第17話 冒険者襲撃事件 ⑨
「それでは、いよいよここからが隔離区画になります。準備はできていますか?」
「はい…!」
心配そうに念を押してくるミライにメルははっきりと返事をする。
ミライはそんな彼女を含め、やや緊張した面持ちで並ぶメルの仲間たち、エイリーク、シーリン、そしてニーナの四人を見回すと、一度頷いてから口を開いた。
「それでは行きましょう」
そう言って隔壁のそばに立つ門番に合図を送ると、それを受けた門番が城門ほどもある巨大な ※落とし戸の取っ手を押し下げた。
すると取っ手に繋がった歯車が勢いよく回り出し、それに繋がっていた鎖が巻き上げられるにしたがって鉄格子のような巨大な落とし戸が開き始めた。
☆
セントラル・ギルドのVIPルームで行われたヒアリングから約1週間が経過した今日。メルたち前回予告されていた現場検証に参加するべく、都市北東部を占める札付きたちの隔離区画、それを囲う隔壁の足元に立っていた。
※ギルドが集合場所として指定したのは隔壁に設けられた数少ない出入口の一つで、都市中央に建つセントラル・ギルドのすぐ裏手に存在する門の中でも、最も大きなものの前だった。
メルたちはちょっとした広場のような空間に30名ほどの完全武装の冒険者らが整然と並ぶ中、普段よりも緊張した様子のミライに出迎えられた。
「本日はわざわざご足労いただいて申し訳ありませんでした」
「いいえ、むしろ私なんかのためにこんなに大人数に手間を取らせてしまって申し訳ないです…。今日はよろしくお願いします」
挨拶と共に頭を下げるメルとそれに従うエイリークたちに、ミライもまた軽い会釈をする。そして、メルたちに紹介するように自身の横に控えていた冒険者の方を指し示した。
「こちら、本日メルさんたちの警護責任者を担当するギルド直属冒険者のステラさんです」
「ご無沙汰してます。皆さん、元気そうで何よりです」
「あ、あの時の…」
驚くメルたちに涼やかな笑みを向けるのは、まさに、先の事件の折にメルの危機に駆けつけてくれたあの冒険者の女性だったのだ。
ただし、事件当時にまとっていた急所のみを革鎧で覆う最低限の装備とは異なり、今日の彼女は細身のほぼ全身を射手向けの軽量な鉄鎧で包んでいる。そのため顔を伺うことができず、ミライに言われるまで気が付かなかったらしい。
「改めまして、紹介に預かりましたステラです。爵位は“黒のR”で、職業はご覧の通りの射手と、場合によっては部隊指揮などもしています。普段はギルド直属の冒険者として街の警備などが主な仕事としており、今回は隔離区画警備の経験と事件の当事者であったことを踏まえての抜擢となりました。現場検証の間、全霊をもって皆様の警護を努めますので、皆さんどうか安心してご自分の仕事に専念していただければ」
自身の胸に手を当てて簡単な自己紹介をするステラ。鎧のせいで初めの印象こそ物々しかったが、その 落ち着いた物腰は間違いなく以前会った彼女のものだった。
慣れない環境にやや気持ちが張り詰めていたメルだったが、警護に知り合いがいると分かったことで緊張がわずかに解けるの自覚し、小さく息を吐く。
「ーーありがとうございます、とっても心強いです。よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
改めて頭を下げるメルにステラも丁寧に応じる。それを見て頃合いと判断したのか、一歩後で彼女らの様子を見ていたミライが再びメルたちの前に立った。
「それでは双方の顔合わせも済んだところで、時間もないので本日の現場検証の説明に移ろうかと思うのですが?」
「は、はい、大丈夫です。大丈夫だよね?」
メルは我に返ったように返事をしてから、思い出したように仲間たちの方を見回して確認する。
「おう、俺はいいぞ」「アタシもー」「……」
実に各々な返事を聞き届けたミライがそれらの返答に対して一度頷くと、早速この日の段取りについて話し始めたのだ。
半刻ほどもかからずに説明が終わり、加えて一同の準備が整っていることを確認した後、冒頭の開門の号令へと繋がった。
