第3話「抗戦」③
「了解しました!」
「よろしく。では、僕たちも引き続き制圧を続けましょう」
部下たちに見送られミライたち本隊は再び歩き出す。
分け、施設の南北に設けられた階段から地下2階の制圧を開始していた。
後方で指揮を執っているミライとその彼の護衛としてついて来ているエイリークとシーリンから直接確認することはできないが、伝令によって共有されている情報によれば既に地下2階の事務所の制圧も完了し、そこに捕まっていた職員たちの身柄も保護することができたらしい。
「思っていたよりも順調ですね。犯人たちが毒性の武器で武装している特性上時間はかかっていますが、それでもこちら側への被害はほぼ無いといってもいい状況です」
「それだけこっちの準備と作戦が型にハマったってことなのかもしれないですが、個人的にそれは希望的観測が過ぎると思いますね」
「そうですね…私も同じ意見です。少しでも長く逃げ延びたいのならもっと水際での抵抗が激しくなるはず。それをせずにこうして私たちの侵入を許しているというのは、恐らく何らかの意図があってのことだと思うんですが…」
順調な道行きに反して警戒の色を濃くするエイリークに、ミライも真剣が表情で頷き返す。
「念のため、先行している部隊に警戒するよう再度通達をーー」
そう言いながらミライたちが階段を下り始めた時だった。
「お前っ、何を!? ーーっ!?!?」
背後に残してきた部下の短い悲鳴と、それを遮って響き渡る甲高い破裂音。
直後、鼻を突く異臭と共に視界を覆うほどの紫色の煙がミライたちのいる方へ迫ってきていた。
「っ!! ーー『使徒たる我を護りたまえ!!』」
咄嗟に動いたエイリークがミライを庇って踏み出し、詠唱と共に片手盾を構える。
それに従って盾の前面に現れた誓聖術式による防護結界が付近の冒険者数人を包みこみ、フロア中に広がっていく毒ガスから守り切って見せた。
「ありがとうございます、助かりました」
「どういたしましてって言いたいとこですが…こいつはーー」
そう言って口を濁すエイリークだったが、ミライには彼が何を言いたいのかの予想はできていた。
「毒ガスは制圧したはずの地下1階から来た。こうれは少し、不味い状況かもしれませんね」
戦況の一変。
紫色の濃霧に覆われた視界の中でそんな最悪の事態が頭を過るミライの元に、伝令係の冒険者が慌てた様子で駆け付けた。
「ミライ副局長!」
「良かった、無事ですね。状況は分かりますか?」
「はい、なんとか…。地下2階に下りていた部隊のうち、フロア各所の制圧に当たっていた主力の2部隊は現在逃亡犯の一団と交戦中のようです。激しく混乱している様子ですが、辛うじて組織的な戦闘は行えている感じでした。続いてたった今我々が後にした事務所内で被害者の救護を行っていた部隊とは全く連絡がつきません。少なくとも伝令係は交信できる状況に無いのかと…」
「そう、ですか…」
厳しい顔でそう呟くミライの声は暗い。
その時、ミライのすぐそばで周囲の警戒をしていた冒険者の一人が驚いた声を上げた。
「み、ミライさん、向こうから人が…」
「…っ」
見ると、彼の視線の先、つい先ほど自分たちが来た、今は深い紫色の靄で満たされた通路の方向からこちらに向かって人らしき影がゆっくりと歩いてきているのだ。
「全員、念のため警戒を」
ミライは背後の冒険者たちに注意を促し、自身も向かってくる人物の方を窺う。
だがこちらの警戒に反し、その人物の足取りは重くどこかぎこちない。その様子を妙に思いながら皆が見つめる中、立ち込めた靄の中から出てきたその人物がはっきりとした輪郭を持つ。
次の瞬間、
「ーー『私を護れ』」
短い詠唱で自身の体に防護結界を施したミライはエイリークの結界から飛び出し、目の前で崩れ落ちたその人物、つい先ほど事務所に残してきた部隊の隊長の体を抱きかかえた。
「みら…さん…」
「っ………」
掠れた声で名前を呼ばれたミライは、ただ静かに腕の中の部下を見下ろしていた。
部隊の長を任せられるようになってまだ日の浅い好青年だった彼は、顔を含めた露出した部分全てが火傷を負ったように爛れ見る影もない。
口元や衣服は吐き出されたであろう大量の血液に濡れている。
