第17話 冒険者襲撃事件 ⑭
おおむね着地はさせられたかな、と。
次回、次に進むかエピローグになるか、ご期待?ください。
「へっ!?」
「ムーーー!!」
驚きつつもとっさに受け止められたメルの腕の中で、どこかの掃除用具も似た、特徴的な厚ぼったい毛に包まれた小動物が嬉しそうな鳴き声を上げている。
その珍しい見た目と愛らしい鳴き声は、紛れもなくレイたちが面倒を見ていた小動物、“モップ”だった。
「悪い、びっくりしたよな。ちょっと知り合いから預かってたんだが、どうにも気まぐれな奴で。おいおい、何してんだお前…。これ以上立場が悪くなったら出入りできなくなっちまうよ」
「ほら、行くぞ!」と、ナユタはモップをメルから引きはがそうとするが、今度は低い唸り声を上げて頑としてそこから離れようとしない。
またも警護対象を巻き込んでの騒ぎに警備の冒険者たちが剣呑な空気を出し始める。
そんな気配を背中越しに感じ取ったナユタは微かな焦りを浮かべながらモップを引き剝がそうとするが、こちらはこちらでメルの服に爪まで立てて抵抗していて容易に連れ戻せそうにはなかった。
一方メルの方も、自分たちとレイたちとの関係を衆目の前で知られかねないこの状況とそれを引き起こした小動物を前に、ただあたふたと慌てることしかできない。
「ど、どうしましょう! この子全然離れてくれなさそうなんですけど…!!」
「落ち着けって。順繰りに爪を外していけばすぐに剥がせる」
動揺するメルだったが、その訳を知らないナユタにその焦りは伝わらない。むしろやや面倒臭そうな空気も漂わせて分厚い毛玉の中をまさぐりながら、首をかしげている。
「それにしても珍しいなぁ、ビビリのコイツが初めて見る奴にここまで懐くってのも」
そんな彼女たちの情けない姿を見ていられなくなったのか、そばに立っていたリズが歩み寄る。
「あの、この場でこれ以上揉めてしまうと少々問題が…。その子の面倒をナユタさんが見ているのは存じていますから拘束する必要もないと思いますし、警備の者に取り上げてもらった方がいいのではないですか…?」
そう言いながら横目で待機している冒険者たちを見る。
「いやいや大丈夫! すぐに引っ剥がすから! 」
緊張感の無いカラッとしたナユタの態度に反比例するように、メルの焦りはますます加速する。
その時、
「っ! …?」
何か小さな物体がメルの頬を掠めた気がして、反射的に後ろを振り返った。
けれど、視界に入るのはメルたちの周囲を固める冒険者たちのみ。
気のせいだったのかな?と、すぐに視線を戻したメルだったが、再び胸元のモップに目を移すとさっきとは異なる物があることに気がついた。
「え?」
「ムグッ!」
そして当のモップも、まるでメルの視線に気がついたように口に咥えた人差し指程度の大きさの何かを示していた。
暗がりの中で判然とはしないが、鈍い灰色の光沢から察するに小さな金属片のようだが、つい先ほどまでは間違いなく持っていなかったものだ。
「これって―――っ!」
何だろう、と訝し気に見ていると、金属片の表面が静かに揺れ出した。
驚いて息を呑んでいる間にも水面から顔を出すように次々と細かな点や線が現れる。やがてそれぞれが互いに結びつき合い始め、とうとう一つの文章として板の表面に浮かび上がった。
ーーー『モップはそのままメルへ』
「っ……」「なっ!?」
短く、しかし極めて明確な一文に、メルとナユタは揃って息を呑む。
それははっきりと覚えのある、しかしこれまでに見たことのあるものの中で最も小さく精密な金属操作だった。
それを書いた人物の人柄を表すような、印字された文字のように細く整った文字列は、それを見るメルと、恐らくすぐ目の前で向き合っているナユタに対して間違いなくそう伝えていた。
そうと理解できたはずなのに、突然の出来事でメルはすぐに動くことができない。
しかし、レイの言葉に対する最適な答えをメルがとっさに見つけられなかったのに対し、ナユタの決断は早かった。
「っ………こりゃ、簡単には剥がれそうにないな。つってもいつまでもここでモタモタしてるってわけにもいかないだろうし…。リズさん、悪いがひとまずこの子に預けといて構わないか?」
ナユタは赤いフェズ帽の乗ったボサボサの黒髪をガシガシと掻きつつ、すぐ隣に立っていたリズに振り返る。
ナユタの鮮やかかつ投げやりな提案にリズは気後れした風になりながらも口を開く。
「それは…しかし預けたとしてその後はどうするんですか? 立場上簡単に返しに行けるかも分かりませんし」
「それは…ほら、ますます手間かけちまうけど、ギルド経由で返してもらうとかな?」
「それは…まあ不可能ではありませんが。…どうしましょう?」
ナユタの適当に過ぎる言葉に若干戸惑いつつ、リズはミライの方を向いて判断を仰ぐ。
するとそれに気づいたミライは一度頷いてから口を開いた。
「本来であれば動物であっても一度検査したいところですが…、リズさん、この子の飼い主はナユタさんで間違いありませんか?」
「ええ、確認しかことはなかったんですが、昔からこちらに納品に来る際はたびたび連れ立っている姿を見ていたので。少なくともここに私が配属された頃には既に一緒だったのではないかと思います」
