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第2話「暗転」③


 ユリウスによって誘拐されたメルがレイと再会し、最悪の形で事の真相に迫っている現在から遡ること数刻。

 日も暮れて間もないセントラル・ギルドのエントランスホールに突然、全身の毛を逆立てた尋常ではない様子の二ーナで飛び込んできた。


「誰かーーゲホッゲホッ…!人を、ミライを呼んで…っ!!」


 紅色の絨毯が敷かれたホールの床に手をつき、激しく咳き込みながら叫ぶ彼女の布面積の少ない衣服には鋭い刃物で着けられたような ※切れ目 がいくつも刻まれ、種族特有の褐色の肌には切り傷や爛れたような炎症がいくつも見られた。

 その尋常ではない姿に、ホール内にまだ多く残っていた冒険者やギルド職員たちはニーナを遠巻きにしながら驚きや困惑という反応をするばかりで咄嗟に行動できる者は少なかった。

 とは言え、ここは冒険者たちの総本山たるセントラル・ギルドである。


 只事ではないニーナの様子を見て数人の冒険者と職員らが駆け寄った。


「大丈夫ですか!? 傷だらけじゃないですか…一体何が?」「酷いな、切り傷に…これは火傷か? 街の近くで魔物にでも襲われたか?」「と、とにかく医務室に! この怪我は放っておけません!」


「ダメッ!! そんなことしてる暇っ…ない!お願いだから、ミライを!!」


 全身傷だらけでうずくまるニーナの姿に冒険者たちはとにかく手当をしようとその体に手を回すが、ニーナはそれに従わず、息を荒げながら強引に押し退ける。

 と、


「ニーナさん!?」


「っ…!!」


 聞き心地の良い男性の声がホールに響き、ニーナは弾かれたように顔を上げた。


「大丈夫ですかニーナさん…! 尋常ではない様子の貴女が私を呼んでいると聞いてきたんですが…」


 ニーナから距離を取るように円形に形成されていた人混みを掻き分けたミライが驚いた声を上げながら駆け寄ってきたのだ。

 どうやら緊急性があると判断した職員がニーナの言葉の中で唯一はっきりしていた情報であるミライを呼んできてくれたらしい。

 膝をついて心配そうにニーナの顔を覗き込んできたミライに、ニーナは半ば寄りかかるように彼の襟を掴みながら叫んだ。


「メルが…っゲホッゲホッ!?」


「メルさんに何かあったんですね!? 大丈夫、落ち着いて一度深呼吸をしてください。私たちはちゃんと待っていますから」


 ミライは苦しげに咳き込むニーナの背中に優しく手を添える。

 それで少し落ち着きを取り戻したのか、ニーナは一度大きく息を吸って呼吸を整えてから再びミライの目を真っ直ぐ見返した。

 

「…メルが、攫われたっ…! 犯人は多分…襲撃犯の連中だ!!」


「…!」


 想定した中でも最悪の解答に、ミライは口を固く引き結びながら静かに沈黙を深めた。



          ☆



「おい、メルが攫われたってのは本当か!?」


 クリーム色の漆喰が塗られた清潔感溢れる病院内に野太い男の声が響き渡る。

 乱暴に開けられた木製の古いドアが派手な音を立て、診療室の中へ鋼色の全身鎧を身につけたエイリークが束ねた黒髪を振り乱しながら飛び込んできた。


「ちょ、困りますっ! 他の患者さんもいるのであまり大きな声は…!」


「んな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ! ニーナはどこだ!?」


 半ば押し入ってきたようなエイリークを落ち着かせようと看護師の一人が近づくが、エイリークは苛立ったようにその看護師を押し退ける。さらにその背後からはお馴染みの東洋風の意匠が特徴的な給餌(メイド)服に身を包んだシーリンが音もなく続いていた。

 普段と比べはるかに緊張感の増している彼らだったが、そんな二人の空気を諌めるかのように、落ち着いた調子の声が掛かった。


「エイリークさん、シーリンさん。彼女の言う通りです。焦る気持ちは分かりますが、どうかここは抑えてください」


 殺気立つエイリークだったが、そんな彼らを諫める言葉にいつもとは異なる静かな迫力を感じて反射的に口をつぐむ。

 が、同時にお目当ての人物たちを見つけることができたらしいエイリークは今度はゆっくりと口を開いた。


「ああ、ミライさん、と…」


 そう広くはない治療室の奥に置かれた事務机に腰かけるミライの姿と、


「エイリーク…」


 負傷のためか、あるいはメルの誘拐を許した気まずさからか、ばつが悪そうに愛らしいネコ耳と尻尾を落としたまま白いシーツの敷かれた診療台(ベッド)に座るニーナの姿があった。


