたし?」




