第3話「抗戦」⑧
ーーー焼却施設地下2階通路。
「があああああ!!!」
「新手だ!」
「みんな、一度距離を取ってーー」
「ーー下がりなさい! 私が動きを止める!」
気の触れた様子で斧を振り回しながらこちらへ向かってくる男と対峙する冒険者たち。無軌道だが威力だけはあるその攻撃にステラと彼女の部下が身構えるが、そんな彼らにクリスは鋭い声で指示を飛ばしながら杖を構えた。
「ーーー『絡めとれ』」
「があっ…ああ!? あああ!!」
幾度も繰り返された戦闘によってひび割れ、大小の陥没が刻まれた通路の床や壁から突如として生える身の丈ほどの岩杭が男の四肢に突き刺さる。魔薬によって正気を失い、身体能力の制限も外された狂人であっても、全身を幾重にも貫かれればその動きは一時的にでも制限される。その隙を、
「ーーっらぁ!!」
「ごふっ……」
見逃さなかった前衛が狂人の首元に自身の大剣を突き立て、狂人は短い断末魔と共に傷口から鮮血を噴き上げながらその場に崩れ落ちた。
「はぁ…何とか、なったか…」
剣を振って血糊を飛ばしながら前衛の男が息を吐く。
クリスの参戦によって体勢を立て直した人質救出部隊に属するステラの班だったが、ミライの本隊が救援に来るまでの時間稼ぎのために未だ札付きたちと激しい戦闘を繰り広げていた。
☆
「クソっ、また防がれたぞ! なんだって急に盛り返したんだ!?」
「知るかよそんなこと! それよりどうする、手持ちの中毒者どももあと3人で打ち止めだぞ!」
クリスたちとちょうど真反対の位置にあたる通路の曲がり角に陣取り、望遠鏡越しにその戦況を見ていた逃亡犯たちは突然の風向きの変化に動揺していた。
つい十数分ほど前に、一度防護結界を破壊するまでには確実に追い詰めていたはずの彼らの様子が、その結界が再度展開されて以降明らかに勢いを盛り返してきていたのだ。
「…しゃあねぇ、こうなったら物は試しだ」
「どうする気だ? もういくつも手は残ってないんだ、他の味方のところに合流した方がいいんじゃないか?」
何かを思いついたらしく、背後の中毒者たちの方に体を向ける札付きにその相方が不安そうな声をかける。
それに対する男の顔に同様の危機感はなく、むしろ面白そうに笑みを浮かべた。
☆
「ったく、いったいいつまで続くんだこの戦いは…」
「もうすぐミライさんが来てくれます、必ず…。それまでどうにか持ち堪えましょう!」
「それは分かるんだが、よりにもよってなんで俺たちが札付きと…」
「それはーーー生き残る、ためです。認めたくはありませんが、今の私たちに彼女抜きで戦い続ける力は残っていません。ここから生きて帰りたいのなら、今は大人しく彼女に背中を預けるしか…」
「ーー聞こえてるわよっ!!! それ以上余計なこと言って私があんたら皆殺しにする前に武器を構えなさい! ーー次が来たわ!!」
「「「ーーっ!?」」」
クリスの殺気のこもった警告でステラたちが弾かれたように正面を見ると、薄く白銀色に明滅する結界の外、紫色の毒霧が充満した通路の奥から大柄な人影が走ってくる姿が目に入った。
「特攻の方だ…。隊長! 動きを止めてください!」
「任せて!」
前衛の求めに応じて複数の矢をまとめて放つステラ。狭い通路を翔けるいくつもの矢はステラのスキル、『射線操作』によって軌道を調整され、前方の味方には一切刺さることなくすり抜けその先にいる中毒者の両足へと収束する。
この射撃によって中毒者の速度が僅かに緩んだ隙を見逃さず、クリスの岩杭が追い打ちをかける。
「ーーサリナス!」
「はいっ!」
ステラの声に応じた前衛が間髪入れずに前に踏み出し、杭に拘束された中毒者の頭部めがけて得物を振り下ろした。
「ガッ……!?!」
