第3話「抗戦」①
低く重苦しい地響きが、暗く、高い焼却施設の天井を揺さぶる。
「…始まったね」
くぐもった揺れに、ユリウスは楽しえな笑みを浮かべながらちいさく呟いた。
「なに…?」
「………」
ユリウス率いる襲撃犯の一団に拉致され、さらに突然のレイの乱入も経、二人のやり取りから自身が捕まっているこの場所が冒険者ギルド地下に造られた焼却施設だと知ったメルの耳に、事態の急変を知らせる振動が届く。
耳慣れない施設の名前にメルが首を傾げ、それを見たユリウスがこの場の説明をしようとしたのだが、それを遮ったのが先の振動だった。
「どうやらボクらのことがギルドに察知されたようだね。いや、レイがここに辿り着いてる時点でそれは分かっていたことか」
明らかに追い詰められている状況にあるにもかかわらず、そう語るユリウスはどこか楽しげだった。
そんな彼の様子に微かに首を傾げながらも、レイは追い打ちをかけるつもりで口を開く。
「もう諦めたほうがいい。ギルドが鎮圧に乗り出したのなら、逃げ場のないこの場所に立て籠もっても逃げ切れる見込みは無い」
「そうかもしれないね。でもボクらだって、黙って捕まるつもりはないよ。そのための準備もしているしね。そもそもボクらがどうやって隔離区画から抜け出してきたと思ってたんだい?」
「ユリウス、君はーーー」
「現状を理解しているのか? って言いたげな顔だね。でも大丈夫、急拵えの中途半端な手勢程度で突破できるような柔な仕込みじゃないから、種明かしをする程度の時間は十分残ってるよ」
レイはこのまま説得を続けるのが正解だと理解しつつも、もたげた興味に口ごもってしまう。
それを肯定ととらえたユリウスはますます楽しげに二人の方へと顔を向けた。
「ま、明かしてしまえば大したことじゃないんだけど…。そうだ、メル」
「……私?」
「そ、君に質問。ボクが扱う武器が毒だっていうのは当然知っていると思うけど、その毒にもいくつかの種類がある。ボクが聞きたいのはその毒がもたらす効果の種類なんだけど、どんなものがあるか分かる?」
「毒の効果の種類…?」
「ユリウス、一体何の…」
「まあまあ、せっかくだからメルの勉強も兼ねてね。万が一生きてここを出れた時、それくらいの成果があった方がいいだろ?」
「っ………」
「毒が与える効果にはいくつかあるけど、特に大きく分けると3種類になる。1つ目は体調不良みたいな“苦痛”、もう一つがシンプルに“死”であるとするなら、最後の一つは何だと思う?」
質問の意図が分からず、メルは困惑しレイはユリウスに鋭い視線を送る。
しかし当のユリウスは、意に介した様子も無く肩を竦める。
「学べてる方がいいでしょ? ほら、思いつくだけでいいから」
「思いつくだけって言ったって…」
メルはどうすべきかの判断がつかず助けを求めてレイの方を見るが、不安な心情に満ちた視線を受けたレイにも明確な助け舟は浮かばず、ひとまずはユリウスの指示に従うようにと頷き返すことしかできなかった。
それを見たメルは困ったような心細いような表情をしながらも、とりあえず与えられた質問に答えようと考えを巡らし始めた。
「毒の効果…毒の効果…。えと、苦痛と死と、それ以外?」
メルがこれまで経験してきた毒に関する事象ではその二つが大半を占めていたと記憶している。それ以外となるとーーー
「…溶ける、みたいな怪我とか…?」
以前受けた魔物討伐任務の際、ユリウスが仕掛けた罠に嵌った魔物が、自身に降りかかった毒液によって脚部を溶解していた光景や、大型の毒蜘蛛が吐き出した毒糸によって地面が腐食し大きく陥没していった光景を思い浮かべる。
自信無さげにメル口から出された答えは、大方の予想通りユリウスがゆるゆると首を振ったことで否定されてしまった。
「悪くない答えだけど、それはさっき言った苦痛や死に該当する要素だね。まあ、あまり引き延ばすような話ではないから答えを言っちゃうと…、ちょうどいいところに回答の方からこっちに来てくれたらしい」