「そう。見たところ特に危険がある様子もないようだし、この場はメルさんたちを隔離区画から出すことを優先して、その子については飼い主のナユタさんの言う通りに一時的にメルさんたちの方で預かってもらいましょう。ーー構いませんか?」
「あ、はい。 大丈夫です」
そう窺ってくるミライにメルもできる限り明瞭な返事をする。
そんな彼女に対し、ナユタもまた申し訳なさそうな表情で声を掛けた。
「悪いな、初対面の人間に面倒押し付けるような形になって。事と次第によっちゃしばらく預かってもらうことになるかもしれないが、そこんとこ大丈夫か?」
「はい、大丈夫だと思います、見たことあるので。ね?」
そう言って振り返るメルにシーリンは黙って頭を下げる。
「そうか。確かにあんたなら任せても大丈夫そうだ」
隙なく給餌服を着こなしているシーリンを見て、ナユタは心強そうに息を吐く。
そして切り替えるように、腰に手を当てつつ気持ちのいい笑みをつくった。
「さて、事は片付いたんだ。いつまでもぼやぼやしてるのも良くないし、邪魔者はとっとと失せるに限るな」
「邪魔者なんてことはありませんが…そうですね。それではナユタさんはこちらへお願いします。先ほどお伝えした通り少々話を伺わなければなりませんし…、その後はせっかくですから、持ってきてくださった商品の納品も済ませてしまいましょう」
「あいよ。そりゃ確かに一石二鳥だ」
リズの言葉にナユタは片手を上げて答える。
そこへ、今度はことの成り行きを静かに見守っていたミライが口を挟んだ。
「そういうことであれば、我々とリズさんもこの辺りで解散にしましょう。幸い今日予定されていた調査は終わりましたし、ナユタさんの件についてはリズさんが直接対応した方が良いでしょう」
「お気遣いいただいてしまって申し訳ありません。正直、そうしていただくのが良いかと…。本来であれば隔離区画所属の私が途中で抜けるのは良くないんですけれど」
「大丈夫ですよ。ここから先はメルさんたちを連れて区画から出るだけですから。その程度であれば我々だけでも問題なくこなせると思います」
気遣いの見えるミライの言葉に深く頭を下げて答えたリズは、次いでナユタの向かいで様子を伺っていたメルたちへと向き直った。
「メルさん、エイリークさん、ニーナさん。途中になってしまいますが、私はここで失礼させていただいきます。最後までご一緒できなくて本当に申し訳ありません」
「いえ、そんなことないです。今日は本当にお世話になりました。むしろ、私の方が調査のために多くの時間と人手をかけなければいけない事態を招いてしまったことをお詫びしなきゃいけないくらいで…」
ミライに続いてメルまでリズに頭を下げられ、恐縮した様子で同じくお辞儀で応えてしまう。
そんな初々しさを感じさせるメルの反応に思わずといった風に微笑ってしまったリズだったが、最後に伝えるべきことがあったことを思い出して言葉を続けた。
「最後にモップちゃんのことについてですが、ミライさんと連携してできるだけ早くナユタさんにお返しできるよう手配しますので。それまではどうか、お世話の方をよろしくお願い致します」
「はい、頑張ります!」
「ムッ!!」
胸元に抱いたモップを抱える腕に力を込めて自身のやる気を示すメルと、それに鳴き声で応じるモップ。
早くも名コンビの空気を醸し出し始めている一人と一匹の姿に心の内で安堵を覚えたリズは、まっすぐ頷き返す。
そして、ナユタを促しながらギルドの事務所の方へと歩き出した。
「では、我々も動きましょうか」
「はい」
何人かの冒険者たちを連れて受付カウンターの方へと去っていったリズを見送っていたミライは、その背中が見えなくなるのを見計らってからメルへと呼び掛ける。
その声にはっきり応じたメルだったが、その内心にはレイたちに何も伝えられないままこの場を離れなければならないことへの未練が渦巻いていた。
レイたちの方を振り返りたい衝動を押し込めて、一度、自分の腕の中で大人しく抱きかかえられているモップに目を落とす。
「…よろしくね」
その声色に滲むメルの感情をモップが感じったのかどうかは分からない。
だが、
「ムッ! ム~ム、ム~」
メルの言葉に反応するように、何かをアピールするような調子の鳴き声を上げ始めた。
「ん? どうしたのってーーあ、これ…」
どうしたのかと首を傾げるメルだったが、長く量感のあるクリーム色の体毛の隙間から見え隠れした鋼色の鉄片に小さく声を上げる。
それは間違いなく、先ほどレイが投げて寄越した特殊金属だった。
モップの口に咥えられたそれを摘み上げると、元の無地の板に戻っていた鉄片の表面が再び波うち、文字を浮かび上がらせていく。
ーーー『次会う時まで、モップを頼む』
「っ……!!」
それはひどく端的な言葉だったけれど、だからこそ彼の本心だということが分かる。
レイは“次”を望んでくれている。
まだ私たちには“次”がある。
そう思えただけで、自分でも驚くほどあっさりと胸の内の未練を棚上げすることができた。
「それでは行きましょう」
再びメルが前を向くのを見計らったように、ミライの号令がかかる。
「はい!」
その声に元気よく応じ、メルは歩き出す。
その後ろからは、リーダーの縁起の良い声を聞いてどこか嬉しげに視線を交わし合う仲間たちが続いていく。
こうして、多くの人間を巻き込んだ札付きによる冒険者襲撃事件は一応の幕を閉じたのだった。




