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第17話 冒険者襲撃事件 15


 通路が終わった先に広がっていた、やや開けた札付き専用のギルド受付(空間)

 分厚く塗られたニスの上品な光沢を宿すカウンターの脇を通り抜け、恐らく受付の正面と向き合うよう位置に設けられたのだろう地上へ伸びる階段を上っていった。

 武装した冒険者たちが3人も並べば塞がってしまいそうな狭い階段に、ぽつりぽつりと置かれた魔石灯の頼りない明かりをもういくつも通り過ぎただろうか。

 やや息も切れ始めてきた頃、ようやく鉄板と鋲で補強された両開きの扉に行き当たった。


「少し待っていてください」


 そう言うと、ミライはその扉の前に立ち塞がっている門番らしき冒険者二人に近づき、何事かを話しかける。

 するとそれを受けた冒険者たちは共に居住まいを正し、それからすぐに扉の取っ手へと手を掛ける。

 そして、一拍間を置いてから扉が一気に開かれた。


「っ…」


 開いた扉の外から差し込む強い日差しを受けて、ずっと薄暗い通路にいたメルはその光量に反射的に目を瞑る。

 やがて、徐々に戻ってきた視界に映ったのは、夕暮れに差し掛かった茜色の空だった。


「皆さん、こちらへ」


「あぁ、はい」


 すっかり時間の感覚を失っていたメルたちは、いつの間にかその日の終わりが迫ってきていたことを知って立ち止まっていたが、ミライに促されて門の外へと歩を進めた。


 メルたちを出迎えたのは、石畳みによって舗装されたやや狭く人通りのない通りと石造りの家々。さらに振り返ってみれば、覆い被さってくるような威容を誇るセントラル・ギルドの城壁が背後に迫っていた。

 驚くべきことに、隔離区間と街とを結ぶ札付き専用の出入り口はギルド中枢の壁内に設けられていたようだった。


 いつの間にか夕刻になっていたらしい、鮮やかな朱色に染まる夏空を見上げながら目をしばたかせるメルは、この前のヒアリングを終えた時も似たような空だったな、と既視感を抱く。

 

 そう、しばらくぶりの外の空気を味わっていたメルたちに、ミライからの声がかかった。


「それでは皆さん、ギルドの方で予定していた調査の方はこれで以上になります。本日はご協力いただき、ありがとうございました」


「こちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」


 改まった様子でミライが頭を下げ、それを受けたメルも同様にレイで答える。

 ミライは双方が頭を上げたのを見計らってから、さらに言葉を続けた。


「この後は解散するのみなので、そのまま帰っていただいて構いません。一応人通りのある場所に出るまではステラさんに送っていただきますが」


 そう言いながら視線を向けられたステラが無言で頷いている。


「そして、予定されていた事件の調査についても、今日の分で全て終了になります。ただ、調査の結果報告や補償…と、押し付ける形になってしまったワンちゃんの取り扱いなどで何度かお呼び出しすることはあるかもしれません。それについてはどうかご容赦ください」


 ミライがやや言い淀んだモップのくだりで周囲の視線が本人?に注がれ、当事者の小動物は落ち着かない様子で身じろぎしている。

 そんなモップにミライも目を細めていたが、すぐに我に返ったように視線をメルたちの方へと戻した。


「私の方はまだ少し仕事が残っているので、やや礼を欠いてはしまいますがここで失礼させていただきます。最後に、重ねてお礼申し上げさせてください。皆さん、計二日間に渡ってご協力いただき本当にありがとうございました」


 そう言って、先ほどのものよりもより一層深く、頭を下げた。

 それからミライはたっぷり間を開けてから頭を上げると、いつもの柔和な笑顔を浮かべて口を開いた。


「それでは、あまり長くメルさんたちを捕まえてしまうのもよくありませんので、これで解散にしましょうか。どうぞ皆さん、気を付けてお帰りください。ステラさん、最後までよろしくお願いします」


「ーーはっ」


 ミライの指示にステラは短く返事をして、すぐにメルたちの先導に移るべく動き始めた。

 さすがに疲れたらしい、どこか緩慢さを感じさせるメルたちをさりげなくエスコートしつつ、たくさんの人々が行き交う気配が漂ってくる街の中心に向けて歩き出した。

 

 

          ☆

 

  