頭をかち割られ、短い悲鳴を上げる中毒者。目の前の男が絶命したと、その手応えで確信した前衛が剣を引くためにゆっくり上体を起こしたが、そこでようやくまだ危機が去っていなかったことを悟る。
「隊長! 敵が、もう一人ーー!!」
即座に剣を放棄し身を翻した前衛。彼の耳は、もう一つの足音が激しく床を鳴らしながらすぐ背後にまで迫っていることを捉えていた。
「ーーアアアアアァァァ!!!」
ステラたちの方へ向かって走り出した前衛の背後、杭に貫かれ、立ったままの姿勢で力尽きている中毒者の頭上を飛び越え、新たな中毒者が姿を現した。
元はただの職員だったであろう若い女性は長い髪を振り乱し、悲鳴のような咆哮を通路中に響き渡らせながら逃げるサリナスに追い縋る。
「くっ、援護したいけど敵が近すぎるーー魔術はっ!?」
「対応はできるけど、巻き込まないのは無理。無事では済ませられない!」
無事に仲間を救い出す方法を見出せず、焦燥に駆られながらも見ていることしかできないクリスとステラ。しかしそうして手をこまねいている間にもサリナスと女の距離は見る間に狭まっていっている。
ことは既にリスクを無視できる段階ではない。
そう決断しクリスが杖を構えた、ーーーその時だった。
突然、クリスたちから見て通路右側の壁いっぱいに放射状の亀裂が走る。
「なっ!?」
「ーーっ!」
「何がーーーうおっ!?」
「ギャアッ!?」
驚いた一同が反応する間もなく、ちょうどサリナスと女の間に位置する壁面を打ち破って一人の人物が現れる。
砕け散る瓦礫によって追跡を阻まれた女は一度背後に飛びのくとその場で四肢を着きながら威嚇のような叫び声をあげる。
しかし、現れた人物はたった一歩でその距離を詰めると腕を一閃。
「ギッーーー!!」
一刀のもとにその首を落としてしまった。
声もなく崩折れる女には構わず、一瞬でそれを成したその人物はけぶる土埃の中からゆっくりと立ち上がり、呆然と一連の出来事を見ていたクリスらの方に向き直った。
「やあ、どうにか間に合ったみたいですね」
あまりにも鮮やかに味方の危機を救ったミライは、その成果など気にも留めない涼し気な様子で微笑んだのだった。
☆
衝撃的な登場によってクリスらの窮地を救ったミライ率いる本隊の合流は交戦中だった逃亡犯らに相応の脅威とみなされたらしく、先の襲撃を最後に追撃は無かった。
これを好機と見た救出部隊は速やかに周辺の索敵を行い一帯の安全を確保。これにより分断されていたに味方との合流が一区切りついたと判断した救出部隊は状況の確認と休養のためにこの場で小休止を取ることとなった。
「副局長、防護結界の設置完了です。それと、すいません。先ほどまでステラの隊とやりあっていた連中には逃げられました。逃走経路の準備なんかも思いのほか周到にしていたみたいです」
「そう、か。いや、この場合深追いしなかった君の判断が正解だと思う。ありがとう、休憩に入ってしまってください」
ミライの言葉を受けた冒険者は煤けた顔に微かな疲労をにじませながらも、あくまで神妙な面持ちで頭を下げると少しな離れたところで待っている部下の元へと戻っていった。
「すいません、話を中断させてしまいました。ひとまず話をまとめると、先行第1部隊の半数ほどと第二部隊はステラ班の過半数のみ。そして、私直下の本隊で残っている人員全て。これが今戦闘に参加できる総数ということですね」
「はい」
「面目ありません…」
ミライの確認するような言葉に、第一部隊の責任者を務める精悍な男性、エンリコと、同第2部隊における事実上の責任者となってしまったステラは深刻そうな表情で頷く。
現在この救出部隊においてリーダー各にあたる面々は休憩をとっている部下たちとは別の小部屋にて、今後の方針に関する協議を行っていた。
