第17話 冒険者襲撃事件 ⑤
「ただいま戻りました」
「ああ、ご苦労だったな」
メルたちの見送りを済ませたミライがギルドマスターの執務室に戻ると、窓辺に立って眼下の様子を眺めていたアナベルがその後ろ姿のまま顔だけ回してミライの入室に答えた。
茜色の日差しに照らし出されたアナベルの表情は、静かな思慮に彩られていた。
「メル様たちは先ほどお帰りになりました」
「ここから見えていた。聞いていた事件の内容の割には存外元気そうで安心したよ」
窓際に置かれた執務机の前まで進み出てきたミライにアナベルは視線で窓の外を示してみせる。
「それについては私も同感です。アドルスタス大要塞攻略戦に参加したとはいえ、メルさんたちの経験値は未だ十分とは言えませんでしたから。彼女自身の強さに救われた事件でした…」
深刻な面持ちで答えるミライの言葉に、アナベルは呆れた様子で鼻を鳴らした。
「また、随分と入れ込んでいるようだな。相変わらず新人にはとことん甘い奴だ」
「いえ、そんなつもりでは…っ」
自覚のないままに図星を突かれたのか、言いかけた反論が最後まで述べられることは無かった。
そんなミライの姿にも慣れているらしいアナベルがそれ以上追及することはない。代わりに窓辺から離れると、ミライに対するように自身の執務机の椅子へと腰を下ろした。
「ま、お前の話はひとまず置いておく。それよりもいくつか確認しておきたいことがあったのでここへ呼んだんだ」
その言葉を聞いたミライはすぐに動揺を消し、アナベルの鋭い眼光に背筋を正して答える。
そんなミライの態度を認めたアナベルは小さく息を吐いてから口を開いた。
「まずは犯人たちの動向だ。メルたちには個人の位置情報を示す認識番号が届いていないと形で答えたが、あれは昨日の内に届いていたはずだな?」
「はい。既に入力も完了し、監視装置による追跡も開始しています。…しかし、その足取りは未だ掴めていません。恐らくは信号の集中している人口密集エリアに潜伏しているのだと思われるのですが…」
「あのゴミ溜めか。ッチ…任務にろくに参加できない不良債権どもが、ここに来ても足を引っ張るか。この際、大規模な駆除を行ういい機会なのかもしれんな…」
「……」
忌々し気に呟かれた苛烈な言葉に、ミライはあくまで無言で応じる。
隔離区画の中心に位置する廃村の中央通りには辛うじて形を保っている建物がまだ多少残っており、もともと行き場のない札付きたちが集まりやすい地域になっていた。
本来、ただの札付きであれば都度都度招集される特別任務でほとんどの者が命を落とすため、位置情報が一カ所に集中してしまうのも一時的な状態に過ぎない。
しかし厄介なことに、時を経るごとに任務で負傷し動けなくなった者やそもそも従軍する意志のない老齢の札付きたちが少しずつこの地域に住み憑きはじめ、最近ではすっかり寄り合い所帯になってしまっている。
それだけでも始末が悪いのにその札付きたちから負傷や飢餓が原因で衰弱し、死亡する者が後を絶たなかった。
ギルドとしては、住み憑いた札付きを追い出しや死体の処分なども行っていきたいのだが、通常の冒険者たちに必要以上の札付きとの接触を禁じていることと、ここ数十年放置し続けてきたことで数自体も膨大なものになってしまい、遅々として進んでいなかった。
「次回の現地調査では、区画内にいる全ての札付きを招集して、襲撃犯が紛れていないかをメルさんたちに確認してもらう手筈になっています。その折に、可能な範囲であの地域から動かす必要がありますね」
「ああ、だが死体に残っている位置端末の近くに潜伏されていたら、生きている札付きを移したとしても効果は薄い。本来ならこのタイミングで一掃するのが良いんだろうが…」
「…次回の調査までの時間を考えると難しいですね」
アナベルは口に手を当てながらも黙り込んでしまったが、ミライも彼女の言わんとするとことは分かる。
それほどの作戦となれば、当然ここセントラル・ギルド直属の冒険者の大規模な動員が必要になる。単純に、それを計画、実行するだけの人手と時間が足りないのだ。
「…ま、とりあえずは今の予定通りに事を進めるのが最良だろう。せいぜい札付き共の召集に念を入れるしかあるまい」