「…メルさん」


 彼女の小柄な背中が見えなくなってからしばらくの間、ミライはその場から動かずにそちらの方を眺めていた。

 ミライの頭の多くを占めていたのは、地下通路の中において突然メルに抱き着いたモップのことだった。

 長く、量感のあるクリーム色の体毛に包まれたあの愛くるしいもののいまいち正体が判然としない小動物。

 ミライは、あれが札付きの、その中でも俗に“死に損ない”とまで言われる指折りの実力者が面倒を見ている動物だということを知っていた。

 そんなモップが何の躊躇いもなくメルに抱き着いたことが、どうにも小さなしこりとなってミライの中に引っ掛かっていたのだ。

 考えすぎ…であればいいのだが、今回の事件にしても、本当に彼女らは偶然隔離区画に迷い込んだのかという疑問が首をもたげていた。

 その根底には、ギルドの爵位(ランク)にこそ反映されていないものの、メルたちがここ数か月の間に実力をつけてきたのは彼女の担当指導員の目から見ても明らかだった。

 そして同時に、その変化がミライの指導によって起こったものでないことも。

 恐らく、ミライの預かり知らないところで彼女たちが成長する“何か“があったのだろう。


 彼女らの成長に自身が寄与できていない。そんなギルド職員、ミライとしての矜持に関わる部分での葛藤はもちろんある。

 しかしそれ以上に、これから先、まだまだ多くのことを成せるだろうメルたちに言い知れない暗雲が立ち込め始めていることにこそ、彼の危機感の根底を占めていた。


 可能性があるというだけの話であるものの、無視することは到底できない。事が手遅れにならないうちに、自分にやれることはやっておこうと密かに心に決める。

 拳を握りしめながら、まずは目の前に広がる仕事を片付けるべく、リズたちの待つ地下の受付カウンターに続く階段へと踵を返した。



          ☆ 



 ギルド職員らに連れられたメルたちが地下通路から姿を消すと、それまで多少なりとも秩序を保っていた通路内はにわかに騒がしく動き始めた。


「よし、日暮れまでにもう一仕事だぞお前ら! まだ気は抜くなよ!」


「あぁ? おいなんだよもう用は済んだんじゃないのか? いつまでこんなとこに押し込んどく気なんだよ!」


「黙れ黙れ。この機会に一帯の片付けをしろというのが上からのお達しだ。夜には戻れるから大人しくしていろ!」


 あちこちに指示を出しながら忙しなく動き回る冒険者と職員たちと、それに呼応して色めき立つ札付きたち。

 その様子をレイとクリスはどこか他人事のように眺めていた。


「なんだか、まだしばらくかかりそうね」


「ああ。一帯の片付けって言うのは多分中心街の方のことだな。大勢の札付きを移動させたこのタイミングで、あの吹き溜まりの無秩序な現状をどうにかしようってつもりか」


「気持ちは分かるけど、半日かそこらでどうにかなるもんでもないと思うけどねぇ」


 レイは相変わらずの平坦な視線、平坦な声で答え、クリスも呆れたように半笑いで冒険者や札付きの方を見ていた。

 ちなみに、彼女の手は今も巨漢から垂れ流される悪臭のために変わらずその形のいい鼻を摘んでいる。


「あ〜あ、もう。終わったらすぐに解放されると思ってたのに」


「仕方ない。どのみちそう時間はかからないだろ」


 そう取り留めもない話をしていたレイとクリスだったが、そんな彼らに近づく影があった。


「あの、レイさん」


「ーー? リズさん…」


 振り返ると、ついさっきナユタと共に受付の方へ行っていたはずのリズが立っていたのだ。

 体の前で拳を合わせ、レイたちの方を伺う彼女の表情は心なしどこか暗い。

 リズがそういう顔をする時は、決まって新しい仕事の命令が届く時だった。


「申し訳ありません。ギルドマスターがお二人をお呼びしろと言われまして。どうか着いて来ていただけますか?」


 その予感か的中したことへの感動は無く、レイはただ黙ってリズの言葉に頷いて答えた。



          ☆



 リズの案内で通されたのは、受付のある最も広い部屋の右手に隣接するギルドマスター専用の応接室だった。

 受付カウンター同様、そこを利用する者たちの立場を考えれば場違いに上等な漆喰の白い壁と色味の深い木材によって構成され、一目で高価な物と分かる調度が並べられた応接室。

