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第16話 齟齬 ①


「ってぇわけで、ご要望通りの食料と医療品だ」


「すごいじゃない!」「これは驚いたな」


 簡素なテーブルの上を大きく鳴らして乗せられた、ぱんぱんに膨れた革袋を見てクリスら札付きから歓声が上がる。

 

「言っても誰でも買えるような初級冒険者向けのやつばっかりだけどな」


 思っていた以上に好評だったのが嬉しかったのか、腕を組みながら謙遜するエイリークの表情はどこか得意げだった。


「十分過ぎるよ。ちょっとした傷薬なんかでもボクらはなかなか手に入らないからね。少ない任務報酬の中からやりくりしたり、最悪死んだ札付きの持ち物から頂戴しなきゃならないくらい貴重なんだ」


「ま、ここのところは簡単なものはユリウスが調合してくれたりしてたから大分楽になってたんだけどね…と、すごいじゃない! これ今街で流行ってるお菓子でしょ!?」


「あ、待てもう開けるのか? お前ら生活苦しいんだからもっと慎重に…」


 目を輝かせながらクリスがさっそく手に取ったのは、一昔前に流行ったアウロラ発祥の焼き菓子、チャットだった。


「言うだけ無駄だよ。彼女の食い意地に関してはね」


「ほぅいうこと~」


 せっかくの貴重な差し入れを躊躇なく口に放り込み始めるクリスにエイリークは頭痛を堪えるように指で額を押さえる。


「はぁ、お前らこれまでほんとよく生き延びてきたな」


「そればかりはボクもちょっと不思議かも」


「まあいいか。手をつけられてた方が都合はいいしな」


「これほんと美味しいわね…。…ん? 都合がいい?」


 しみじみとした雰囲気に不釣り合いな言葉にクリスの手が止まる。 

 それを見たエイリークは片目だけを開いて口の端をつりあげた。


「どういうこと?」


「どうってそりゃ、代金分は働いてもら罠喜納なって話だよ」


「「――は?」」


 その言葉で、喜びにほころんでいたクリスとユリウスの顔が凍り付いた。

  


          ☆ 

 


 メルとレイの混合パーティに何故かついて来たニーナを加えた一行はレイたちの家から場所を移し、隔離区画の背後に広がる山林の中に分け入っていた。


 メルたちが受注したのは郵便配達に並んで駆け出し冒険者たちに人気のある薬草採集の任務(クエスト)だった。

 実は比較的需要の高い薬草がレイたちの拠点の近くに自生しており、メルたちも既に何度か受けたことのある任務だったりする。


 今回は珍しく札付きの面々も参加している訳なのだが…。


「納得いかないわ。どうして私たちまで働かなくちゃいけないのよ」


 その言質を取られる要因となったクリス(本人)が往生際悪く文句を垂れ続けていることもあり、人気のない山の中を行く一行の道程はずいぶんと賑やかだった。


「まあまあ。良いものを届けてもらったんだから、そのお礼と思えばいいじゃないか。あとクリス、あまり大きな声は出さないようにね。どうもまた新しい札付きが補充されたみたいだから」


「嘘、もう来たの? しばらくは静かに過ごせると思ってたのに…」


 ギルド・シティの隔離区画にいた札付きは、レイたちを除いたその全てが先の要塞で命を落としていた。

 それはつまり、極めて治安の悪いこの区角において、その要因が丸ごと消えたということを示している。それ故にクリスはしばらくの間は気を抜いていられると踏んでいたようだが、どうやらその当ては外れてしまったらしかった。


「エイリークも、帰るときは本当に気をつけて。招集されたばかりの札付きはまだ生きの良い連中ばかりだから」


「だネ。下手に見つかったら冗談抜きでタダじゃ返してもらえないだろうし」


「オーライだ。ったく、身内に会いに来るのも命懸けだなぁ、ほんと…」


 めんどくさそうにぼやくエイリーク。

 そんな彼にすり寄る影があった。


「ね、私たちがすごく危ない環境で生活してるって分かるわよね? だから今回の代金は負けてくれてもいいんじゃない?」


 普段は絶対に出さないような猫撫で声でうるうると見上げてくるクリスにエイリークは全力で顔をしかめる。

 