そう言いながらユリウスは視線をメルたちから外し、二人から見て左側、ちょうど部屋の出入り口がある方を見た。
それに釣られてメルたちがそちらへ視線を向けると、ちょうど数人の人間が入ってきたところだった。
彼らはいずれもメルが意識を取り戻したつい先ほどもいた札付き数人だった。
その先頭にいた男が進み出ると、ユリウスに向かって声をかけた。
「ユリウスさん、ギルドの連中に嗅ぎつけられました。現在5ヶ所ある出入り口全てで戦闘が始まってます」
「気づいてたよ。それで、その子たちを連れてきたんだろ?」
「はい。それで、念のため待機させてる駒を何人か上の階に動かしていいか聞きに来たんですが…」
そう言って一歩体を引き、背後に並んでいた部下たちの姿をあらわにする。
そこにいたのは3、4人いる札付きとーーー
「うう……うう~…!」
「ちょうだい…もっとちょうだい‥」
両腕を縛られた状態で彼らに強引に連れられたと思しき二人の冒険者だった。
「そうだね。あと二人くらいなら前に出しても問題ないだろう。ああ、でも少し待ってもらえるかな。説明するのにちょうどいいから少しだけ貸してほしくて」
「ーーーあ…?」
ユリウスはそう言いながら跪かされた二人のそばまで歩み寄ると、自身に近い方の冒険者の後頭部を掴み、メルたちに良く見せるように持ち上げた。
「ユリウス、何を…ーーっ!?」
強引な動作を咎めようとしたメルだったが、その言葉は飛び込んできた冒険者の様子を見るとすぐに引っ込んでしまった。
ワインレッドの髪を頭の後ろで結んだポニーテールに、人界大陸北方で見られる革と毛皮を用いた鎧姿。
剥き出しの左腕に巻かれた腕章に描かれた盾の紋は、彼女がギルド直属の冒険者であることを示していた。
そんな彼女なのだが、一目見ただけで明らかに様子がおかしいことが分かった。
跪いた体はゆらゆらと不安定に左右に揺れ、縛られた両手は小刻みに震えている。加えて、激しい動悸からくる荒い呼吸のために開きっぱなしの口からは唾液が垂れ流され、血走った瞳は傍目から見ても焦点があっていないことが一目瞭然だった。
ユリウスはそんな彼女の顔を覗き込みながら、懐に入れていたらしい小さな試験管のようなものを取り出した。
「それじゃ、さっきの質問への解答だけどーーー」
そのまま管の先端のカバーを外すと先に付いた針が露わになり、それが注射器であったことが明らかになる。
「ちょっと、何を…」
そんなメルの制止も虚しく、注射器を握りなおしたユリウスは躊躇なくその針先を女冒険者の首筋に突き刺した。
「あっ…!? あーーー…」
針が刺さった瞬間、女冒険者は鋭い声を上げて全身を跳ね上げさせる。
それに構わず薬を注入していくと、それまで苦しげだった彼女の様子が瞬く間に落ち着きを取り戻していった。
もはやそこに苦痛は見られず、むしろその表情には虚ろな笑みが浮かび、脇に控えた札付きが支えなければ自立できないほどに体は弛緩してしまっていた。
「そう、これが答え。毒がもたらす3つ目の効果は“快楽”だよ。人の脳に働きかける強烈な多幸感は、時に中毒性をともう厄介な毒になる」
「快楽と、中毒性…」
「ーーー魔薬か」
ユリウス言葉を飲み込もうと繰り返すメルの横で、レイは思い出したようにその単語を口にした。
「そう、その通り」
「まやく…?」
レイが引き出した答えにユリウスは満足げに頷いたものの、その存在自体が初耳らしいメルは話に付いて行けずに首を傾げている。
そんな彼女の姿を見かねたようにレイがメルに語りかける。
「魔薬っていうのは、ユリウスの説明した通り使用者に強いけど一時的な快楽をもたらす薬のことを言うんだけど…。その反面、薬の効能が切れると酷い不調に見舞われ、それを解消しようとしてまた薬が欲しくなるって言う厄介な依存性があるらしい。主に犯罪組織が裏社会で流通させていているって話だけど、一部の王侯貴族も秘密裏に愛用してる、なんて噂もある。そういうきな臭い代物のこと」
