第14話 任務の結末 ②
突如起こった、札付きの一人のスキル暴走による超高熱を伴う光魔術の炸裂。
室内で起こったそれは灼熱をもって広間を焼き尽くし、そこにいた者は敵味方の区別なく炭化して果てた。
そんな、高熱に晒されて黒く変色した広間の床に反乱軍のリーダーの一人、魔術師のマリアが仰向けに倒れていた。
「………う……」
微かに呻き声を上げるマリアの四肢もまた炭化し、体には熱線によって開けられたいくつもの怪我を負っている。それでも息があるのは、ひとえに彼女が展開した防御魔術の精度の高さに依るところが大きいのだろう。
それを裏付けるように、彼女を庇った騎士たちは間近で焼き尽くされ、影も形も無くなってしまっている。
「生きてる、みたいね」
「うん…」
息がある以上、札付きたちは彼女にとどめを刺さなければならなかった。敗北した以上、生き残った末に待つ死の運命を割けることはできない。
「僕が行ってくる。皆は休んでて」
「そうさせてもらうわ」「悪いね、助かるよ」
サウレの言葉に、座り込んでいるクリスの隣にユリウスも傷が痛まないよう慎重に腰を下ろした。 そんな二人の視線を受けたサウレは疲労の滲んだ微笑みを浮かべると、踵を返してゆっくりと歩き出した。
☆
間近まで近づくと、目の前の女性が既に虫の息であることが分かった。焼け落ちた四肢は動かすことも叶わず、生命活動に必要な臓器があるはずの場所は熱線に貫かれた穴が覗いている。
「………っ…」
意識はあるようだが、最早喉を動かすことも満足にできないらしい。苦し気に喉を動かすも、微かな呻き声が出るばかりだった。
この状態ではいずれ死ぬだろうが、むしろ今ここで息の根を止めた方が無用な苦しみを感じないで済むだろう。
サウレはほんの一瞬何か言うべきか考えた末に、
「…さよなら」
結局大したことは思いつかず、分かれだけ告げて手にした得物を振り上げた。とーー
「やめて!!」
突然広間に響いた鋭い声にサウレは驚いて手を止めた。
視線を上げると、広間の奥に位置する出入口から一人の女性がこちらに向かって走ってくる姿が目に入った。
その女性、戦いが始まる直前に部下たちに連れれて退避したはずのイリーナは必死の表情でサウレの目の前に横たわるマリアに駆け寄る。そして高価な衣服が汚れることも厭わず、変わり果ててしまったマリアの体を優しく抱き上げた。
「お母様! お母様しっかりして!?」
「…イリ……ナ…」
愛娘の必死の呼び掛けに、満足に動かすこともままならないマリアの口が僅かに開いた。マリアは、気を抜けば容易に聞き逃してしまいそうな声で、小さく、それでも確かにイリーナの名を口にする。
「…ごめんな…さい…イリーナ」
マリアは虚ろな瞳にとっくに焼き尽くされたと思っていた涙をいっぱいに貯めてか細く囁く。失われた腕を、まるでイリーナの頬に添えるように上げる姿は、母としてあろうとするマリアの生き方を痛々しく示していた。
「せめて……健やかに………」
その言葉が今の彼女の精一杯だったのだろう。微かに口を動かしながら声にならない言葉を紡ぎ、やがてーー
「………お母様?」
愛娘の腕の中で、静かに事切れた。
☆
必死に呼びかけるイリーナの言葉にサウレは戦慄する。
依頼書の上では彼女らに親子関係があることの記載はなく、当然それ以外の情報を持たない札付きたちはイリーナとマリアらの間に親子関係があることを知らない。ギルドとしては大して意味のある情報ではないが、サウレにとっては、未だ見ぬ両親を支えとして生きてきた彼にとっては、これ以上ない精神的な負荷となってしまった。
「僕が……お母さん、を…?」
「それだけではありません…。父も、仲間も…。皆、あなたたちがその手に掛けたのでしょう…!!」
「ち、違う…。僕は…そんなつもりは…」
突きつけられた現実を否定するようにゆるゆる首を振るサウレにイリーナは激昂する。
「あなたが奪ったんです!!」
イリーナの剣幕に押されるようにサウレは後ずさる。彼女の言葉に促されるように辺りを彷徨う彼の瞳には、炭と化した兵士たちの死体が映る。
そして、目の前のイリーナの腕の中には、変わり果てた姿の母が抱かれていてーー。
「あ……ああ……!?」
目を、耳を、そして記憶を通して侵入してくる情報の渦にサウレの頭は激しく揺さぶられる。
「僕は…ぼ、く…は」
サウレにとって両親とは、何ものにも変え難い心の支えだった。幼い頃に生き別れた両親との再会を夢見て、この過酷な日々を乗り越えてきたのだ。
だからこそ考えもしなかった。
自分が奪ってきた命にも、父があり、母があるのだということを。彼らにとっての心の支えを、自分の手で奪ってきたかもしれないという可能性を。
「そんな…ことーー」
しかし、ユリウスの手で首を落とされたボストの最期が、無惨な姿で息絶えたイリーナの母の姿が、サウレが多くの人の支えを奪ってきたということをその心に刻み込む。
残酷で容赦のない事実が、濁流となってサウレの心を白く染めた。
「……っ?」
「ーー!?」
不意にサウレの体に鈍い衝撃が走り、漂白されていた思考が引き戻される。
わけがわからず困惑するサウレだったが、彼の正面にいたイリーナが呆然とサウレを凝視していることに気がつく。