それは、一目でそれが手遅れだと分かる容態だった。
「もう…わけ…ゴホッゴホッ…りません。…我が……隊は………」
それが彼の最期の言葉だった。
「………」
ミライはしばらくの間彼の手を握り締めながら瞑目していたが、やがて静かにその体を下ろして通路の脇へ寝かせると、エイリークたちの元へと戻った。
「…事務所に残してきた部隊は全滅したそうです。彼は、最期に…勤めを果たしてくれました」
一連の様子を間近で見ていた冒険者たちに返す言葉はなく、しばらくの間、重い沈黙が流れた。
しかし、死者を悼むことも今の状況がそう長く許すことはない。
「ミライさん、味方の部隊から救援要請が入りました! 地下2階に降りた先行部隊の一つがかなり切迫した状況だと…。ミライさんどうしますか!?」
「「…!」」
伝令係によって告げられた味方の危機にその場の全員が息を呑んだ。自分たちの進退すら定まらないこの状況でこの報せ。どうすべきかの判断がいよいよ困難になったと言っての過言ではなかった。
しかし同時に、報せは冒険者たちの間にこの状況を打開のために動こうという空気を取り戻させた。
「あの隊長さんの様子を見るに、やっぱりこの煙の正体は毒ガスだな。追手を建物の奥深くまで誘い込んでから一網打尽ってのが敵の思惑だったってことなんだろうが…どうするんです? ミライさん」
共闘した経験のあるクリスや直前に交戦したニーナの言を受けて、毒性のある攻撃に対して防護結界を張れる魔術師を各部隊に組み込んだり、迅速な治療が行えるよう解毒薬核種を多めに持たせたりもしていた。
しかし、まさか保護したはずの被害者たちが味方の懐深くで毒ガスを使用するなど誰にも予想できるはずもなく、だからこそ不意を打たれた各部隊には相応の被害が出ていることが想像に難くなかった。
「うん…取るべき方針は限られています。全員で一度施設の外まで脱出するか、あるいは分散している部隊を施設内で集結させるか。いずれにしても、安全を確保した上で体勢を立て直すことが必須になります。なるんですが…」
「どちらにしても情報が少なすぎますね」
口に出して考え整理していくミライの言葉をシーリンが引き取る。
しかし、ミライはそんな中でも明確に行くべき道を決めたらしく、真っ直ぐと顔を上げた。
「…その要請、受けましょう」
「副局長…」
ゆっくりと告げられたミライの言葉に部下たちの視線が集まる。
「この状況でそれが正しいかどうかはわかりませんが、今の報告で覚悟が決まりました。孤立した上撤退が難しい味方がいるのであれば、これを見捨てて退がるのは悪手です。厳しい道行きになるとは思いますが、どうかーー」
そう言って、その是非を問うように部下の顔を見回すミライ。
そんな彼に対し、冒険者たちは戦意に満ちた顔で答えた。
「らしくないですよミライさん。あんたが自分の判断に及び腰になるなんて」
「ええ、私たちは副局長の判断に全幅の信頼を置いています。副局長が行くと言うのであれば、私たちはそれに従いますから」
「…ありがとうございます。それでは、これより我々は地下 2階へ進み、先の救援要請を発した部隊の保護も含めた合流と立て直しを図ります。皆さん、ここから先はこれまで以上に過酷な作戦となります。各位、一層の警戒を」
「「「了解!!」」」
☆
「あはははは!! 死ね! 死ね! そうすればまた俺はぁ!!」
「ぐっ…なんなんだこいつらの力はーーーがぁっ…!?」
「ーーマイケル!!」
狭い通路の中、ここまでに出くわしてきた被害者たち同様に正気を失っているとしか言いようのない武装した大男の振るった斧を受け、前衛を務めていた冒険者が壁へと叩きつけられる。
「前衛、何としてもそこから進ませないで! これ以上押し込まれたら退路が無くなる!」
「「…お、おう!」」
矢を放って大男の関節を砕き、味方の動きを援護しながら、ステラは今も懸命に戦線を支えてくれている部下たちに精一杯の声をかける。
しかし、それに答える声に覇気は無く、ステラは状況が刻々と悪い方向へ傾いていっていることをひしひしと感じていた。
ステラが所属していた先行部隊第1・2合同班は、焼却施設の南側の解放を目標に順調に制圧を進めていた。
その状況が急変したのがつい先刻のこと。