「ここぞとばかりにぶっ込んできたな。しゃーねぇだろ、俺らだってそんな生活に余裕あるわけじゃねぇんだから。あと、いい機会だから任務の撤回は無いからな」


「いい機会って……ああ」


 何の話だろう、と遠くを眺めるエイリークの視線を追ったクリスは、その先にあった二つの人影を見て合点がいったような声を出した。


「そういえば、サウレのことを聞いて飛び出していったきりだったものね」


 夏の日差しを受けて生き生きと枝葉を広げる木々の向こうには、絶妙な距離感を保ちながら黙々と薬草を摘むメルとレイの姿があった。


「飛び出して行ったあとユリウスのとこでなぐさめてもらったんだってな? 悪かったな、面倒掛けて」


「いや、大したことじゃないよ。…たぶん一人では受け入れきれないことだったろうから。彼女も、ボクもね」


「…そうか。ともあれ、お前んとこから帰って俺たちと合流する頃にはだいぶ冷静になったみたいでな。レイの奴もずいぶん大怪我してたってのに、自分のことばかりで悪いことをしたってずいぶん反省してたんだ」


「それこそメルが気にするようなことじゃないだけど、そうもいかないわよね。メルはまだ、生き死にとは遠いとこに生きてたんでしょうから」


「…そうだな。そりゃそうだ」


 気遣う調子のクリスの言葉にエイリークも同意を示す。

 常に死と隣り合わせの札付きたちほどでは無いにしても、エイリークが生きてきた20数年間もまた死は身近なものだった。元々粗野な(たち)だったために酷く動揺することこそ少なかったものの、自分なりの距離感で向き合えるようになるまでには随分かかったと思う。

 メル自身の境遇も恐らく普通とは異なる環境にあったが、あれはむしろメルを傷つけまいとする結界のようなものだった。

 それがなくなった今、当事者として受け止めなければならない彼女の心の揺れは如何ばかりか。


「ま、こういうのは最後は本人の問題だからネ。あたしたちは精々不味い方に転がってかないよう程々に手助けするくらいしかできないし、しない方がいいよ」


「それは分かってるんだが、これが意外と塩梅が難しくてなぁ」


 口調の割にシビアなニーナの言葉にエイリークは困ったように頭をかく。


 そうやって年長者たちが頭を悩ませていることなどつゆ知らず、メルとレイの二人は黙々と目の前の薬草を刈り取り続けていた。



          ☆



「よいしょっと」


 足元に生い茂る葉をかき分け見えてきた茎をまとめてつかんだメルは、一息で丁寧にそれらを引き抜いた。


「ふう」


 手にした植物を持ち上げて採集の対象になる根茎がきちんと育っていることを確認すると、腕を下ろしながら一息ついた。

 収穫の時期を迎えているとはいえ、採集に適した大きさにまで成長している物を見つけるのだけでもけっこうな神経を使う作業なのだ。

 無節操に片っ端から収穫していった方が楽なのは確かだが、それでこの安定した生育環境を破壊してしまってはこれから先、同様の任務を受けるたびにまた別の場所を探さなくてはならなくなる。


 左脚に装着した鉈を鞘から抜くと、目当ての部分以外である葉や花を手早く切り落としていく。

 採集したこれらをひとまとめにしてギルドの受付に持ち込めば、任務はそれで達成となる。

 余裕があるなら採集後に日当たりの良いところで干し、水分をしっかりとった状態で持ち込む方が報酬への上乗せが期待できるのだが、仮宿住まいのメルたちにはスペース的にも防犯的にも少々無理がある。

 こういう時、自分たちのギルドホームがあれば色々と融通が利くのに…とメルの脳裏にとりとめのない考えが浮かんでは消えていった。

 半ば上の空で作業を続けていたメルだったが、


「ーーメル!」


「わっ!? …あ、レイ」


 間近で呼ばれた声に飛び上がりながら振り返ると、いつも間にかすぐ近くまで近づいてきていたらしいレイが立っていた。その手には剪定された薬草が握られており、どうやらある程度の数が集まったのでメルに渡しに来たようだった。