「そんな…。…そんな危ないものがどうして世の中に出回ってるの?」
「まあ、儲かるから、だとは思うけど。原材料が希少なのか、あるいは製法が特殊なのか…。加えて、公的に規制されてるものを売買するんだから、それ相応のリスクもある。結果的に魔薬一つ当たりの価格はかなり高額に設定されることになるんだと思う。だから、それを売る連中が得る利益も高いし、それで味を占めてる連中が後を絶たないんだろう。…でも、メルがそこに触れてくれたおかげでユリウスが何をしたのかが見えてきた」
レイはそこで一度言葉を切り、真正面に立つユリウスをひたと見据えた。
「普段の毒と同じ要領で魔薬を生成したお前は、それを隔離区画の警備を担当していた冒険者たちに使って懐柔したんだ」
そう断定するレイに対し、ユリウスは感動すらはらんだような様子で静かに頷いた。
「さすがレイだ。君なら理解してくれると思っていたよ。そう、そもそも彼女らはボクらが潜伏してた地域の巡回を担当してた冒険者たちでね。悪いとは思ったけど、隙を見て連れ込んで、この通り、少し薬になれてもらったんだ」
後頭部を掴んでいた手を離しつつそう語るユリウスには、言葉通り本当に申し訳なさそうな感情が宿って見えた。
「あまり無茶なことはしたくなかったんだけど、生憎とギルドの主力が帰還次第本格的な調査に乗り出すって聞いたから、ちょっと急いだんだ。薬無しでは平静を保っていられなくなった彼女らを誘導して、彼女らのパーティがちょうど今区画の中心地で行われていた死体整理の班に配置されるよう調整してもらったんだ。そして今日、死体とすり替わっていたボクらを彼女らに運び出してもらうことでこの場所まで辿り着いたってわけ」
ユリウスの口から語られた隔離区画からの逃亡の真相。それは薬物による内部の切り崩しという、恐らくギルドの長い歴史を紐解いても初めて取られた手法だった。
驚きですぐには声が出せない二人だったが、一つ、気になることがあったメルは、レイより早く立ち直り口を開いた。
「隔離区画から出るのに警備の人たちを巻き込んだって言うのは、分かった。…理解はできないけど。じゃあこの施設にいた人たちはどうしたの? 私を待ち構えてた時間を考えると、たぶんまだ働いてる人たちがいる時間だったよね?」
「っ……」
「ねえ、黙ってないでちゃんと答えてよ」
「…ああ、いや、別に誤魔化そうってつもりはないんだけど」
険のある声を重ねられたユリウスはなだめるように両手を上げて微笑む。
「ちょっと驚いたんだ。君、話に着いてこれてたんだね」
「っ…!」
「でもその結論に至れるならある程度予測はできているんじゃない? ここにいた彼らがどうなったのか。まあ安心してよ。少なくとも殺してはいないから」
残された結論の醜悪さに沈黙を深める二人に反して、ユリウスはあっけらかんとして笑った。
「ボクらには仲間が少ないっていう根本的な問題があったからね。今頃札付きたちと一緒にギルドの追手と戦ってくれてる頃だと思うよ」
☆
「おい聞いてないぞ! 毒性のトラップが仕掛けてあんのは理解できる…。けど毒の煙幕抱えてこっちに飛び込んでくる輩がいるのは一体どういうことだ!?」
数ブロック先の廊下で待機していたギルドの手勢がまとめて猛毒の煙の餌食になった姿をとらえながら、エイリークは仲間たちに叫ぶ。
「…分かりません。手勢の少ない彼らに特攻などという戦い方を選ぶ余地など無いはずだったんですが…!」
悲鳴にも似たエイリークの疑問にミライも焦りと困惑を浮かべながら答える。
討伐部隊を編成し、現場に急行したたギルドの面々を出迎えたのは、保護した被害者たちによる自爆という予想だにもしない攻撃だった。
「これは…予想よりも苦戦させられるかもしれません」
臨時編成の討伐隊とはいえギルドに属する一線級の冒険者たちが大混乱に陥る姿を見ながら、ミライは重苦しくそう口にした。