「いえ、皆さんに非はありませんから、顔を上げてください。むしろ責められるべきは私です。急を要する事態だったとはいえ不十分な用意で皆さんを敵の中へと突入させてしまいました。結果、全体の半数にも上る死傷者を出してしまった…」
"半数"という言葉にその場の全員が押し黙ってしまう。
当然ながら、その中には彼らと長く苦楽を共にしてきた仲間も含まれている。そういった意味でも、ここで出た犠牲は軽々しく無視できるようなものではなかった。
「ーーと、すいません。肝心の私が士気を落としている場合ではありませんでした。今は、これ以上被害を出さないでいけるよう方針を考える時でしたね」
そう言いながら沈んだ空気を払拭するように顔を上げるミライ。
彼は目の前にいる二人の顔を見回しながらさらに言葉を続けた。
「私から提案があります。どうにか合流はできましたが、我々は今なお敵地深くで囲まれ、こちらには怪我人も多い。これ以上進むのはどう考えても下策です。…救出部隊は、ここで引き返させる。それが私の提案です」
それはステラたちに一つ前のやりとりを容易に上回る衝撃を与える言葉だった。
「つ、つまり撤退、ですか?」
「そうなります。幸い施設外の仮説指揮所で待機してるリズさんやニーナさんとの交信ができることは確認済みです。敵の追撃にさえ気をつければ、撤退は十分に可能なはずです。むしろ、引き返すなら今しかありません」
散らばっていた各部隊が合流し、一時的にでも敵を退けられている今なら、最小限の被害で敵の支配権から脱出することもできるだろう。しかし、悠長に構えたり、あるいは今よりも深い階に降りてしまった場合、そこからの脱出の難易度が跳ね上がってしまうのは想像に難くなかった。
「…私も、副局長の提案に賛成です。人質たちを救出することができなかったのは無念ですが、私は今生きている部下たちをこれ以上危険にさらしたくありません」
エンリコもその考えに至ったらしい。重苦しい声を絞り出すようにして、ミライの提案を支持する言葉を口にした。
「でも、それじゃあメルさんは? 彼女はまだ生きているかもしれません。それも確かめずに引き返すなんて…」
皆の言い分もわかる。けれど、その結論をここまでついてきてくれたメルの仲間たちは受け入れないだろうし、短い間だが彼女を護衛したステラ自身も諦めたくはなかった。
「ステラさんだったか。あんたの気持ちは理解できるが、今の俺たちが怪我人を庇いながら先を進むのは無理だ。それに、言いたくないが…ここまでの道中で散々見てきたろ? 誰一人として無事な人質はいなかった。その子もどのみち手遅れだろうよ」
深刻な顔で思い詰めるステラに、エンリコはその肩に手を置きながら諭すような調子で語りかける。だがその言葉は、今のステラには返って逆効果だった。
「そんなこと…! エンリコさん、今の言葉はギルド直属の冒険者としても、一人の人間としても見逃すことはできません!!」
「ちょ、待てって! 別にあんたを怒らせるつもりはなかったんだ。だから一旦落ち着いてくれ…」
憤るステラに驚いて身を引くエンリコ。そんな彼になおも言い募ろうとするステラだったが、彼女が口を開くよりも前にミライが割って入った。
「すいません、すいません。どうも少し言葉が足りなかったみたいですね。ステラさん、エンリコ君もよく聞いてください。部隊そのものは撤退させますが、救出自体を諦めるわけではありません。そこからさらに、私に考えがあるんです。ーーー二人はあまり賛成してくれなかもしれませんが」
そんな、やや含みのあるミライの言葉に、ステラのエンリコは毒気を抜かれながらも首を傾げたのだった。




