第3話「抗戦」⑥
「全部、レイのためにしたことだよ?」
「………」
ごく当然のことのように告げられた思いもよらぬ事件を企図した動機に、とうの本人であるレイは黙って眉をひそめている。
ともすればレイがユリウスを焚きつけて今回の事件を起こしたようにも聞こえるが、
「ああ、一応言っておくと、別にこの件の黒幕がレイだってことじゃないからね。この事件はあくまでボクの独断でやったことだ」
同じ懸念を抱いたらしいユリウスが思い出したようにそう付け加えるが、それ自体も妙な話ではある。
どちらにしても、今聞いたユリウスの言葉だけでは話を理解メルは半ば衝動的にユリウスへその真意を尋ねた。
「…どういう、こと?」
「ま、そういう反応になるよね」
それを受けたユリウスもメルたちの困惑を感じ取っていたのか、苦笑しながら答えた。
「これを話しだすとちょっと長くなるけど…」
ユリウスはそう言いながら今も戦闘が繰り広げられているだろう上層階の方を見上げる。
戦端が開かれてからもう二時間ほどが経っただろうか。
最初こそ施設全体を揺らすような衝撃が何度か起こったが、恐らく突入部隊が分断されたあたりから、メルたちの居場所まで届くような大きな動きは伝わってこなくなっていた。
「ま、少しなら大丈夫かな」
ユリウスは気安そうにそう頷くと、再びメルたちの方を見た。
「ねえ、二人とも。すごく基本的な質問なんだけどさ、ボクがどんな罪で札付きという立場になったのか、知ってる?」
「それは……?」
ユリウスの質問に対する答えに心当たりが無く、メルは眉を寄せながら助けを求めるようにレイの方を見る。しかし、レイにもそれは分からなかったらしい。小さく首を横に振ってから、答えを促すようにユリウスへ視線を投げた。
「そうだね、レイにも話してなかったはずだ。多分知らなくても無理ないと思うけど…ボクの罪状は連続殺人。毒物を使って計15人の人間を殺した猟奇殺人犯ってやつさ」
「殺っ…なん、で…?」
「ああ、動機? あんまり今の話に関係ないから掘り下げるつもりはないんだけど…強いて言うなら面白かったからかなぁ」
真剣な表情で首をひねるユリウスは、懐から小さな瓶を取り出してそばの机に置くと、人差し指でそれを弾く。
恐らく猛毒なのだろう瓶の揺れに合わせてたゆたう黄金色の液体を眺めなら本気で人を殺す理由を考える風だった。
「人ってさ、どんなに身分が高かったり、生活が豊かだったりすればするほど死を前にした時の抵抗が激しいんだ。それに素直に感動しちゃってね。きっかけはうちの使用人に作った毒を試しで盛り始めたっ事だったんだけど、彼女、妊娠していてね。日に日に衰弱していってるのに、快方に向かうことを信じて気丈に振舞っている姿を見て、子供ながらに感激したんだ。毒を入れるのを止める予定はなかったから絶対に助からないのにね」
そう語るユリウスは、友人の失敗談を話すような気やすい笑顔を浮かべている。
「それからだった。ボクの周りで比較的楽しそうに生きている人に対して時間をかけて毒を盛るようになったのは。色々な人がいたよ。目に見えて衰弱してるのに、それを誤魔化すように前向きでいようとする人とか、逆にひどく絶望して周囲が困惑するくらい荒れる人。どれも人間らしくて見ていて飽きなかったよ」
「……え、え…?」
まったくもっていつも通りのユリウスの口から飛び出す異質な言葉の数々に、思考が全くついていけないメルは戸惑いの声しか上げられない。
一方ユリウスもそんな彼女の反応を気にした風もなく言葉を続ける。
「ああ大丈夫。別に理解してもらいたくて話してるわけじゃないから。というか話の主題もそこじゃなくて、まあとりあえず話を戻すんだけど。なんだかんだ15人目、最初の彼女から数えて3年くらい経った時ーーー」
そう言いながらユリウスは強く瓶を弾く。すると当然、倒れた瓶は机から転がり落ち、粉々に砕け散ったガラス片と共に板材の貼られた床に薬液が広がる。
「結局こうして捕まって、あとは死を待つばかりって形で落ち着いたんだ。驚いてるけどメル、札付きの大半はこんなもんだよ。当たり前の倫理が通用しない頭のおかしい人間…いや、ボクたちは自分のことを人間と定義しているけど、周囲からはだいたい『異常者』とか『化け物』って呼ばれるから、実のところ人間って枠組みからは外れてるのかもしれないけど」
立ち上る異臭の中で楽しげに自身の身の上について語るユリウスの目には、確かに容易には理解の及ばない怪しげな光が宿っていた。
と、ここまでほぼ独壇場だったユリウスは、まとっていた異質な気配をあっさりと手放して顔を上げた。
「というわけで、ここまで簡単にボクの札付きとしての半生を解説してきたわけなんだけど、さっきも言った通りこれは前振り、そして、ここからが本題だ」
そう言うと、一拍置いてからレイの方にまっすぐ視線を向ける。
「レイ、ーーー君はどういう罪で札付きになったのかな」