「ニーナ、お前…」


 ニーナらしくない気落ちした姿にエイリークは先ほどまでの焦燥感を忘れ、黙り込んでしまった。

 結果的にではあるが、エイリークらが静かになったことで室内の空気に一瞬の空白が生まれる。

 場の様子を窺っていたミライはこのタイミングを逃さず、落ち着いた口調で一同に語り掛けた。


「皆さんが少し冷静になれたところで、改めて情報の共有を始めましょう。エイリークさん、シーリンさん、こちらへ」


「あ、ああ…」「ーーはい」


 すっかり場の主導権はミライへと移り、エイリークとシーリンは大人しくミライとニーナのそばまで歩を進めた。

 二人が立ち止まり、話を聞く体勢が整ったと判断したミライはニーナの方に顔を向けると静かに口を開いた。


「それではニーナさん。話を聞かせてもらえますか?」


「うん」 



~「それではニーナさん、一体何が起こったのか教えてください」


「うん…」


 ミライのまっすぐな視線に低く頷くと、ニーナは一つ一つ起こった出来事を思い出すように話し始めた。


「そもそもの事の始まりは、あたしがメルを監視…護衛?してたところからなんだ」


「護衛、ですか…。ーー?」


 やや含みのある言い方にミライは視線だけでエイリークたちにその真偽を問うが、それを受けたエイリークは頬を掻きながら曖昧に口を開く。


「一応あんま一人にはならないよう心掛けてたって話だ。犯人捕まらないうちは何があるか分からなかったからな」


 実際にそういうやり取りもあったから嘘ではないのだが、ニーナの監視についてはそれとは別だろう。 以前シーリンから、隔離区画でメルを護衛(ストーキング)していた際に鉢合わせしたことがあると聞いていたから、恐らくはメルの身を案じたレイたちからの指示だったのだろうと考えつつ、エイリークは咄嗟に話のすり替えを行った。

 不意打ちを受けての誤魔化しだったためにミライはやや怪訝な表情をしたが、それ以上追求すrことなくニーナへと向き直った。

 それを合図と受け取ったのか、ニーナが再び話を始めた。


「今日、メルは同期の子たちと街の南西に広がる商店通りで買い物してたんだ。まあ邪魔するのも嫌だったからあたしは遠目から見守る感じだったんだけど。とにかく、事件が起こったのは夕方になってメルはその子たちと解散して、帰路に着いた時だったーーー」

 

 

          ☆

 

 

 太陽が、街を囲む城壁のさらに向こう、視界一杯に広がる地平線の端を紅く染めながら沈んでいくのが見える。

 都市南西部に位置する商店区画、そこに立ち並ぶ建物の一つである聖アウロラ教会の屋根の陰に、ニーナは独り佇んでいた。

 ここは周囲に比べて一回り背が高いため視界が効き、加えて教会という性質上複雑に造形された彫刻や彫像が多数飾り付けられていることもあって身を隠して監視するにはうってつけの場所だった。

 夕日に照らし出された眼下の景色を見るニーナの眼には、今まさにフォルテたちに手を振って別れを告げるメルの姿が映っていた。


「…さーてと、これで家に帰るのを見届けたら今日はお終いカナ?」


 ニーナは、夕暮れ時に差し掛かってそこそこ一通りのある表通りを駆けていくメルの背中を目だけで追いかけながら独り言ちた。

 ーーと、


「ん? ちょっとちょっと、その道はあんま良くないんじゃないか??」


 ニーナの見ている前で、メルは明らかにメインストリートとは異なるやたらと薄暗く人気のない、見るからに裏道だと分かる通りに入ったのだ。

 間の悪いことに、通りの両側に立つ建物同士の間隔がやたらと狭くニーナがいる場所からは死角になっている。


「しゃあないナ~もう~」


 ボヤキながら教会の屋根を後にし、見つからないよう気を付けながら建物の屋根を伝って件の裏通りが見える位置へと飛び移っていく。

 瞬く間に自分でも納得のいく集合住宅の屋上(監視場所)へと難なくたどり着いたニーナは、既に夜の闇に沈み始めている裏通りの方を見やった。

 通りには他よりも一足早く帳の下りていたが、幸いメルの身に着けた戦闘服のピンクブラウンは暗闇の中でもよく見えた。

 先程と変わらない様子で通りの中を駆けていく様子に僅かな安堵を覚えながら、何ともなしにメルが辿るだろう道の先へと視線を移した。が、


「な…っ!?」


 ニーナは視界に飛び込んできた人影を捉えて思わず身を乗り出しながら声を上げる。

 獣人の、その中でもネ族である彼女の“目“は、暗闇がわだかまる裏道の中央に本来ここにはいないはずの、いや、いてはいけないはずの男が立っていることを認めたのだ。


「なんであいつがっ…ユリウスがここにいるの!?」


 あの男とメルを会わせてはいけない。レイたちから頼まれたのもあるが、それは間違いなくここのところユリウスの動向を追っていたニーナ自身の直感だった。

 

「止めないと…!!」


 どうすれば良いのかなんてすぐには思いつかない。けれど、自身の衝動を信じて屋上から身を乗り出したニーナはーー


「ーーっ!?」


 寸前でニーナを狙った殺意を感じ取り、咄嗟に横に跳躍することで迫る死の気配を回避した。


「何っ!?」


 さっきまでニーナが立っていた足場が鈍い破裂音と共に砕け散るのを知覚するが、それよりも。


「…お前、いつの前にーー!!」


「仲間のおかげってやつさ」


 殺気に乗じて接近していたもう一人の脅威に、ニーナは気づくことが出来なかった。

 にんまりと嗤った男の口が男自身の手で塞がれ、もう一方の手に握られていた球形の何かが地面へと叩きつけられる。

 次の瞬間、視界が塞がるほどの紫色のガスがニーナの体を包み込んだ。




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