☆
「うぉ、すごい音」「ずいぶんうるせぇな。手入れして無いんじゃないか?」
扉から鳴り響く地面を轟かすほどの耳障りな騒音にメルは耳を塞ぎ、エイリークは顔をしかめる。
そんな彼女たちの様子に気づいたミライは情けなさそうな顔をしながら音に負けじと声を張り上げる。
「いやお恥ずかしい限りです。何分開くこと自体数年ぶりという有様で」
「まあ仕方ないんじゃないかニャ。そもそも札付きを閉じ込めとくための檻なんだし、しょっちゅう開けてたらそれこそ意味ないデショ」
「恐れ入ります」
そんなやり取りをしているうちにとうとう門が開き切り、隔壁の向こう側の景色が露になる。
これを受け、直轄部隊うち門の出入口を固める部隊10数名が即座に動き、内外の警護に着いた。
半ば冒険者離れしたその統率された動きに驚いていたメルたちに、ミライの声が掛かる。
「それでは皆さん、これから隔壁内に入ります。先ほども確認しましたが、絶対に護衛の列から外には出ないようにしてください。あの中は何が起こってもおかしくない。そういう場所ですので」
案内役のミライを先頭にメルたちがそれ続き、その両側を重装備の護衛部隊が固めるという隊列でゆっくりと隔離区画の中を進んでいく。
門を抜けた先には隔壁沿いに広く整地された空間を挟んでいきなり廃村が広がっている。
これは恐らく、隔壁周辺の見通しを良くすることで脱走を企てた札付きが近づけないようにしているのだろう。
メルからすれば2週間ぶりに目にする廃墟然とした建物を左右に捉えつつ、門からまっすぐ村の中心部へと伸びる表通りをミライの先導で進んでいく。
街のあちこちに見張りらしき冒険者が立っている光景は、過去、隔離区画に忍び込む際に見つかることがないよう極力通ることを避けていたとはいえ、見知った景色からは大きくかけ離れた印象を受ける。
それだけであの事件の与えた影響を改めて思い知った
「よそ見をするな! とっとと進め!」
「ーーっ!?」
冒険者たちの鎧が擦れ、重々しく響く足音に紛れて飛び込んできた怒声に、めるは驚いて振り返る。
視線を向けた先では、薄汚れたボロをまとった痩せぎすの男が大柄な冒険者の男にどつかれていた。
「うっ…も、申し訳…」
「誰が口を利いていいと言いましたか? 黙って歩きなさい!」
「がァッ…!?」
怯えた様子で縮こまる男の横面を、先の大男の隣に立っていた女性冒険者が殴りつける。
札付きなのであろう瘦せぎすの男はもはや踏み止まる力すら残っていないのか、殴打されるままに吹き飛ばされ近くの瓦礫を派手に散らしながら倒れ込んだ。
「ちょっーー…っ!!」
目の前で起きたあんまりな出来事に反射的に駆け出しそうになるメル。
しかしその行く手を遮るようにミライの腕が差し込まれ、喉まで出かかっていた言葉と共に押し留められてしまった。
「いけませんメルさん。この隊列からは絶対に出てはいけないと事前に伝えていたはずです。また、不要に声を掛けるようなこともしないでください。この場所ではその程度のことでも命取りになります」
「でも…!」
納得いかなそうなメルを見て、ミライはやむを得ない…といった様子で周囲の冒険者に待機の合図を出す。
そして歩みを止めた護衛たちが周辺警戒の陣形へ隊列を組み直したのを見計らってからメルに向き直った。
「いいですか? メルさん。先程の光景がもしここ以外の場所で起こったのであれば、それを止めに入ることこそ人としてすべき行動です。しかし、ここは違う」
そう言い切るミライの表情は極めて真剣だった。
「あそこで倒れ込んでいるあの男性。メルさんには彼がどのような人物に映りましたか?」
「どうって…ーーー」
先の男の方を見るミライに釣られてメルもそちらに顔を向ける。
倒れた時に打ち所が悪かったのかその場でうずくまる男を、先の冒険者たちが強引に立ち上がらせようとしていた。
その光景に再び駆け出したくなる気持ちを抑えながら、メルはミライの言葉の答えを探す。
「えっと…殺人、とか?」
慎重に口にしたメルにミライは黙って首を振る。