 そんな場所に通されたレイとクリスを待ち受けていたのは、両脇を護衛に守らせながら部屋の奥の机に着いているギルドマスター、ベネディクト・グリフィンだった。


「遅い! 何をもたもたしていた!」


「申し訳ありません」「せ~ん」


 開口一番に理不尽な怒りをぶつけてくるベネディクトに、彼の横で直立の姿勢で控えていたリズが、一瞬何かに耐えるように瞑目する。

 一方、レイたちからすればいつものことでありいちいち反応するようなことではない。 だが、残念ながら虫の居所の悪いベネディクトの小言は止まるどころかむしろヒートアップする気配を見せていた。


「まったく、自覚の無い奴らだ。たかだか数年生き延びただけで厚かましくなりおって。だいたい貴様らは根本的な緊張感がいつも欠けていてーー」


「ーーギルドマスター。あまり余分なお話は」


「……ふん、まあいい。何を言おうと今更だろうからな」


 しかし、さらに言い募ろうとしたところでリズが静かに割って入り、ベネディクトはいかにも渋々ながら、出かかっていた矛を口の中に収める。

 そして代わりに、つい先ほどギルド上層部から届けられたばかりの命令書へと意識を移した。


「で、お前たちを呼んだ理由だが、ちょうど話題に上った汚れ仕事のお達しだ。大好物だろう?」


「仕事、ですか…」


 こんな時に?、というニュアンスの孕んだレイの言葉にベネディクトは答えず、億劫そうに持っていた書類をリズへと放った。


「お前も知っているだろう、ついこの前の冒険者襲撃事件。まあそれで今日大勢が集められたわけだが…。その犯人どもの討伐を上が決定したらしい。で、自分たちが起こした不始末は自分たちでつけろと、上はそう考えているわけだな、忌々しいことだが」


「犯人たちの居場所はもうつかめているんですか?」


「いや、どうやらまだらしい。と言うかそもそも、上層部は隔離区画内捜索での発見にあまり期待していなかったようだ。時間も金もかかるからな。だからある程度の範囲を探索したらすぐに切り上げて、別のアプローチから探るつもりだったらしい」


「別のアプローチ…」「そんなのある?」


 ベネディクトの言葉の真意がつかめず、レイは口の中で反芻し、クリスは首をかしげる。

 今、ギルドが犯人たちの行方を掴めずにいるのは、札付きが密集している隔離区画に潜伏されているためにその追跡信号を捉えられないからだ。

 もし仮に犯人たちが隔離区画から脱出していれば、許可なく外へ出た発信機の位置情報を追うだけで捕縛することができるため、大勢の人員を投入しての隔離区画調査など行う必要も無いのだ。

 つまり、そうなっていない以上、犯人たちがまだこの区画内に潜伏している可能性は高い。

 そんな定石を外してまで行う別のアプローチがあるとすればーーー、


「悠長に隠れていられないような状況を作る、か…?」


「っ…よく分かったな」


 小さく呟かれたその声色に疑念の感情は宿っているものの、概ね正解を言い当てたレイにベネディクトは素直な驚きを口にした。


「近日中にサン・スノーチェニスカに遠征していた高ランク冒険者たちが帰還する。それを待って、区画内の人口密集エリアの大規模な掃除を行うんだそうだ。ギルドの主力を担う冒険者どもを動員することで、潜伏している連中を一網打尽にするわけだ。ーーー建前上はな」


「建前?」


「ああ。実際はそういった噂を流すことで、潜伏している犯人どもを炙り出すのが真の目的のようだ。本当にに高ランク冒険者を投入するかまでは私も聞かされていない」


 そこまで聞いて、クリスも話の行く先を察したらしい。つまらなそうに目を細めながらベネディクトの言葉を引き取った。


「なるほどね? ようやく話が見えてきたわ。私たちの仕事は、その噂を聞いて潜伏場所から出てきた犯人たちをどうこうしろってことでしょ?」


「そういうことだ。お前たちはいつ連中が動いても対応できるようこちらの監視下で待機。事が起こったらただちに現場へ急行し、奴らの身柄を確保しろ」


 そこまで言って、ベネディクトは凄惨な笑みを浮かべた。


「ーーー奴らの生死は問わん」


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