「…何を、しているんですか?」
サウレは相変わらず回りの悪い思考のまま、イリーナの視線を追って自分の体を見下ろす。
「……え?」
視界に入った薄い胸には、自分の得物であるブーメランが肺腑を貫いて深々と突き刺さっていた。
「うっ……ごふっ…」
体が致命傷を負ったと認識したとたん、込み上げてきた血反吐を吐き出しながらその場に崩れ落ちたサウレ。
イリーナは突然自らの命を断ち切るような行為に出たサウレに言葉を失い、ショックでその場から動けなくなってしまった。
「サウレ!?」「ちょっと…何やってんのよ!?」
そして、衝撃を受けたのはサウレの仲間たちもまた同様だった。
イリーナを前に様子がおかしくなったサウレの元へ彼の得物であるはずのブーメランが不意に飛来し、その背中から彼自身を貫いたのだ。
「何を…何をしているんですか…?」
目の前で、イリーナは驚愕に目を見開き言葉を失う。
その場の誰もが事態の変化に着いていけず硬直している中、イリーナの現れた通路の方から慌ただしい人の気配が近づいてきた。
「殿下! やはりこちらに…!?」
鎧を鳴らしながら広間に踏み込んできた近衛騎士団団長のジトーは、目の前に飛び込んできた壮絶な光景にその足を止める。
見る影もなく破壊された広間と、そこに横わるマリア夫人。そのすぐそばには今まさに致命傷を受けたと思われる冒険者の少年と、その彼の凶行に動けなくなってしまったと思われるイリーナ王女。
「これは…」
あまりの状況にジトーとその部下たちは我を忘れてその場に立ち尽くす。
その一瞬の間隙を縫うようにして一つの影が飛び出した。
「ーーレイ!?」
驚きに染まったクリスの声が、イリーナ目掛けて飛び出したレイの背中へと投げ掛けられる。
その声には構わず、レイは無防備に座り込むイリーナの首に向かって一切の躊躇いなく剣を振り下ろした。
「貴様…!!」
しかし、当然彼女の命を守ることが使命であるジトーが黙っているはずも無い。一瞬で意識を切り替えると、イリーナとレイの間に割り込み、致命の斬撃を防いだ。
「くッ……」
不意打ちが防がれたことで瞬時に背後へ飛び退くレイ。地面を蹴った勢いこそ早かったものの、まだ意識を取り戻して間もないレイの足元はおぼついていない。
「っ!!ーーー!」
再び斬り込もうとしたレイだったが、地面を蹴ろうと踏み込んだ足はそれ以上動かすことができなかった。
「……レイ……やめ、て…」
力が込められた脚を、サウレの細く頼りない腕が掴んだのだ。
「…サウレ」
目の前で無防備に座り込む殺害対象を前に、しかしレイはそれ以上動くことができない。
血溜まりに沈み、今にもその儚い命の火を失いそうなサウレの言葉を、願いを、蔑ろにすることなどできるはずがなかった。
一方ジトーは、レイがすぐに追撃してこないと見るや、いまだ衝撃から抜け出せずにいる部下たちへと指示を飛ばし始めた。
「近衛はただちに王女殿下を退避させろ! 残りはここで私と共に敵の足止めだ! 急げ!!」
「「は…はッ!!」」
騎士団長の鋭い声に部下たちも次々我に返る。
「王女殿下!…失礼致します」
すぐにイリーナに駆け寄った騎士たちは彼女が自室状態に陥っていることを認めると、両脇から抱きかかえるようにして下がり始めた。
「逃すわけ……」
「ちょっとレイ、無茶はーーっ」
立つのがやっとの状態でなおも目標を追おうとするレイ。その肩を支えるように無理やり捕まえたクリスが彼を止めようとしたその時、広間の天井に開いた穴から見える早急に一筋の火球が打ち上がったのだ。
「あれは…?」「一体何だ?」
何らかの信号弾であることは分かるが、その合図に心当たりのない反乱軍は困惑する。一方ーー
「レイ」
「…ああ」
その意味を知る札付きたちは深刻そうに顔を見合わせた。
「レイ、クリス!」
負傷した肩を押さえながら駆け寄ってきたユリウスが少し焦った様子で二人に声を掛ける。
「すぐに退くわ。ユリウスも急いで」
「わかった。…サウレは僕が連れて行くよ」
ユリウスたちの視線の先には、床一面を自身の地で濡らしたまま横わるサウレの姿がある。
「助かる」
ユリウスがそう申し出たことでレイは安堵の様子を見せた。
「お前たち、どういうことだ。何をしている?」
一方、突然戦意が失せた冒険者たちの真意が分からず困惑を隠せないジトーたちは最も近くにいたユリウスに尋ねる。
まだ微かに息のあるサウレを慎重に背負っていたユリウスだったが、僅かに首を回してジトーの方を向いた。
「悪いけどあんたたちに構っている暇は無いんだ。あんたたちも生き延びたいなら……ッ!」
しかし、それを言い終えることは出来なかった。
レイたちのいる要塞中枢からおよそ南の方向、恐らくは王国正規軍と反乱軍が激しい戦いを繰り広げているであろう最前線において、突如として立ち上る膨大な魔力の気配を察知したのだ。
「早すぎる! 折り込み済か…」
「おい、一体どういう…」
「そんな問答してる時間は無いわ! 早くーー」
その間も刻々とエネルギー量を増大していた魔力が一瞬のうちに奔流となり、恐らくは全てを消し去る規模の破壊の塊となってレイたちの元へと殺到した。