「いい線はいっていますが、少し違います。あの男の罪状は連続殺人。大陸各地で上流階級の子女を攫い、過剰な虐待の末に殺害するという犯行を繰り返した極めて凶悪な人物です」
「そんな……!」
「にわかには信じられないメルさんの気持ちは私にも理解できます。あんなにも衰弱した、みすぼらしい男がそこまでの罪を犯していたなどとは。けれどそれが事実であり、何よりこの隔離区画の中での常識です。ここは、死ですら贖えない罪を犯した者たちが跋扈する世界で最も危険な場所であること、そしてそんな場所で一度ご自身の生命を脅かされたことを、メルさんはもっと認識してください」
「………はい」
ただただ真剣にメルの身の案じて訴えかけてくるミライに、メルは素直に頷くほか無かった。
そうしている間にも、札付きの男は乱暴に立ち上がらせられ、どこかへ連行されていく。
メルは形容し難い無力感を抱きつつもそれを具体的な言葉にすることはできないまま、黙って見送ることしかできなかった。
一方ミライはメルの声の中に混じる納得のいかない感情にはきっと気づいていつつも、あえてそこを追求することはせず話を切り上げるように再度メルに声を掛ける。
「一応納得は得られたと判断します。時間もありません、そろそろ移動を再開しようと思うのですが」
「あ、そうですよね。…大丈夫です、行きましょう」
それを聞いたミライは一つうなづいてから警戒態勢を敷いていた冒険者たちに合図を送る。
そして、それを受けとった冒険者たちはステラの指示に従って元の二列縦隊に戻っていく。完全に行進の態勢へと移行したのを見計らって、ミライたちは再び歩き出した。
☆
メルが前触れもなく目の当たりにすることとなった隔離区画の現実は、それまでどれほどこの場所に関する自身の認識が浅かったのかを自覚させた。
そんな彼女の心情など考慮するはずもなく、村の中心部近くにあたる地域に入ってくるにつれて周囲の雰囲気はより一層酷いものになってきていた。
徐々に増していく警備の冒険者たちの姿はまだ良い。
あちこちに見られる赤黒い跡や変色した体の一部とその周りを飛び交う無数のハエたち。
そして、辺り一帯に充満している臭いが濃密な死臭であることを、サン・スノーチェニスカの戦場を経験したメルに無意識のうちに理解させた。
そんな凄惨な光景の中に佇む、もはや理解も及ばない人々の姿ーーー。
ーーー赤ん坊を模したような木組みの人形をいくつも抱えている痩せた女。
ーーー自身の身の丈ほどもある刃物、恐らくは断頭用のギロチンそのものを引きずりながら歩く巨漢。
ーーー誰もいない寝台に独り語り掛けながら、その寝台に向かって何度も何度も手にしたナイフを振り下ろしている老人。
警備の冒険者たちが目を光らせている中でも明らかに正気を逸している者が何人も見える。
それまで見張りに見つからずに忍び込むことばかりに気を取られていたからこそ目に入らなかった地獄が、今更になってメルに迫ってきているようだった。
「ーーー止まってください」
一体どれくらい歩いたのか。
張り詰めた緊張の中、まともに前も向けなくなっていたメルの耳にミライの声が届く。
「ここは…?」
恐る恐る顔を上げたメルの目に映ったのは、どこかで見た覚えのある廃村の街角だった。見える範囲に先ほどのような人々の影はおらず意識するよりも先に大きな安堵がメルの中で膨らんだことを自覚する。
が、それと同時にこの場所で暮らしているレイたちに対して酷く後めたい感情を抱いたような気がして、喉まで出かかっていた溜息を無理やり押し込めた。
そんなメルの様子を黙って見ていたミライだったが、彼女がどうにか落ち着いたのを認めると、ゆっくりと口を開いた。
「ここまでの行程ご苦労様でした。各々考えていることがあるとは思いますが、今はどうか一度脇に置いて目の前のことに意識を向けてください」
そう言われ、ようやくメルは自分が今どこにいるのかを理解した。それを裏付けるようにミライも言葉を重ねる。
「ここが、メルさんが札付きに襲われた事件現場になります。さあ、それでは早速検証を始めましょう」