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第14話 任務の結末 ⑤

もう一話続きます。


 夜の帳が下りたアドルスタス大要塞の麓では、なおも勝利に湧く王国軍らの宴が夜空を照らし出している。そんな彼らの本陣が置かれた丘陵から北西方向、ウラムス統一帝国の凍れる大地に針葉樹林に、札付きとその監視役たちが潜む馬車が留まっていた。


「―――レイ、もう落ち着いた?」


 不意に荷台と外を隔てるホロが開き、中で横になっていたレイの元に湿っぽい森の空気と共に平原から流れたきた微かな喧騒が入ってくる。それらと一緒に耳に届いたクリスの声に、目を開いたレイは僅かに体を起こした。


「…だいぶ」


「そ。まあ、簡単な治癒はかけたから、だろうとは思ってたわ」


 全身に響く鈍い痛みに顔をしかめながら目を向けると、ちょうどクリスが荷台に乗り込んでくるところだった。


「うん、顔色はだいぶ良くなってきたわね」


 前屈みになりながら近寄ってきた彼女はレイの顔を覗き込みながら微かな安堵の息を吐く。


「…ごめん、また面倒かけた」


「ま、仕方ないわよ。ここのところの任務の中でもかなりきつい部類だったもの…」


 クリスもこの任務で相当消耗したらしく、いつもならレイの酷い負傷に対する有難いお小言を頂戴するところを今回はそれ以上追求してくる様子はない。


「でもそれはそれとして、もっと戦い方があったと思うのよね、今に始まったことじゃないけど。…今回の怪我も相当だったんだから! 背骨もあばらもバキバキだし、左肩は外れてるし…」


 そう思ったのも束の間、結局始まってしまった始まった説教に、またか…、とレイは内心だけでぼやく。

 だいたいこういった一段と危険度の高い任務の後は大怪我を負ったレイがクリスに介抱されるのだが、その際の小言はもう6年ほどにもなる付き合いでもよく無くならないなと思うほどに欠かされたことはない。


「ずっと前衛やってるんだからいい加減怪我しない戦い方をーーー…?」


 ブツブツと半ば愚痴染みた説教をしていたクリスだったが、不意に言葉を止めて顔を上げた。


「…誰か来たのか?」


 恐らくはクリスがここ一帯に張った索敵用の結界に反応があったのだろう。

 レイの問いにクリスは黙ったまま頷いた。


「ええ、…数は一つだけ」


「一つ…か」


 そう呟いたレイには気づかず、クリスは荷台の入り口から顔を出した。



          ☆



「ーーお前たちは動くなよ?」


 数台の荷馬車が並ぶ屋外では、同じく何者かの接近に気づいた監視役たちが既に警戒を始めていた。

 その中の一人が馬車の中から顔を出したクリスに向かってそう念を押しつつ背後の仲間を振り返る。


「反応は?」


「札付きだ。南東方向」


 声を掛けられた監視役は札付きの首に付けられている(発信機)の位置が表される地図に目を落としながら答え、それを聞いた他の監視役たちは各々に武器を構えながら身構えた。

 やがて、言われていた通りの方向から落ち葉を踏みしめる微かな足音が近づいてくる。


「…どうも、大歓迎だね」


 怪我のせいで満足に上がらない両腕を半ばまで上げ、無抵抗であることを示しながら暗がりから姿を現したのは、サウレと共に要塞中枢から離脱を図ったユリウスだった。


「お前だけか?」


「はい、僕だけです」


 剣を向けられながらの詰問にユリウスは疲れの滲んだ顔に僅かな笑顔を湛えて答える。それを受けた監視役が信号を捉えている仲間に視線を向けると、そちらも“間違いない”という言うように頷き返した。


「他に残っていないかの確認が取れ次第出発する。とっとと乗り込んでおけ」


「了解です…」  


 ユリウスと相対していた監視役は剣を下ろしクリスたちのいる馬車の方を顎でしゃくる。

 それを受けたユリウスの方も、山場を超えたことに安堵の溜息を吐きながら再び歩き始めた。


「やあ、クリス。無事でよかった」


「なんとかね。毎回毎回証拠隠滅のために根こそぎ焼き払うのやめてほしいわ、ほんと」


 レイたちのいる馬車の前までやってきたユリウスに、クリスが小ぶりな方の杖を取り出しながら肩をすくめる。


「中、入れる? きついなら手伝うわよ」


「いや、大丈夫。それくらいなら、何とか!」


 言いながら、足の力だけで器用に荷台へと飛び込む。

 するとすぐに横たわっていたレイと目が合った。


「レイも、何とか無事だったみたいだね」


「ああ…」


 横たわったまま顔だけをこちらに向けるレイの肩にユリウスは軽く手を当ててその無事を労う。

 と、ユリウスに続いて乗り込んできたクリスが腰に手を当てながらこちらに声を掛けてくる。


「ほら、あなたもとっとと座りなさい。出発までに簡単な処置だけでも済ませるから」


「助かるよ」


 ユリウスは剣などの装備を外しながらレイの向かいに腰を下ろす。


「服、取るわよ。痛むと思うけど我慢しなさい」


「お手柔らかにたの――痛ったい!?」


 ボストによる一撃を受けて負った左肩から胸にかけての大きな裂傷は、戦闘からしばらく経ってしまったことで流れ出した血液などと衣服が張り付き、固まり始めてしまっていた。