保護していた被害者たちが突然暴れ出したかと思った次の瞬間、そのうちの誰かが隠し持っていた薬品が封切られ、その場にいた第2班の約半数を飲み込みながら強力な毒ガスをフロア中に広げたのだ。
この攻撃を境に爆心地である事務所に詰めていた第1班との連絡が途絶えた一方、この時、周辺の探索と制圧のためにガス発生の爆心地から離れた位置にいたステラの部隊は、毒ガスの直撃を免れていた。
それから、2班の隊長であるステラは生き残った部隊を最寄りの部屋へと退避させ、現在に至るまで繰り返される襲撃を凌ぎながらミライらの応援を待っている状況だった。
現在彼らは4つあった突入部隊を2つに応援の到着を待っていた。
「※バイハの壊滅した部隊の隊員名 〇〇! マイケルを部屋まで下がらせて!」
「っ…はい!」
戦闘が始まって既に半刻は過ぎただろうか。
十数人いた仲間たちは負傷などで少しずつ脱落していき、今は当初の半数にまで落ち込んだ人数でどうにか敵からの攻撃を防いでいた。
さらに悪いことに、フロア全体に充満している毒ガスから身を守るために必要な防護結界は、それを維持できる最後の魔術師が辛うじて支えている状態であり、その彼女の魔力もここまでの持久戦によって相当に削られていることから、あとどの程度も保たないことは明らかだった。
そんな突入部隊に対し、
「来るぞ、構えろ!」
「ああああああああ!?!」
「ぐっ…いったい何なんだ…どうなったらこんな怪力が出てくるっ!?」
紫色の濃霧を突き破って姿を現すもはや逃亡犯たち手先と化した被害者たちの攻撃は、ベテランの冒険者二人がかりでも押し返されるほどの圧倒的な暴力となって突入部隊に襲い掛かっていた。
おまけに、
「あははははははッ死ぬッ死んじゃうよおぉ!?!?」
「また来た! 総員備えて!」
常軌を逸した笑い声と共に霧の中から現れた人影に、ステラたちは身を固くする。
明確な戦闘態勢で迎えられているにも拘らず、一切速度を落とさず結界内に駆け込んできたのは、非戦闘員であるギルド職員の青年だった。だが、そんな彼らの攻撃によってもたらされる被害がここでの戦闘で最も大きなものだった。
「前衛は迎撃の後に即離脱、〇〇は結界の再構成の準備!」
「「了解!!」」
ステラの指示に部下の冒険者たちが応じ、攻撃に備えようと動こうとしたその直前ーー
「あはははっはっハッアっガッ…!!」
「っ…まずい、逃げてっ!」
ステラの必死の叫びも虚しく、前衛の目の前で青年はその場でたたらを踏み、喉を掻きむしるように悶えた直後に爆発的な勢いで全身から紫色のガスを放出した。
「た、隊長ぉ…!?」
「◯◯ッ!!」
部下の一人が断末魔を最後に噴出するガスの中に消え、瞬く間にステラも飲み込まんとその死の空間を広げる。
「ーー隊長!!」
が、間一髪生き残ったもう一人がステラを抱えて後方に飛び、同時に毒ガスに飲まれた区画を放棄した防護結界が再び生存者のいる空間まで範囲を狭めて張りなおされる。
しかし、
「はぁ…はぁ…あーー」
肩で息をしながら辛うじて結界を維持していた魔術師の少女の魔力が尽き、小さな呻き声と共に崩れ落ちてしまう。
「〇〇、〇…」
仲間に抱えられたままのステラの呼びかけに、既に意識を失ってしまった少女が答えることは無い。
そして当然、術者の意識が途切れたことで防護結界もその存在根拠を失い、静かに霧散した。
「た、隊長、敵が…」
「あぁ…アアぁ…」
「っ…! 」
怯えの混じった部下の声に振り返ると、間接を破壊してなお動き続ける男が得物である手斧を引きずりながら周囲のガスと共にゆっくりとこちらへ向かってきているのが見えた。
対するステラたちには、男を迎え撃つことができても迫る毒ガスを防ぐ手立てがない。
「…もう」
ーーここまでか、とステラの心に諦めと悔しさの入り混じった感情が首をもたげる。
眼前を覆う濃密な死の気配にステラが覚悟を決めた、その時、
「酷い有様ね。これで私たちの監視役って言うんだからお笑い草だわ」
ステラの背後に立った何者かの心底冷めきった声がしたかと思うと、直後に膨大な量の魔力が空間全体を伝わってその人物に収束する。
そして次の瞬間、濃縮された白銀色の魔力が通路を駆け抜けた。