「大丈夫?」


「あ、うん。ちょっと考え事してて…」


 差し出された薬草を受け取りながら答えるメルだったが、とっさのことで隠しきれなかった動揺が声色に混じってしまう。

 その中身としては単に不意を突かれたことへの驚きだったのだが、レイには別の物事を連想させてしまったらしい。


「そう…」


 わずかに口を動かすと、そのままやや深刻そうな調子で黙り込んでしまった。

 その様子にメルもまたとっさの言葉が出て来ず、二人の間を気まずい空気が流れる。その重さに耐え切れなかったメルは、どうにか笑顔を作りながら口を開く。


「そ、そういえば! 体はもうだいぶ良くなったみたいだね?」


「ああ、クリスがずい分治癒魔術をかけてくれたから」


 答えながらレイは少し離れた場所でエイリークらと薬草探しに精を出しているクリスの方を見る。

 確かに、ベッドから起き上がることすらできなかったレイがわずか数日で出歩けるまでに回復できたのは、彼女の献身があってこそのことだろう。


「…あんなレイ見たことなかったら、心配したんだよ」


「確かに寝込むほどの怪我はここしばらく無かったかもしれないな」


 レイたちと知り合って4ヶ月ほど。これまでも少なくない任務を共にしてきたが、数日に渡って怪我を引きずるようなことはこれまでに一度も無かった。

 やはり、あの要塞での戦いが特別苛烈なものだったということなのだろうが、それだけにレイたちの酷く弱った姿はメルに衝撃をもたらしたのだろう。


 そんな、考え込む風のレイの横顔を眺めながらメルは密かに葛藤していた。

 苦し紛れの心配ではなく、もっとちゃんと伝えたいことがあって今日ここに来たのだ。

 もう一度自身の気持ちが変わっていないことを確かめたメルは、意を決して声を掛けた。


「ねえ…、レイ」


「? どうしたの?」


 呼び掛けられたレイはいつも通りの静けさをまといながらメルの方を向く。

 そんな彼の顔を真正面にとらえ、メルは言葉を続ける。


「ごめん。私、サウレ君のことを聞いて頭が真っ白になっちゃって。レイたちだって大変だったはずなのに、ちゃんと話も聞かないまま飛び出しちゃったこと、謝りたくて…」


 メルの告白にレイははじめ少し驚いたような顔をした。しかしそれをすぐに仕舞うと、ゆっくりと、しかし微かに慮るような気配を伴いながら口を開いた。


「気にしなくていいよ。身近な人の死自体、メルにはあまり経験のないことだったんだろうから」


「それは…、うん、そうかもしれないけど。でも…」


 あまり気にした様子のないレイに安堵を覚えたメルだったが、同時に彼の感情の起伏がいつもと変わらないことに違和感を覚えた。


「俺たちは大丈夫。ちゃんと自分の中でサウレのことは受け止めることができてるから」


「そう、なんだ」


「ああ。俺たちにとっては、一緒に戦ってる人が死ぬことなんて当たり前のことだから。それが初めて顔を合わせた奴でも、多少一緒に過ごしたことのある仲間でも変わらない。たぶんもう、慣れてしまった…いや、慣れるしかなかったんだと思う」


「…そんな」


 表情を変えずに放たれた言葉は、レイにとっては既に受け入れた現状でしかないのだろう。

 しかしメルにとっては、心を大きく抉られる一言だった。



          ☆


  

 「ちょ、不味いかも」


 薬草集めをサボって周囲をぶらついていたニーナは、獣人特有の聴覚で捉えていたメルとレイの会話の雲行きの怪しくなってきたことでレイたちの方へと視線を向ける。


「――サウレの死も悲しくはあったけど、それが起こりうることだっていう思いはいつもどこかに持っていたから」


 レイの言葉に、俯きながら話を聞いていたメルが弾かれたように顔を上げるがレイはそれに気づかず言葉を続けようとする。


「レイ、それ以上は――」  


 その先を言わせてしまうと取り返しのつかない事態に発展してしまう。そう直感したニーナが慌てて駆け寄ろうと地面を蹴るが――



          ☆


 

「――メルも、俺たちと関わっていくのなら、そういう覚悟はいつでも持っておいた方が良い。俺やクリスだっていつ死んでもおかしくはないんだから」


 それはレイなりの慰めの言葉だった。仲の良かった仲間の死をどう受け入れていくべきなのか、きっとまだ駆け出しのメルには分からないだろうから、と。

 けれど――


「…なんで、そんなこと言うの?」


「…メル?」


 聞いたことがないほど低いメルの声に、レイもようやく彼女の様子が普段と異なっていることに気が付いた。

 かけるべき言葉を誤ったことを悟り、すぐに改めようと口を開きかけるが間に合わない。


 「そんな考え方、私は絶対したくない!!」


 レイは、札付きたちが一様に得ている達観を受け入れるには、メルはまだあまりに未成熟で、諦めとは無縁な少女だったということを。 


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