その質問は、確かにここまでの前置きを踏まえたことに納得のいくものだった。メルは頭の片隅でそんなことを考えながらも、話が思いもよらぬ核心に向かっていることを感じて静かに息を呑んだ。それは、こまでメルがなんとなく忌避していたレイたちの本質であり、内容によってはこれまで通りの関係性を続けていくことが難しくなるかもしれないほどのものだったかからだ。
この場にいる者がそれぞれ思いを抱きながらその答えを待って固唾を呑んでいる中、レイがようやく口を開いた。
「…なにが言いたんだ」
けれど、対するレイの返答は微かな躊躇いと疑問だった。
質問に質問で返されたユリウスは苦笑する。
「いや、そんな身構えるようなことじゃなくて、ただ君が札付きになったきっかけを知りたいんだ。これまでちゃんと聞いたことも無かったし、ちゃんと会話できるのもこれが最後になってしまうかもしれないから、ね?」
気安い調子で言ってはいるが、ユリウスも、レイの、対話を拒絶をはらんだ眼光に怖気づく様子はない。彼の一歩も引くつもりのない態度を見て早々に諦めたのか、レイは溜息を吐きながら再び口を開いた。
「…俺は、昔一緒に行動していた仲間に酷い裏切りをして、最後には彼らを殺した。…それだけ」
「仲間を、裏切って…」
それは、メルにとっては最悪に近い回答だった。
背中を預けてきた相手の命を奪うという行為は、間違いなく冒険者の世界において最悪に近い所業と言える。
しかし顔を曇らせるメルにユリウスは面白そうに笑いかけた。
「メル、それは少し世間知らずが過ぎるな。冒険者の世界で手を組んだ相手を陥れるなんてよくある話だよ。そしてそれがギルドに露見したとして、札付きに落とされるなんてことにはまずならない。せいぜいランクの降格、酷くても数年の活動停止処分くらいだよ」
「そんな…」
「驚くようなことじゃない。『栄光なりし冒険者ギルド』なんて言ってるが、所詮は体のいい使い走りを効率よく管理して儲けたいだけの組織だ。メルの場合はエイリークとシーリンがその辺りにかなり気を遣ってるみたいだからあまり実感が沸かないんだろうね。でも、理想ばかり見ていると、いざ裏切られたときに無駄なショックを受けることもまた事実だ。…もう少し、現実を見る努力はしてみてもいいかもね?」
ユリウスにしては珍しい乾いた笑みを浮かべながらの辛辣な言葉だったが、思い詰めたように黙り込んでしまったメルを見て我に返ったのか、最後にはいつも通りの柔和な調子に戻って締めくくった。
「そういうわけで、ボクが聞きたいのはもっと詳細な罪状についてなんだけど」
「………」
再びレイに水を向けたユリウスだったが、返ってくるのは沈黙による拒絶だけだった。
けれど、ユリウスはそんな態度にも気を悪くすることはなく、むしろ分かっていたように微笑んだ。
「答えてはくれないか…。まあそれは別にいいんだ。ボクも無理に聞き出そうなんて思ってなかったからね。じゃあ逆にここまでの問答でボクが何を言いたかったかっていうとーーーレイ、君は決定的なところでボクらとは異なってる。そしてたぶん、その違ってる部分に君が札付きになった理由がある」
「決定的な、違い…?」
「………」
断定的なユリウスの言葉に返ってくる答えはない。しかし今のユリウスはそんなもの必要ないのか、メルやレイが何も言わなくても構わず話を続けていく。
「根拠は無いんだ。けど、化け物が跋扈する環境に身を置き続けた化け物の一人として、その中のごく少数にボクらとは異なる性質の人間が混じってることに気づいたんだ。例えばレイやクリス、あとサウレもそうだったな。罪を罪とも思わない非人間たちの中にあって、数少ない自分の罪と向き合っている君たち。そんな君たちは化け物たちしかいないあのつまらない世界の中ではっきりと輝いて見えた。そんな君たちを見つけたときのボクの感動が分かるかな?」
両手を広げて、自身の中で膨れ上がる感情を示すユリウス。
メルは、その姿に初めてユリウスが持つ明確な狂気を感じ取った。
「ボクはレイを、君たちのことを間近で観ていたいと思った。この世紀末染みた世界で、既に体も心も限界を迎えているように見えるのに、それでもなお、目の前に垂れ下がる辛うじて掴まれるかどうかも分からない細い細い糸にしがみついては死線を越える君のことを。…越えても、そんな君の前に広がるのはただ生き永らえること以外に目的の無い、空虚な生だけの君のことを」
ユリウスの中に渦巻くのは、間違いなく狂気という種類の感情だろう。しかし不思議なことに、その狂気に酔う彼は極めて穏やかな安寧の中にいるような平静さをその瞳に湛えていた。
「ボクはそんな君の姿を観ているだけで満足だった。その内に秘めた決してボクには明かしてくれない何かを必死に守ろうと足掻く姿は、これまでボクが生み出してきたどの断末魔よりもボクの心を満たしてくれた。ーーーけど、そんな素晴らしい生活に、変化が訪れたんだ」
そこまで言って、ユリウスは不意にメルの方を凝視した。
「そうメル、君が現れたんだ」
その目には、先ほどまでの穏やかとは程遠い黒い感情が渦巻いていた。