「承知しました。担当者にはそのように通達しておきます」
落ち着いた声色には不満が見え隠れしていたが、ミライはその指示を尊重するように頷いた。
「ではこの件についてはひとまず決着としておこう。それで二つ目の話だが、こちらは先の件に比べれば大した話じゃあない。今日行ったヒアリングの所感をお前に聞きたかったんだ。ミス・メルの指導員であるミライ、お前にな」
「所感、ですか…」
真っ直ぐと自身の心の内を見通すようなアナベルの視線に、ミライは考え込むように少し目を伏せる。
『大した話ではない』などと言っているが、そんなことはない。彼女は暗に、あのヒアリングにおけるメルたちの発言がどの程度信用できるものだったか、と尋ねてきているのだ。
どう答えるべきか。
見たままの印象を語るべきなのか、あるいはメルたちに依った内容にすべきか。そんな迷いが過ったミライだったが、結局ありのままの感想を述べること選択した。
「メルさんらしい、素直な印象を受ける内容だったと思います。多少、予習を感じさせる受け答えも散見されましたが、積極的に真偽を問うほどのものでもないかと」
「ふむ…。お前の言う“予習”と言うのは、あの緊張の中でも怖気づかなかった彼女の態度のことだろう。お前はあれを予習と見たか」
「はい。過去に何度か駆け出し冒険者のヒアリングに立ち会いましたが、彼女ほど平時の調子を保って受け答えができる人はいませんでした。発言内容にしても、それを臆さず伝え切るメンタルにしても、ある程度事前準備がなければ難しいだろうと考えました」
ミライが根拠として並べた彼自身の考えをアナベルは卓上で手を組みながら聞いていたが、やがて厳かに口を開いた。
「つまり、鉄火場でのクソ度胸がある、ということか」
「クソ…っギルドマスター…」
「おっと口が滑ったな。まあそんなに目鯨を立てるな、つい地が出ただけだ」
地位ある人物らしからぬ乱暴な口調をミライが咎めるが、当のアナベルは気にした様子は無い。
「まあ冗談はともかく、私が感じた感想もお前のものと概ね同じだ。根拠もまた同様に、かな。私とお前の間で認識が一致しているようだし、調書の方もその線で進めて構わないだろう」
「ーーそれは……わかりました」
アナベルの言葉にミライはどこか安堵した様子で頭を下げた。
それに視線だけで答えたアナベルは、緊張を解くように表情を緩め椅子の背もたれへと深く体を預けた。
「さて、私の話はこれで終わりだが、ミライ、お前からはほかにあるか?」
「いえ、私からは何も」
「分かった。ではご苦労だった。速やかに仕事に戻ってくれ。ああ、今さっき確認した件についても確実にな」
「承知いたしました。それでは、失礼いたします」
もう一度深く頭を下げたミライは、アナベルがそれを受けたことを確認すると体を翻して部屋の出口へと歩き出した。
☆
「やれやれ、奴も大概分かりやすいな。無能力者にすぐ入れ込む癖は相変わらずか」
扉が静かに閉められ、ミライが退室したことを認めたアナベルは、ちらりとつい先ほどまで彼が立っていた辺りに目をやりながら独り言ちる。
そして、机の上に無造作に置かれた書類の束を手に取った。そこには、ミライがヒアリングの参考にと事前に渡してきたメルたちの詳細な個人情報が書かれていた。
「ーーメル…。メル・バイエルン」
それが、今しがた顔を合わせた駆け出し冒険者の少女のフルネームらしい。
だが、ギルドマスターであるアナベルの元には、担当指導員のミライにすら知らされていない少し異なる情報が届いていた。
「メル・バイエルン・ニーヘンベルグ」
アナベルはごく自然に、その紙の束には記されていない“名前”を口にする。
この世界に住む者であれば大なり小なり知っているその“名前”に、しかしアナベルのみしか知らないであろう因縁から微かに口の端を歪ませながら。
「まあ、使い道があると断じれるうちは、それなりに支援するのもやぶさかじゃないさ。…今後の活躍には期待させてもらうがな」
手元の紙の束を再び机上に投げ出し、椅子を回して再び窓の外の方を向く。
朱に染まるアナベルの表情は忌々しげではあったが、それでいてこの先の展開を期待するような愉しさもたたえていた。