 クリスは傷口に近い布地を容赦なく剥がしてその傷を露わにしていく。


「なんだ…見た目ほど酷くはないのね。深手ですらないじゃない」


「まあ、深手に見せることが狙いだったからね…って、だから痛い痛いっ! 深くはないけどちゃんと痛いんだよ!?」


「良かったじゃない。神経も無事、と」


「そんな冷静に分析しないでくれる!?」


 ユリウスの懸命な抗議にも取り合わず、クリスは手早く処置を進めていく。

 初めは事あるごとに痛みを訴えていたユリウスも次第に口数が少なくなっていき、やがて馬車の中は黙々と進む手当の音が細々と聞こえるのみになった。


 そんな沈黙を不意に破ったのは、仰向けに横たわりながらずっと目を閉じていたレイだった。


「……ユリウス、サウレは…」


「……」「っ…」


 クリスとユリウスもまた、ここにはいない彼のことを考えていたのだろう。クリスは僅かに瞳を揺らし、ユリウスは答えに迷うように開きかけた口を引き結んだ。

 あの戦いで彼が受けた傷は明らかに致命傷だった。目の前でそれを見ていたレイたちであれば、サウレと共に離脱したユリウスが独りきりで戻ってきた時点で概ね察することはできる。

 それでも確かめずにはいられなかったのは、レイたち同様生き永らえる可能性を見出していた故だろうか。 


「………」


 レイの問いにすぐには答えず、迷うような、躊躇うような素振りを見せるユリウス。

 しかしそれもすぐに飲み込むと、俯きがちに口を開いた。


「…サウレは、要塞から下山する頃にはもう息が無かったんだ。ボクには彼をどうすることもできなくてただ看取るしかなかった。…静かな最後だったよ」


「そう…」  


「本当は連れて帰りたかったんだけど、たぶん彼らは死んだ仲間の体を持ち帰ることを認めてはくれないだろうから。ボクの方で簡単に埋葬させてもらったんだ。まあ…できる範囲で、ではあるけどね」


 そう言いながら、ばつが悪そうに自身の傷に触れる。


「お墓があるなら上等じゃない。きっとサウレも喜んでくれてるわよ」


 そんなユリウスを労わるようにクリスは励ましの言葉を贈った。


「そうだね…。そうだといいな」


 ユリウスはクリスの言葉を静かに噛みしめている。そんな彼に、ずっと黙って話を聞いていたレイが声を掛けた。


「…ユリウス」


「?」


 問い掛けられて顔を上げたユリウスは、こちらをまっすぐ見つめるレイの視線とぶつかった。


「…ありがとう」


 相変わらず感情の乏しい表情ではあったが、その中に秘められた強い思いの一端に触れた気がして、ユリウスは一瞬息を呑む。やがて、ゆっくりと息を吐き出しながら全身の緊張を解すことで、どうにか返事を返すことができるようになる。


「…いいや」


 この言葉でよかったかどうかは分からないが、レイは一度小さく頷いて再び目を閉じた。

 

 

          ☆

 

 

「はい、おしまい!」


「ちょっ!? だから痛いんだって…!?」


 それからしばらく特に言葉は交わさないまま治療を受けていたユリウスだったが、景気よく肩を引っ叩かれたのを合図にそれも終わりを告げる。


「大袈裟ねぇ。切れた血管とか折れてたあばらも大体治したわよ」


「そうは言うけどさ…ーーと?」


 やいのやいのと騒いでいると、不意に馬車の外側を叩く音が響いた。


「おい! もう出るぞ!」


 どうやら生き残りの収容は終わったらしい。今回もまた、多くの札付きたちが命を落とす結果となったようだ。


「じゃ、私たちも座っちゃいましょ。幸い席は選びたい放題だしね?」


「そうだね」


 任務を経て伽藍洞になってしまった、死に損ないと揶揄されるクリスたちからすれば見慣れた景色の馬車で、各々の好きな場所に腰を下ろす。 


 やがて、外から聞こえってきた鞭を振るう乾いた音と馬の嘶きを合図に、馬車はゆっくりと動き始めた。


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